第12話「氷壁の騎士の溶け始めた心」
辺境の地が経済的に豊かになるにつれ、ガイオンの表情にも少しずつ変化が現れていた。
以前の彼は常に眉間にしわを寄せ、何かに耐えるような厳しい顔つきをしていた。しかし最近では村の発展や人々の笑顔を目にするたび、その口元がかすかにほころぶようになった。
特にエルナと二人きりでいる時の彼は、まるで別人だった。
「エルナ、少し休憩したらどうだ。根を詰めすぎだ」
薬草園で熱心に土をいじるエルナの隣にいつの間にかガイオンが立ち、水の入った水筒を差し出す。それはすっかり日常の光景となっていた。
「ありがとうございます、ガイオン様」
エルナが笑顔でそれを受け取ると、ガイオンは少し照れたように視線をそらした。
「……様は、いらないと何度も言っている」
「ふふ、癖になっているんです」
そんな何気ないやり取りに、エルナは幸せを感じる。
ガイオンのエルナに対する態度は、もはや単なる庇護や信頼を超えていた。彼の灰色の瞳はエルナを見つめる時、明らかに熱を帯びていたし、その行動の端々には不器用ながらも深い愛情が滲み出ていた。
彼はエルナが少しでも重そうな荷物を持っていれば、どこからともなく現れて黙ってそれを取り上げた。エルナが夜遅くまで仕事をしていると知れば、「体に障る」と言って半ば強引に家に連れ帰った。
その過保護ぶりは、村人たちの間でも「団長の聖女様への溺愛っぷりは、見ていてこっちが照れる」と噂になるほどだった。
しかし当のガイオンは、自分の気持ちを言葉にして伝えることができずにいた。エルナもまた彼からの好意を確信しながらも、自分から一歩を踏み出す勇気が持てずにいた。
そんなもどかしい二人の関係を、周りの人々は温かく、そして少しだけやきもきしながら見守っていた。
ある日、薬師のレーナ老婆がエルナににやりと笑いながら言った。
「お嬢さんや。団長さんと、そろそろどうなんだい?」
「えっ!? な、何のことでしょう……」
突然のことに、エルナは顔を真っ赤にしてうろたえる。
「とぼけなさんな。あの朴念仁が、あれだけ分かりやすく一人の女性に入れ込む姿なんざ、わしは初めて見たよ。お嬢さんも、まんざらでもないんだろう?」
レーナのからかうような言葉に、エルナはうつむいてしまう。
「ですが、わたくしは……王都から追放された罪人ですし、ガイオン様にふさわしいとは……」
過去のトラウマが、エルナの心に暗い影を落とす。自分は幸せになってはいけないのではないか、という思いがどうしても消えないのだ。
そんなエルナの様子を見て、レーナは優しい顔つきになった。
「馬鹿をお言いでないよ。あんたがどんな過去を持っていようと、あんたはあんたさ。それに、あの団長さんがそんなことを気にするような男に見えるかい?」
「それは……」
「身分だの過去だの、そんなくだらないものに縛られているのはあんた自身の心だけさ。もっと素直になりなされ。幸せを掴むのを、怖がっちゃいけないよ」
レーナの言葉は、エルナの心に深く響いた。
その夜、エルナはガイオンから贈られた『氷雪花』の押し花を眺めながら、ずっと考えていた。レーナの言う通りかもしれない。自分を縛っているのは王都の人間ではなく、自分自身の弱い心なのだ。
ガイオンは罪人である自分を、偽聖女と呼ばれた自分を、ありのままに受け入れ守ってくれた。彼の真っ直ぐな想いに、自分も応えたい。
翌日、エルナは少しだけ勇気を出すことにした。
騎士団の訓練場で木剣を振るうガイオンの元へ向かった。汗を光らせ、真剣な表情で剣を振るう彼の姿は、息をのむほど美しく力強かった。
「ガイオン様!」
エルナの声にガイオンはぴたりと動きを止め、こちらを振り返った。
「どうした、エルナ」
「あの……もしお時間があれば、ですけれど。今度のお休みの日に、町へお買い物に付き合っていただけませんか?」
それはエルナにとって精一杯の誘いだった。ただの買い物。けれど、二人きりで出かける初めての約束。
ガイオンは一瞬きょとんとした顔をしたが、やがてその意味を理解したのか、彼の頬がかすかに赤く染まった。
「……ああ。分かった」
彼の短い返事。しかしその声は、確かに弾んでいた。
氷壁の騎士の心は、もうほとんど溶けかかっていた。あとは誰かがほんの少し、最後の一押しをするだけだった。
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