悪魔の涙
seiho
第1話 プールの帰り道
「界ちゃーん、見て見て!」
その声の主・
シュノーケル、フィン、うきわ。
そう、使大は海を纏っていた。
……はぁ。
俺は少し遠くを見た後、使大に視線を戻してこう言った。
「あのな、使大。ここはプールなんだよ」
「……だと何なの?」
使大は不思議そうな顔で俺を見る。
「うん、とりあえずシュノーケルはいらないんじゃないか?」
「えっ、なんで? これかっこいいじゃん」
「いや、だから……」
説明しようと思って、やめた。
人に迷惑がかからないならいいか、という考えに変わったのだ。
「何でもない。とりあえず遊ぼうか」
そう言うと、うきわで遊んでいた使大の手は止まり、
「いぇぇぇい!」
と、テンションマックスではしゃぎ出した。
あっ、ちょっ! 使大、待て!
「使大! プールサイドを走るなぁ!」
***
プールからの帰り道。
使大はプールバックをポンポン、と器用に足で蹴りながら話しかけてきた。
「そろそろ夏休みだねぇ。界ちゃんは何か予定はあるの?」
「予定? うーん、8月の最後に肝試しをするくらいかな」
「肝試し! 良いねぇ。誰とやるの?」
「いつメンのあの5人」
そんなことを喋りながら、大通りから一本入った道に入る。
そこからしばらく歩いていると、泣いている人が前から来るのが見えた。
下を向いているため顔は見えないが、クルクル巻かれたツインテールに、黒色のフリフリワンピース。あれは──。
「まーちゃん! どうしたのー?」
幼稚園、小学校、そして中学校も俺らと同じ、いわゆる幼馴染である。
小学校の頃はよく鬼ごっこやドッジボールをしていたが、中学校では会ったら挨拶をする程度となった。
「あ、
魔子は使大を見て明らかに動揺したようだった。
「いや、久しぶりに会ったなぁと思って!」
そんな魔子の様子にもお構いなく、使大は笑顔で話しかける。
「で、まーちゃんどうしたの? 泣いてるじゃん。何か辛いことでもあったの?」
「……」
魔子は喋らない。
「まーちゃん?」
そう言いながら使大が目線を移したその先には、魔子の右腕があった。
使大の目と口が大きく見開かれる。
魔子の肌は、青紫色になっている部分が複数あった。
マジックや絵の具で描いてしまったんだろうか?
でもそれにしてはどれも同じような形で、何だか俺は胸騒ぎがした。
「……なぁ、魔子、それどうしたんだ?」
そう言って俺は魔子の腕を指差す。
すると、魔子は震える左手でサッとそれを隠した。
魔子の表情は髪に隠れてよく見えないが、でも何か地雷を踏んでしまったような気がした。
「もう、天川も
そう言って魔子は使大の手を勢いよく振り払う。
そして魔子は一度も止まることなく、走って行ってしまった。
地面には、魔子の涙の跡だけが残った。
「……うーん、どうしたんだろうねー。大丈夫かなー?」
「まあ、俺たちが関与していいことじゃないかもな」
そうは言いながらも心の中では心配だった。
──いや、魔子のことだ。大したことじゃなくてもすぐ泣くような奴じゃないか。
きっと大丈夫だ。
俺はそう自分に言い聞かせた。
***
その日の夜。
俺は日課のランニングをしていた。
夏は夜でも蒸し暑いものの、走るとすり抜けていく風が肌に当たり、気持ちいい。
「ん……?」
何か音がする。
走って行くにつれ、どんどんその音、いや声は大きくなっていく。
「こんな不味いメシは食えない! 作り直せ!」
ついに、はっきりと言っていることが聞き取ることができるところにまで来た。
怒号は男性の声だった。
また、その声に続いて物が激しく叩きつけられる音が響く。
女性の悲鳴も聞こえた。
これは……、男性が女性に対してDVをしているんじゃないか──!?
俺は急いでスマホを取り出す。
……いや、待てよ。
電話番号を入力しようと思ったところで手が止まった。
俺にとって最悪のシナリオが描かれたのだ。
“もしもこれがDVじゃなかったら”。
ただの夫婦喧嘩だったら? 映画の音だったら?
俺が勝手に騒いで、誰かの生活を壊すだけになってしまう。
迷惑だし、俺にしてみればただ恥をかくだけ。
やはり、触らぬ神に祟りなしで、ここは無視して──。
“悪山”
表札にそうはっきりと書かれた苗字が目に入った。
「ここ、魔子の家なのか……?」
その時、夕方に魔子が泣いていた姿と、右腕にあった青紫色のものを思い出した。
あの青紫色のもの……。痣じゃないか?
ってことは──。
魔子のお父さんが暴力を振るっているんじゃ?
そんな考えが頭をかすめる。
悪山なんて苗字、そうそうない。
きっとここは魔子の家で、そして魔子のお父さんが大きな声で怒鳴っている。
それは、わかっているんだ。でも──。
──俺は何もすることができなかった。
汗だくの服を脱ぐことなく、俺はベッドにダイブする。
「なんで、何もしなかったんだ……」
自分に問いかけるも、本当はわかっているんだ。
俺が他人のためにリスクを犯すことができないからだって。
魔子が救われるという99%のリターンよりも、俺が笑いものになる1%のリスクが怖いんだ。
「最低だな、俺」
俺はベッドから降り、風呂に入る。
風呂の中でも、その後ベッドに入ってからも、俺は魔子のことが頭から離れなかった。
ごめんな、魔子──。
──夢の中で魔子が叫んでいる。
「ねぇ、神童。どうして私を助けてくれなかったの? 私の家が変だって気付いたくせに……!」
「……え? 俺? いやだって、夕方何も言ってこなかったじゃん」
「そんなのわざわざ説明するわけないでしょ! 神童なんて、大っ嫌い!!」
その一言で、俺の胸の中は焼けるように痛んだのだった。
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