エルフの村が焼かれず奪われる時代にて

マームル

始まり

 リザードマン。

 それはこの世界に住む、文明を持つ種族の一つだ。

 サルを基としたとしても、毛皮という外皮を脱ぎ捨ててまで劇的に進化した人間とは異なり、元々のトカゲの様相を色濃く残しつつも知的に進化したそのリザードマンは、人間よりも基本優れた肉体を持つ。

 また、その種族を細分化しようとすれば、人間なぞより遥かに多岐に渡る。

 水辺から密林、または砂漠にまで、極寒の地を除いて多様な場所に住む彼等は、それぞれの場所に特化するように進化した。

 例えば川や海で暮らすリザードマンは水かきを生やしたり、背びれをより発達させていたりと、泳ぎに適した姿形をしている。

 密林では表皮を外の光景と同化させながら日中を通して身動き一つしない隠密性と、そこから目にも留まらぬ速さで獲物に襲い掛かる瞬発性を両立出来る特殊な筋肉を備えるリザードマンが、如何なる外敵の存在をも許さず、その絶対的な優位性を今でも保ち続けている。

 はたまた、砂漠で暮らすリザードマンは過酷な日差しから身を守る特殊な鱗と、水分を極限まで体外に排出しない仕組みなどを持ち合わせながら、誰よりも自由に砂漠を泳ぐ。

 そのような各地に特化したリザードマンという種族は、生まれ育った場所においては比肩する者が居ない程の武力を誇る。

 しかし、それ故に悪意に晒される事も少なくなく。

 様々な種族が争いと和平を繰り返しながらも少しずつ前へと進んでいく昨今において、リザードマンは良くも悪くも強い癖のある種族であるという認識が、当人達を含めて広まっていた。


*


 ギルド。

 それは数多の知的種族が生きる諍いの絶えない世界において、なし崩しに発展してきた共助組織である。多様な種族の思想も死生観すらもひっくるめて、その上でそのどれを優先する事もなく成り立つその組織は、最良の和の為に如何なる汚れ仕事ですらも成し遂げて見せる。

 往々にして宗教や国すらをも敵に回しながらも、それら全てに屈する事もなく、時には取り込んできた歴史を持つギルドは、自たも自分達が潔白だと胸を張れる組織ではないと言う。

 だがそれでも、誰の魂も汚される事のない均衡を、最大限の努力を以て追い続けるという理念にのみ意志を掲げて、今日も多様な問題に対して最良を尽くしている。


「……で? これはギルドがする仕事なんですかね?」

 俺達のパーティに特別な依頼をしたいとの事で、聞きに来てみれば、提示されたのは水源に棲むリザードマンの群れとの交渉、もしくは討伐。

 その、依頼の詳細を渡してきた受付嬢が口を開く。

「これでも私達は温情な方なのですよ。

 最早、リザードマンやエルフのように代々資源豊かな地に住み続け、外界の全てを拒絶するという生き方は通用しません。尚更、それが莫大な利益を産む場所ならば。

 私達が為さぬとも、うねる時代の波がそれを許さない。ゴブリンですら上級魔法を扱うものが出始め、オークがミスリルの鎧に身を包むこの昨今。莫大な財力を持つ国家は百を超える大砲と千を超える魔術師を当然のように備えている。

 私達が動かなければ、過去に倣うばかりのエルフの森は焼かれる事なくそのまま奪われ、リザードマンの水源は毒に塗れる事なく赤く染まるばかりなのです」

「まあ……分かったけど。それなら、もっと人を集めて圧倒的武力を示した上で最終通告をした方が手っ取り早いんじゃないか」

「それでも良いのですが。彼等も、時代の波に取り残されつつある事は理解しているようでして、先日、その水源に住むリザードマン達より依頼があったのです。

 私達が新しい時代を行きられるように、今を誰しもが納得のいく形で終わらせてくれ、と」

「……」

「ですから、この依頼をより詳細に記すならば。

 『リザードマンの代表達との決闘に打ち勝ち、旧い時代の終焉を示して下さい。

 また、それでも新しい時代を拒む老害達を討伐して下さい』

 という事になります」


 それが、数日前の事だった。


*


 月が蒼く輝く日。精霊が踊る事もあれば、とうに骨だけとなった死者が土より歪な産声を上げ直す。

 はたまた歪な程に森が静まり返る最中、狼が月に向かって一斉に綺麗な遠吠えを奏でる。

 何故そのようにして月が輝くのか、そしてそれによって摩訶不思議な現象が引き起こされるのか。そのほぼ全ては未だ解明されていない。しかし極僅かに、それを利用出来る者も居る。

 盲信的な敬虔さ故でもなく、己の魂すら清めていくような清貧さ故でもなく、ただただ星の巡りのみによって悟りを得たような人族が。

 はたまた、生命が生きるのに値しない清流とも、生命が生きながら腐り落ちていく汚泥とも思えるような悍ましい何かに愛されたような獣が。

 その蒼月の日に幾多の奇跡を引き起こしてきた。


 その夜。

 さらさらと流れる清流を遡ってリザードマンの集落へと進む俺達パーティは、リザードマン数名の丁重なもてなしによって、集落へと招かれた。

 控えめに焚かれた篝火は、目の前に整えられた円形の戦場を控えめに映し出している。そしてその向かい側には六人のリザードマン。

 水辺に暮らすリザードマンらしく肘や背中からヒレを生やしていたり、鱗も水の抵抗を減らせるような滑らかな形をしている事は共通しているが、体格はかなりの違いがあり、また持っている武器や得意としている事も様々である。

 要するに、俺達と同じく前衛と後衛に分かれて一丸となって戦うパーティだ。

 また周囲には丘があり、そこでは数多くの生き物が蠢いているような陰が……この集落に住む数多のリザードマンがこの決闘を見に来ていた。

「一応聞くが、負けたからと言って、腹いせに襲ってくるような事は無いよな?」

「モし、そノような事ガあっテ貴方達が翌日までに誰モ帰らナいとなれバ、私達はギルドであろウとも、如何様に魂を汚されテも構わなイ。そノように通告していル。

 だガ、それでモ旧イ時代を手放したくなイ者は少なカラず居る。

 我等も対処ハするガ、同族故に牙が鈍る事ハ否定出来なイ。

 警戒は、しておいテくレ」

 直近になって必死に学んだような、辿々しい共通語。

「何とも頼りにならない話だこと」

 こちらの戦士が大げさな溜息と共に言った。


 先日の通達の通りに、試合は僧侶を除く五人で、一対一を五回行う。降参、もしくは死亡にて決着。回復及びに蘇生は各々の僧侶に任せる。

「言っておきますが、私は蘇生などという事は出来ませんからね。

 死体を持って帰り、貴方達のへそくりを元に教会で蘇生して貰う事になります」

「わかってる」

 僧侶の小言に対し、盗賊が雑に返した。

 言ってしまえば、俺達のパーティは別に伝説級という程上等な訳じゃない。ギルドに属する身としては良く言って中の上程度の集まりだ。

 だが、伝説級のパーティはどれもこれより面倒な出来事に出ずっぱりで、要するにこんな些事になど一々付き合ってられないのだ。

「駄弁りに来た訳じゃねえだろ? あっちもその気みてえだし、さっさと行くぞ」

 そう言って戦士は、向かい側の大柄なリザードマンが前に出てくるのとほぼ同時に、戦場に足を踏み入れた。


*


 シーサーペントのような巨大な頭骨をそのまま使ったような斧槍を扱うこれまた大柄なリザードマンと、同じく斧槍を振るう戦士の戦いは、戦士がスクロールを使って撹乱した上でその大槌の柄を叩き切った事で、リザードマンが降参した。

 膂力だけで言うのならばリザードマンの方が圧倒的に上だったが、馬鹿力を振るうだけでは巷に溢れる摩訶不思議を前にして攻撃を当てる事すらままならない。


 続いて魔術師同士の戦い。

 蒼月の日である事もあり、俺には大して感じられないものの、大気に溢れるマナは不安定ながらも濃厚だ。

 水辺に棲むリザードマンらしく、強烈な水魔法を次々と放つ相手にこちらの魔術師は苦戦を強いられたが、いつもなら前衛に届ける支援魔法を自らに掛けて、不慣れに耐えて、避けて、ギリギリのところで雷を届かせて痺れさせた。

 ……と思いきや。

「私の、負けですね。もう私の体内のマナが空っぽです。

 杖で殴るなんて事したくありませんし。殴り合いになったら私が負けるので」

 そう言って飄々と戻ってきた。

「……体感的にもう一回くらい残ってると思ったが?」

 小声で聞けば。

「このまま3-0になってみなさいよ。その時点で残るのはマナが空っぽの私と、自棄になって襲ってくるかもしれないリザードマン達よ。

 今日は蒼月の日だし、数戦粘ってくれればマナも回復するから、戦士みたいに瞬殺なんてしないでおいてね」

「……そうかい」

「それと、もう3回分は残ってるわ」

「…………」


 なのに3戦目の盗賊同士の戦いは一瞬で終わった。始まったと同時に、こちらの盗賊が投げナイフを相手の四肢に的確に突き立てて、相手のリザードマンは何もさせて貰えないまま膝を着いた。

 無言のまま帰ってきた盗賊はぼそりと言った。

「格の違いと、恐怖を教えるのも必要な事だろう」

「……」

 俺達は仲良しグループって訳ではないんだけれど、何というべきか、もう少し纏まりが欲しいっていうのは良く思う。


 四戦目は重戦士の戦い。これが一番時間を要した。こちらの重戦士の纏う分厚い鋼鉄の鎧程ではないが、大型の魔獣の骨をふんだんに使ったリザードマンの武具と防具はかなり頑丈だ。

 しかもそれぞれが持つ武器がリーチも短いものだから、起こるのはとにかく鎧の上からの殴り合い。

 リザードマンの大盾を使った強烈なシールドバッシュを重鎧込みの重量で耐え、そこから振るわれる強烈な短槌を、直撃だけは喰らわないように受け続けながらも反撃を返す。

 どちらも体勢を崩そうとしたりも試みるが、種族が違うと言えど頑強な盾役同士がぶつかったところで結局起こる事といえば、地道な耐久合戦でしかなかった。

 そして最終的に残ったのは、鋼鉄の前では流石に武具も防具もぼろぼろになり打つ手がほぼほぼなくなったリザードマンと、膂力の勝る相手に必死に堪え続け、体力を使い果たして立つばかりの重戦士。

 引き分けに終わるかと思いきや、最後に重戦士が不意に投げたその短槌が胴にめり込んで勝利した。


 五戦目。

 三勝一敗というところで、最悪俺が負けようとも勝敗は変わらず、今回の目的はもう達成している。

「負けても良いとか思ってるんじゃないよ」

 俺の心の内を察したかのように魔術師が言う。

「いや……あれ、ヤバいだろ」

 最後。また同じ戦士同士の戦い。盾と剣を携える俺に対して、目の前に出てきたリザードマンが手にしているのはシンプルな槍の一本。

 振る舞いだけで分かる。愚直に、真摯に、己が技を鍛え続けてきたような求道者とでも呼べるような存在だ。

 しかも腰に短杖まで携えていて、魔法まで扱える事を示している。

 そして……そのリザードマンは雌だった。卵生だからか胸もないが、雄に比べれば頑強というよりかは靭やかさを前面に押し出した肉体だ。

 また身につけている装飾具は力強く有りながらもどこか丸みを帯びたようなものが多く、防具もその柔軟性を殺さないようにか最低限で、それもまた細かな装飾が施されている。

 そして雌であろうとも体躯は俺より上で、きっと力も同等以上だろう。

 美術品としての見た目を持ちながらも、実用性も一級品以上に備えている武具。そんな冷たい美しさを想起させる。

 まともなスペックでは、俺には敵うところがなさそうな。

「全力で戦った上で死んだのなら、持って帰って蘇生してやる」

 盗賊がぶっきらぼうに言った。

「はー……やりますよ」


 ……一応俺がこのパーティのリーダーであるが、一番強いからという訳じゃない。何でもやるからだ、そして何があっても生きて帰れる生存力があるからだ。依頼を受ける際の折衝に、前衛の攻撃役でありながら仲間の補助や時に盾役までこなす。

 良く言えば万能。悪く言えば器用貧乏。パーティでこそ、バランサーとして役立てど、個人では大した能力が発揮出来ない。それが俺だ。

 だからこんな化け物と一人でやれだなんて、俺の冒険者人生にはあって欲しくなかったのだが……。

「言っても仕方ないが」

 剣と盾をそれぞれの手に構えた俺に、槍を両手で構えたリザードマン。

 その太長い尻尾が地面に触れて、膝と共に力を溜めるようにぐっと……。

 眼前に槍が迫っていた。頬が抉れる。遅れてやってきたつんざく痛み。

 瞬き一回分でも回避が遅れていたら、後頭部から切っ先が飛び出していた。

 せめて反撃と思うも、気付けばそのバネとして機能した尾が腹を叩いていた。

「げぇっ!?」

 鎧越しでも体が吹っ飛び、胃液が飛び出す威力。転がって体勢を立て直している間に必死に顔面ばかりを守れば、そこに槍がかち合った。

 ガィッ!!

 腕が折れたかのような衝撃。だが、その跳ね返った衝撃にリザードマンも追撃は出来ず、どうにか立ち上がった。

 顔面狙い。突き刺せればどこでも致命傷だろうに、態々顔面を狙ってくるのは自信と傲慢の表れだ。いや、出来て当然なのか。

 だが、一合を終えて生きている俺に少し見直したようなその目が気に食わない。

 胃液を吐き散らしながら俺は攻めた。目が驚愕に変わった。

 損傷が酷くなければ首と胴体が離れてても復活出来るのだから。体が動くのならば痛みというシグナルは無視すべきだ。それが出来なければ中堅にすらなれない。

 接近を嫌うかのように槍を横薙ぎしつつ距離を取るリザードマン。不用意なそれ。弾いて更に追う。空いている片手が杖に伸びるのが見えた。

 飛び退く。次の瞬間、無数の風の刃が俺の居た位置を切り裂いていた。

 ……威力、高いな。しかもあれをまともに喰らったら、最悪蘇生すら出来ないくらいに体がぐちゃぐちゃになりそうなもの。

 どっちつかずじゃない。両方が一級品。

 どうしたものかと思っていれば、目の前のリザードマンはすぅ、と目を細めた。

 ……来る。

 体を翻したと思えば、尾の先に岩が握られていて。しなりを生かして飛んできたそれは大柄な男が全力で投げるのと最早同等。避ければ既にリザードマンは槍を構え直している。先ほどよりも腰を落としてどっしりと構えたそこから、今度は目にも留まらない連撃が。

 後ろに跳んでも、回避が間に合いきらなかった。一撃一撃が、胸当ての上から衝撃を、そして盾を削る。

「うっ、ぐっ」

 更に足を払ってきたのをどうにか跳んで躱せば、続いて尻尾が俺の足に絡んで転ばせようとしてきて……そこに剣を突き立てた。

「ギィア゛ッ!!??」

 悲鳴を上げたリザードマンが思わず短杖を手にして俺に向けて来ようとするのを、盾で払った。

 くるくると飛んでいく短杖。距離を取ろうとして剣を抜けず、苦痛に歪んだ顔。剣をそのままに、槍による反撃が来る前に、攻撃魔法のスクロールを眼前に突きつけた。

「…………」

 リザードマンは観念したかのように槍から手を離した。

 突きつけたスクロールを戻せば、自分が負ける事など微塵も思っていなかったような唖然とした顔が、そんな自分を倒した俺の顔を目に焼き付けるような、酷く悔しげな様相に変わっていくのを見た。


*


*


 ……それから、半年が経過した。

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