第30話 逡巡の向こう側

『ロンデニスの戦い』についてのリリアンの説明は、なおも続いた。

 双方の軍が死力を尽くして戦い、その激しさは地形をも変えてしまうほどだったという。

 両国とも多くの損害を出し、地翔竜は悪魔公爵ダークス・リュンベルグによって封印され、その彼も敵の要であった竜帝グラン・アクアドロスとともに、姿を消した。

 その後、数多いた魔物たちや竜族は、いずこかへと去って行ったのだという。


 ここまで話を進めてから、リリアンの表情がわずかに曇りをみせた。

 まるでここから先には、足を進めたくないかのように。


「ここからは、フィナスさん、貴方にも関係するかもしれない話よ。少し辛い話になるかもしれないけれど、いい?」


「……はい……」


 フィナスはここに来るまで、いい予感はしていなかった。

 もう覚悟はできているつもりだ。


「竜や魔物たちと意思を通わせることは、魔族の権能だとされているわ。自分たちの僕として用いるためにね。事実、人に化けた魔族が町中に魔物を呼び寄せて悲劇を生んだことが、今までに幾度もあるわ。だから、そうしたことができる存在を、良く思わない人たちも多いの。教会の方でも、異端として見なす教えがあるわ。神と魔族との対立は、有史以前から続いていますからね」


 神と魔族とがそのような関係にあるということは、フィナスも薄々は知っていた。

 ガンボの店に来る客たちが、そんな話をしていたことがあったから。

 しかしそのことが自分に関係してこようとは、予想外だった。


「もし、異端と見なされたら、どうなるのでしょう?」


「……迫害を受けるかもしれないわ。場合によっては魔族と疑われて、拘束をされることもあり得ます。例え異端者とはされなくても、人々から距離を置かれてしまうかもしれない。残念ながら、そういう意識や偏見は、先の戦争のせいで、ますます強くなったと聞いているわ」


「だから……お母さんは、私の力のことは、黙ってろって言ったのでしょうか?」


「かもしれないわ。貴方は、誰にでもできるものではない、素晴らしい力を持っているわ。けれど残念ながら、それを良く思わない人たちも多いの。だからそれを心配されたもかもしれないわね」


 フィナスはようやく、絡んだ鎖が解けたような心地だ。

 母が優しく何度も諭した言葉の裏側には、そうした娘を思いやる意図があったのだ。

 いつも柔らかかった母の笑顔、すでに遠くなりつつある記憶が、脳裏によみがえる。


「先生、どうして私は、そんなことができるようになったのでしょう?」


「…………それは、私には分からないわ。でも、あるとすれば……ううん、やっぱり、なんでもない」


 なんだろうか、奥歯に物が挟まったような言いようだ。

 フィナスは違和感を覚えたけれど、それ以上は追及しなかった。

 元々、彼女のことなどよく知らないリリアンが、知りえる話ではないのだろうし。


「じゃあやっぱりこのことは、人には知られない方がいいのですね」


「そうね、少し慎重になった方がいいかも。だから私も、できるだけ秘密にしておくわ。けれど、フォルケン先生にだけは、耳に入れておこうかと思うの。とてもいい方だし、今回のセオドア大森林のことも、とても心配をなさっておられるわ。私が一番信頼する御方なの」


「フォルケン先生……『輝氷の賢者』の、フォルケン先生ですか?」


「ええ。それは許してもらえるかしら? あの方だって、きっと秘密にして下さるわ」


「分かりました。お任せします」


 それからも、フィナスとリリアンとのお喋りは続いた。

 フィナスの生い立ちのことだとか、この学校のことだとか、リリアンが学んできたことであるとか。

 リリアンはかつて、フォルケンの氷魔法に憧れて、そちらを目指していた。

 けれど、炎の魔法への才能を彼に見いだされて、その道に進むように勧められたのだという。

 その結果として、今のリリアンの地位がある。


「今日はお話ができてよかったわ。またいつでも、気軽に遊びに来てね」


「はい。ありがとうございます」


 話し込んでしまって、気が付けばもう外は暗くなって、空に月が昇りつつあった。

 フィナスは扉を前で、お別れの一礼をした。


「あ、フィナスさん」


 立ち去ろうとする彼女を、リリアンの声が呼び止めた。


「はい」


「もしかすると、貴方の力を借りる時が、来るかもしれないわ」


「はい。私にできることでしたら」


 校舎を出て帰る道すがらを、青く輝く月が照らしている。

 話してよかったのだろうかという漠然とした不安は、今も消えてはいない。

 しかし、ずっと一人で抱えていた荷物が、少しだけ軽くなったように感じている。


 誰かに話すことができたこと、そして母であるミネスとの約束に意味があり、そこに母からの思いやりを感じることができたこと。

 フィナスの心を軽くしてくれた時間だったし、何かの時に相談ができる相手ができたことは、他に身寄りがないフィナスにとっては心強い。

 石畳を踏む足取りも軽やかだった。


 リリアンの方は、部屋の灯りを落とした月明かりの中にあって、じっと思案に暮れていた。


(フィナスさん、もしかして貴方は……)


 自分の心の中で何度か問いかけて、そしてそれを振り払って。


 それから数日の間は、何事もない日々が続いた。

 ただ、ここ王都の動きが、少々騒がしい。

 馬に跨った騎士や魔法使いたちの動きが頻繁だ。

 セオドア大森林のある方角に常に注意を向け、警戒を厳にしているのだ。


「なあ、専門教室はどこにするんだ?」


 授業の合間の休憩時間に問いかけてきたのは、キースだ。

 今ここには彼の他に、ラムザ、ジェシカ、そしてフィナスがいる。

 数ある魔法の中で、どの分野を学んでいくのか。

 それを決める岐路が控えているのだ。


「僕は雷魔法の教室かな。僕の家は代々そうだし、一番得意なのはそれだしね」


「ですよね。ラムザ様は雷魔法、お上手です」


 ラムザの答えに、ジェシカもすかさず同意する。

 セオドア大森林において、何度もラムザに助けられたジェシカは、彼の実力を存分に知っている。


「ありがとう。ジェシカさんは、どうされるんですか?」


「私は……氷魔法にしようかと思っています。全然上手くできないけど、昔からそうしたいって思っていたから」


「そうですか。練習を重ねれば、まだまだ大丈夫ですよ」


「はい、ありがとうございます」


 ほんのりと頬を赤らめて俯き加減になるジェシカ。

 そんな彼女のことを、フィナスは微笑ましく思う。


「キース様は、やっぱり風魔法ですか? 王家は、代々そうですよね?」


「まあ……そうだな。別に家がどうとか関係はないけど、いちいち迷うのも面倒くさいし、卒業するには一番の近道だろうからな」


 理由はともかくとして、キースにも迷いはないようだ。


「フィナスはどうするんだよ?」


 問われて、また考え込むフィナス。

 自分に何ができるのだろうかと、ずっと思い続けていた。

 けれど今は、心の中に、小さな光が芽生えていた。

 これから先の道を照らすにしては、まだまだ小さいけれど。


「私は……氷魔法にしようかなって思ってる」


「そうか、いいんじゃないか」


 俯いて下を向くフィナスに、涼しい視線を落とすキース。


 ずっと迷っていたけれど、リリアンと話をしてから、心が定まったように思える。

 フォルケンという人物とは、まだ会ったこともないし、喋ったこともない。

 けれど、リリアンほどの人物が尊敬の目を向ける者であれば、間違いはないだろう。

 きっとこんな自分でも、受け入れてくれるはず。

 フィナスはそんなふうに思うようになった。


「ええっと、フィナス・マーガッレッタさん、いますか!?」


 教室の中に、フィナスを呼ぶ声が通り抜けた。

 見知らぬ顔の男性だ、教師ではないみたいだから、事務員だろうか。


「はい、フィナス・マーガレッタは私ですが」


「そうですか。ラーナリック・フォルケン先生から貴方に伝言があります。今日の放課後に、先生の研究室の方へ来て欲しいとのことです」


 ざわついていた教室に、さっと沈黙の風が吹いた。

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