第35話【ランチと恋心】

イシュラウド公爵家のランチの時間。

高い天井からは陽光がやわらかく降り注ぎ、

白いテーブルクロスの上では銀のカトラリーがきらめいていた。


白のスープ皿からは香草の香りを含んだ湯気が立ちのぼり、

温かいパンの香ばしい匂いが空気に混じる。

メイドたちが音も立てずに皿を並べ、家族の会話が穏やかに流れていく。


けれど――その中でひとり、クレノだけが浮かない顔をしていた。

スプーンを持ったまま、スープの表面をじっと見つめている。

心ここにあらず、という様子だった。


「……あら、どうしたの、クレノちゃん?」


対面に座るダルシェ夫人が、青の髪を揺らして首を傾げた。

明るい水色のドレスの裾が揺れ、香水の甘い香りがふわりと広がる。


「っ……す、すみません。その……」


クレノはスプーンを皿の縁に戻し、居心地悪そうに背筋を正した。

「どうすれば、ルミエ様の“理想”に近づけるか悩んでいまして……」


「まぁ!」


ダルシェが両手で頬を押さえ、まるで恋バナを聞いた令嬢のように目を輝かせた。


「ルミエールに、何か言われたの?」


「はい……。先日、“細すぎる”って……」


「まぁ~~っ!」

ダルシェは思わずおでこに手を当て、オーバーにため息をつく。

「もう、あの子ったら! 言葉を選ぶってことを知らないのねぇ!」


「婿殿」


重々しい声がテーブルの端から響く。

エールド公爵が、ナイフとフォークをそっと置き、顎に手を添えた。


「筋肉をつけるには――肉だ」


「……肉、ですか?」


クレノがきょとんと目を丸くする。

エールドは真剣な眼差しで頷いた。


「肉を喰い、筋を鍛える。それが男の基礎だ。

 体を作るには、日々の積み重ねが必要だ」


「は、はいっ!」


まっすぐな返事に、エールドは満足げにうなずいた。

そして一呼吸置いて、ふいに声の調子を変える。


「ところで……婿殿。お前は、ルミエールのことが――好きか?」


その言葉が落ちた瞬間、クレノの手がぴたりと止まった。

金の瞳が見開かれ、頬が瞬く間に朱に染まっていく。


「す……す、す……好きですっ……!」


即答。

その声は裏返り、スプーンがカランと皿の上で跳ねた。

ダルシェが「まぁまぁ」と笑いを噛み殺し、

エールドは一拍置いてから、豪快に笑い声を上げた。


「はっはっはっはっ! そうか、それでこそ男だ!」


「えっ……!」


「ならば、もっと食え! 食って強くなれ! あの娘はな、並の男では務まらん!」


「は、はいっ!」


涙目になりながらも、クレノは頬を赤く染めたまま大皿に手を伸ばした。

ローストビーフを一枚取り上げ、ぎゅっとフォークを握る。

その手には、もはや覚悟のようなものが宿っていた。


「……ルミエールもね、本当はクレノちゃんのこと好きなのにねぇ」


ぽつりとダルシェが呟いた。

――その瞬間。


「ゴホッ、ゴホッ!!」


クレノが盛大にむせた。

胸を押さえ、咳き込みながら目を白黒させる。


「だ、大丈夫!?」


「ほ、本当ですか!? い、今の……っ!」


水を渡されながら、クレノは顔を真っ赤にして問い返した。

ダルシェはにっこりと笑い、声をひそめて言う。


「見てれば分かるわよ。

 あの子、ぶっきらぼうだけどね――感情はすぐ顔に出るの。

 それにね……」


少し身を乗り出し、いたずらっぽく目を細める。


「戦功の褒賞として、あの子が王に“至高婚姻特権”を願い出たのも――

 クレノちゃんのためだったのよ?」


「……っ」


クレノの手が止まる。

金の瞳が大きく揺れ、胸の奥で何かが弾けるように熱を持った。


「……そ、そんな……」


驚きと戸惑い、そして喜びが一度に押し寄せる。

その表情を見て、ダルシェはそっと人差し指を唇に当てた。


「内緒よ?」


「……ダルシェ、喋りすぎだ」


エールドがわざとらしく咳払いをして牽制するが、

ダルシェはくすくすと笑い、椅子の背にもたれた。


「だってぇ、可愛いんですもの。応援したくなっちゃうわ」


その明るい笑顔に、クレノの胸がじんわりと温かくなる。

こみ上げる想いを押し殺すように、彼は姿勢を正した。


「……ありがとうございます。僕……頑張ります!」


「まぁ、いい子ねぇ……」


ダルシェが目を細め、嬉しそうに手を叩く。

そのやりとりを横目で見ていたエールドは、

少しだけ目尻を下げながら呟いた。


「……ふむ。ルミエールもようやく、良い伴侶を見つけたものだ」


クレノは恥ずかしそうに俯きながらも、胸の内に静かな決意を燃やした。

(――もっと、強くなりたい。

 彼女の隣に立てるように。守られるだけの自分じゃなくて)


「……あの……!」


顔を上げたクレノが、真剣な声で言う。

「僕は、どうすればちゃんとした“夫”になれるでしょうか!」


真っ直ぐな問いに、ダルシェは一瞬目を瞬かせ――

次の瞬間、にっこりと笑った。


「そんなの、簡単よ!」


クレノが思わず身を乗り出す。


「え……?」


「キスでもしちゃえばいいのよ! ねぇ、あなた!」


「ごほっ……ごほごほっ!!」


今度はエールドが盛大に咳き込んだ。

ナイフを握った手が止まり、肩を震わせながら固まる。


「ちょ、ちょっと、義母様っ……!」


クレノの声が裏返り、耳まで真っ赤になる。

ダルシェはまるで悪戯を成功させた少女のように笑って言った。


「ルミエールの“産みの親”として、許可するわ!」


「え、えぇ~~~~っ!!」


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