翡翠の一家

三藤遼侍

孤立無縁であることを望む

 顔に傷がある男はかっこいい。女性の場合はそんなものは恥でしかない。そうだ、間違いなくそう。

 私の顔には、特に目元には生まれつきのあざがあるからいじめられてきたのだろうと思う。まだらに液が飛び散ったかのような赤黒いあざが耳から右目の先ぐらいまで。

 「お、おはようございます」

 朝一で来て誰もいないのに挨拶をしているが、意味はあるのだろうか、いつもどおりの油性ペンで書かれた誹謗中傷、を消すにはアルコールが一番だ。常備している。今日は枯葉にカメムシか…毎回思うけどこういう虫とか使っていじめてくる系のやつってどうやって集めているんだろう。しょうがなくちりとりで集めて、ぽいっと外に投げ捨てるだけだ。

 「ギャー!!!虫⁉」

 黒板をひっかくような叫び声が窓の下、約8メートルから、鷹野さんの声だ。終わった。


 「ほんとーにひどーいwwカメムシ捕まえて、それを人にかけるなんてどういう神経してんの、さすがはサイコパス、マッドサイエンティスト」

 どっと笑い声、私をどうしてそんなように思うんだろうか、やっぱ顔なのかなー、目元赤黒いのは実験の成果じゃないから。

 「ていうか、同族に申し訳ないとか思わないわけ?ほら、窓際にいっぱいいるから落としたことに謝りなさい」

 またどっと笑い声、居酒屋のような雰囲気っていうのが、自分に向けて一気に差し込んでくる、こんな誹謗中傷に一切の反論もない空気感、まさに社会性っていう感じがするからカメムシよりもひどい香りだ。でも合わせるしかない。

 「ご…ごめんなさい、確かに同じ動物に向かってこんな行動、配慮に欠けていたといわざるを得ないわ」

 「それじゃあ、また一つ新しいこと学べたね、今度は落ちる恐怖が分かるように飛んでみよう!」

 ここはステージじゃないんだが…MCみたいに上ずったこえで半ば狂ったように命令してくる。別にそんなことしなくても落下の恐怖というのは全生物共通の根源的なものだから。

 「い、いや…そんなことしたら…ケガ、骨折、それに落下というのは――」

 「で?飛びますよね、yes or yes!」

 はあ、しょうがない。これ断ったらあとでもっと痛くなるな。

 「では、カウントダウン!五秒前」

 5,4,3という声は学校全体に響く大きさ、周りを気にしなくていいんだろうかと思った人へ、集団ってそんなもんだよ。

 「いーち!ぜろ!!!」

 「それじゃあホームルーム始めるぞー、日直は五十嵐」

 さすがにドクターストップかな~、これで7度目、2週間ぶり。ていうか先生、確かに学校で飛び降りが出たらめんどくさいことにはなるけど、ここで止まったせいで後の昼休みやばいんですけど!怨めないはずだけど恨ませていただきます!

 恨みのこもった視線、圧が背中にかかってくるのを感じるが、別に悪いのは自分じゃない。


 授業の時間は安泰だ、というわけではなく、後ろから席をけられたり、シャー芯が背中に飛ばされたりといった感じで授業は進んでいく、それにうるさい。

 「えー、これが加法定理です。試験ではよくつかわれるから覚えとけよー」

 「いやー、昨日のヒスイちゃんのインスタみた?」

 「あの服のことでしょ、めっちゃ可愛かったよねー、何回見ても思うけどあのスタイルやばくない?」

 「違う違う、それじゃなくて次のドラマの主演やるってこと、私絶対リアタイする、それでもって三周する!」

 「好きな漫画に好きな女優が掛け合わされると人間こうなるのか…引くわー」

 「でもさ、あんただって星夜チコさんが声優担当した好きな漫画のアニメだったらどんぐらい見る?」

 「一日一回」

 「ほら、ほぼ倍じゃん!」

 チコ、やっぱりこの言葉が出るたびについ反応してしまう、いわゆる”最近はやりのVtuber”らしく、大のアニメオタク。音楽業界やアニメ業界にも進出している。

 ブスリ

 「っ………、痛ッ……!!!」

 そんな考え事を許さないかのように僧帽筋めがけてシャーペンの芯がささる。出席番号順の席というものは今すぐにでもやめてほしいものだ。まあ、黙々ペンを走らせ続けるだけだが。

 なんだかんだ言ってこんな状況ながら成績は常に優秀、毎回九割九分は点を取るのだからちょっとぐらいの誰かに褒められてほしいものだ。生憎、背中に突き立てられるシャー芯や毎朝机に書かれてる誹謗中傷を自分を目標にしてくれる人がいるとか楽観的にとらえるしこうじゃないのだ。

 いやまてよ、そういえば私はマッドサイエンティストなんてあだ名がついているけれど、それって顔の傷だけじゃなく成績にも由来していたのかな。

 「じゃあ、この問題、加法定理を証明せよ、東大で出たことがあるやつだけど、小鳥遊」

 「はい、まず、座標に単位円を描き、二つ任意の点を置きます。そこからそれぞれの円周上の点について、A(cosα,sinα)、B(cosβ,sinβ)とすると、座標上の点の距離から――、余弦定理から――」

 「正解、さすが小鳥遊だな」

 この時ばかりは背中が痛くなったりしないので安心できる、先生ありがとう。

 「じゃあ、次の問題は――」

 もう少しここにいさせてほしい、ささやかにそう思っている。でもそれもかなわないまま、また自分の席に戻る。一度天国を見せておいてそれはひどいよ、生殺しだよ先生。イスに座ろうとしたが、画びょうが三本ぐらい立てられている。もし自分が気付かずにそれに刺されていたら、鈍い痛みが臀部から全体にひろあるような感覚とともに背中からは汗が吹き出す。1944年ごろだっただろうか、その時にアメリカで画鋲が刺さったところから病気に感染して死んだなんて事例を思い出した。どうしてそんな残酷なことをこんないとも簡単にできるようになるのか、本当に不気味でならない。これはさすがにやばいので片付けてから座ると後ろからぽすっと紙を丸めたものが飛んできた。紙を開いてみると

 ”この授業が終わったらトイレにこい”

 一種の脅迫じみた文章がある。ペンを持つ手から血の気が引き、ガタガタと震え始める。窮鼠ただ死に慄き待つ。


 キーンコーンカーンコーン

 授業が終わった、それはまた地獄の始まりも意味していた。誰もいないところでなぶられる、助けを呼んでも来ることはない、逃げようにも逃げられない。十分間が永遠のように感じられる時間が来た。

 「す、すみません。本当に、画びょうをよけたのは悪いと思ってますから、どうか痛いのだけは…本当に痛いのだけはもうやめて下さ」

 「私がそんなにひどいことする人だと思ってるわけ?それは本当に怒っちゃうなあ」

 「い、いや、違うんです…そういう…こと…じゃ」

 「別にいいよ、痛くはしないから。むしろ、勉強に集中できるようにご飯作ってあげたの」

 はあ、授業に集中できないのは誰のせいだか、ところで次の授業まであと何分なのだろ…臭い⁉パクチーにも似た、でも不快感の激しい、朝にも嗅いだようなにおいが鼻を衝く。

 「いや…うそ…それってカメムシ…」

 「そう、学校で用意できるのこれしかなくてさー」

 なんで笑ってるんだろう、こんな悪臭の中どうして笑っていられるんだろうか。こんなひどいことをして他人を笑えるのだろうか、よっぽどサイコパスだ…私なんか断じてサイコパスじゃない…

 「まさか、食べられないとは言わないよねー、丹精込めて集めたの、授業が始まるまで…あと三分以内に食べてね」

 丹精込めるものは作ったものであってほしい。

 …あと授業まで三分だったか。あと、人に自分の愛を押し付けるものではない。

 「ほら、なんか感謝の気持ちとかないわけ?薄情ねー」

 「あ、あ、ありがとうございます!」

 「じゃあ、頑張って食べてね」

 いや、頑張ってって言ってる時点で無理を強制してるだろ。とか言ったらそれこそ昼休みや放課後に殺されてしまうのではないかと不安になるので、本当に食べるしかない。

 はっきり言って、いうまでもなくだと思うが、味は最悪だった。手や唇にべったりと付いた香り、もぞもぞと口の中で動き回る彼らの足が下やあごを貫く痛み、何とか咀嚼して飲み込んでものどを羽や足が通るたび背骨を直で触れられるような続々とした不快感が波のように襲ってきた。咀嚼中に呼吸をすると、いやな香りは鼻腔を通って鼻に伝わり、あの匂いが全身を犯さんと侵食してきてはくのをこらえるのがとても大変だ、全身の血の気が一口ごとに波のように引いていき、背中からは冷や汗がぼたぼたとこぼれてくるようだった。味については、強い渋みえぐみ苦みの奥にほんのりとした甘みがあるのだが、これがカメムシだと思った瞬間プラシーボ効果で今すぐにでも吐き出したくなるような感覚に見舞われた。ちなみにあと何分で授業…?

 食べ終わったと同時にチャイムが鳴った。汗や涙、鼻水、カメムシ汁でべっとり濡れた顔からは言い知れない悪臭が漂っているらしく

 「くっさ、今すぐ顔洗いなさい」

 と冷酷に一言。石鹸で洗ってもカメムシの香りは取れなかったので、アルコールを使うと、案外素直に取れた。

 「すいません、トイレで寝落ちしちゃってて、顔洗ってたら遅れました」

 「そうか、勉強は大事だが、ちゃんと授業受けないことには内心取れないから気をつけろ」

 「はい、本当にすいません」

 自分のイスは後ろのほうにあるから、戻る途中途中で嘲笑、中傷が聞こえてくる。やっぱりカメムシを食べたという噂は女子の間で広まっているらしく、席に戻るとノートで隠された真ん中らへんに、

 ”クセーんだよカメムシ野郎”

 ”さすがマッドサイエンティスト、カメムシの味はどうだった?笑”

 別に最後の意思決定は自分にあるとしてもどうしようもなく食べなきゃいけない状況を作り出したのは鷹野さんたちであって、別に自分は一割しか悪くない。今日はたくさんアルコール使うなあ。さすがにだれか見ている状態で拭くと未青年飲酒と勘違いされてもおかしくないので、誰もいないところで拭きたいが…それに臭いのが申し訳ない。でもトイレはさっき行ったと嘘をついたし、三愛しか残っていないポケットティッシュに手を付けることにした。そのティッシュは本当に汚物になってしまったから、机の奥にしまっておいて後で捨てよう。


 昼休みになってもすることはほとんどない。たいてい鷹野さんたちに同行させられることになるのだが、ただ、いじめられるだけだったので、どういうことがはやっているのかに耳を澄ませながらご飯を食べることにしよう。カレー(二日目)の入った大きめの弁当箱を開けると、二時間目の終わりに食べたごはんとは大違いのいい香りが広がる。やっぱり料理は自分で作ったやつが一番おいしく感じられるのだなあ、いただきます。

 「ん~~~~~~!!やっぱりおいしい自画自賛地産地消。ほろよくほろけるふぁはいもにはふしあひのほーん、幸せ~~~」

 ご飯を食べているときは自分だけがそこにいるかのように錯覚して自由を、生きているということを感じられる素晴らしい時間だ。誰かが食べているところを見られるのが落ち着かないとはよく言うが、だからこそご飯を食べているときは周りを信頼しているのだ。

 「@*;+‘*+@#$ヒスイちゃんが――」

 「――ヒスイちゃんの――…」

 ヒスイ、ヒスイ、見たことがあるけれどそんなにかわいいものなのだろうか?確かに切れ上がった目の奥で輝くラピスラズリのような眼はきれいだし、飴細工のように完璧な造形美に整った体型にきめ細やかな肌、特にライトな性格に少し影を含んだような深みを持っているのがいいらしいのだが…まあ、こういってみるとかわいいのか。当時十歳で出た朝ドラが空前の大ヒットを記録したことから以降様々な方面で活躍、ちょうどこの前ドラマの主演に抜擢され、さらに少し先のドラマでもヒロイン役として…そうか、本当にすごいなあ。

 キーンコーンカーンコーンと予鈴が鳴った気がするが実際は鳴ったのだろうか。この教室の時計は五分ほど早いのでほぼ参考にならないと思ってぼおっと外を眺めてみる。サッカーをしていた男子たちはいっせいに戻ってくるから多分本当なのだろう。次は確か英語…授業が教室だということにはっと我に返らされた。玄関に走っていく男子たちの姿がぼんやりとしてくるとともに、震える体は勝手に自分の机に戻ろうとしている。

 「それでヒスイちゃんがさー、昨日のテレビで――」

 その嫌味ったらしく語尾を伸ばす声は鷹野さんのものだ、振り返るまでもなく鷹野さんが帰ってきたのが分かる。時計は昼の終わりを警告するはずの予鈴の鳴るべき時間をさしていた。


 あー背中が痛い、立って発音させられるところが本当に面倒くさい。一回曲げていた膝を伸ばそうとするとまがっていた全身の肉が延ばされる感触よりも、背中の傷が引き延ばされ、ひりひりとした痛みを主張しだすからだ。

 ガタン、

 座ろうと思っていたところにイスがなかったので、今度はしっかり大きな音を上げて痛そうに転ぶことができた。背中がひりひりと痛む代わりに臀部が内出血したかもしれない。、気持ち悪い痛みを感じた。


 私は帰宅部に所属、帰宅部に所属しているって本当にあってるんだろうか、鷹野さんは生徒会で夜遅くまで大忙しだからこそ夜遅くまでいじめられるなんてことはないわけだ。もっとも青春を送ることができないというのが唯一の難点なのだが。いや、そもそもこんな顔した奴に青春なんて遅れるはずがないか…ちょっと気落ちしたからこの話終了。

 電車の中で痴漢してくる人というのは、人の顔を見る以前に男か女かで判別しているのだろうか。私は結構痴漢されることが多い。だらけた生活を送っているからか、体の肉づきがよくなってしまっていることも一因としてはありそうだ、別に一線を越えようとしてくる奴じゃない限り、通報してもめんどくさいことになりそうだし絶対に通報しないんだけどさ。ほらまた、どさくさに紛れて尻を触ってきたり電車が揺れているのに合わせて胸をつかんで、ああすいませんとか本気で謝っているように見せかけている奴が来た、その目が〇欲に満ちているのは隠してると思ってもバレバレなんだからね、別に痛いことはしてこないからまだましという判定なんだけど、いつでも逮捕できるからな、心の中で思うだけだった。意外と自分を一番そういう目で見てくるその人たちに一種の可能性、恋心みたいなものも芽生えているから…別にマゾってわけじゃないし、勘違いしないでほしいのでこの話終了。


 親は海外で働くことが多く高校からは一人暮らし、もうしばらく家に帰っても一人だけだったし、挨拶をする習慣など残っていないから、靴はないはずの玄関に一つ特別豪華な靴があったのでびっくりした。最近はほとんど会うことがないのでいると思ってなかった。

 「ただいまー、ヒスイ、いや、おかえりかもしれないな」

 「あっ、おかえり、それとただいま、お姉ちゃん。もうちょっとで料理できるから待っててー」

 そう、学校でよく話されているヒスイというのは私の妹なのだ。ところで妹ってこんなにかわいいやつだっただろうか、私に向けるはにかんだ笑みは純朴な少女、寛大なシスターそのものだったのだが、

 「なんで裸エプロン???」

 ちょっとずれているところがあるから玉に瑕、七善隠すなのだ。

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