いつも通りじゃない私

『土曜日、空いてる?』

 この短文を送るために、1時間もかかってしまった。でもそれは仕方のないことだと思う。だって、私たちが会うのはいつも放課後だし、私から会おうなんていうのは初めてだから。要するに、打ち慣れていないのだ。この時間に、この言葉を、寝転がりながら。

 

でもやっと送れた……って余韻に浸る暇もなく、下にいるお母さんが叫ぶ。私は今から洗濯物を取り込まないといけないらしい。重たい体を持ち上げて立ち上がって、窓を開ける。するとすぐに風が頬をひっぱたく。

 

 ベランダに出ると、ごちゃごちゃと頭に浮かべた言い訳が、寒い風に吹き飛ばされていく。


 私、色々考えすぎてた。白河さんが誘いを断ったらどうしようとか、そもそも返信してくれないかもとか。


 そして、一緒に遊ぶって言ったって、どこで?とか。


 でも、悩む必要はない。だってそもそも私は白河さんのことを全然知らないんだから。


 秋の風でパリッと乾いたシャツをカゴに突っ込む。早足な冬がほんのりと張り付いているからか、丁寧にやる余裕がないくらいに冷たい。


 手が霜焼けになっちゃいそうだから手早く済ませて、部屋に戻る。暖房はまだ付けていないから、体に纏わり付いた寒さは取れない。でも、体の芯は熱い。


 この熱を冷ましたくて、スマホを手に取った。


手が震えるのは寒さのせいで、心臓のせいじゃない。


 言い聞かせながら電源をつけると、白河さんからの返信が見えて安心した……安心?

 

 うまく飲み込めない2文字をため息に混ぜて吐き出す。白河さんが関わるっている私の感情は、よくわからないし、たぶんよくわからないままにしておいた方がいいのだろう。


 感情を飲み込んで、トーク画面を見る。そして、そして……で、でーと――じゃなくて土曜日のことが決まった。


 飲み込んだ唾液が硬い。


 『空いてる』ってだけ。一言。意外と口数は多いけど平坦で冷たい彼女の声が脳内で再生される。


 いつだって白河さんは冷たい。優しくもないし温かくもない。だけど、やけに声が脳に響く。きっとこれは、彼女の声が低いせいだ。私は優しい人の方が好きだ。土曜日空いてる?って質問に対して、『空いてる!どっか行くの?』とか、そういうことを言ってくれる人のほうが好きだし、世の中のほとんどの人は私と同じ意見だと思う。


 だけど、今私の胸の中を満たすのは、ちくちくしたものではない。


 それがとても、とても不自然だ。


 再び階下からお母さんの声が聞こえてきたから、スマホを置いて、部屋を出た。美味しそうな匂いが鼻の奥に入りこんできたけど、頭の中を埋め尽くすのは食欲じゃない。ファンデーションがもうほとんどないから、買いに行かなきゃってことだけだった。


 ――

 

 白河さんが急遽、バイトのシフトに出なくてはいけないことになったから、会うのは夕方になった。


 気温がよくわからなくて着ていく服に迷っていたからちょうどいい。って自分を誤魔化したけど、もう心臓は限界な気がする。

 

 この待ち時間がとんでもなく憎い。私は昔から時間を守る人間だから、麻衣とか遥と違って約束を寝過ごすこともなければ、数分の遅刻もしない。予定があると、気になって仕方がないのだ。特に理由はない。ただ予定があるっていう事実だけが私の頭を支配する。 


 だから今回だって一緒だ。そういう時間が長くなったから、少しだけ緊張するだけ。

それ、だけ。だからとりあえず、顔に下地を塗った。

 

 外で遊ぶときは学校よりもちゃんとメイクをする。今日は時間もあるし、気合いを入れてメイクをしない理由はない。


 だけどなんかしっくりこない。遥とか麻衣と遊ぶときとは話が違うのだ。白河さんはたぶんメイクをしてこないし、服装だって派手ではないはず。


 私は人と違うのが好きじゃない。周りにいる人と歩調を合わせたい。だから人に合わせる。でも、だからといって白河さんに合わせてすっぴんで外に出たくはない。メイクをし始めたのは中学二年生だから、そのまま外を出歩くことにまだ抵抗はない。だからそういうことじゃない。そういうことではない。


 合わせるとか合わせないとか、浮くとか浮かないとかじゃない。


 たぶん、いつもと違うって思って欲しい。

 

 ――いつもより可愛いって。

 

 でも別に、可愛いと思われたいなんて当然だ。変なことじゃない。だから、ファンデーションを手に乗せた。そして、顔に広げる。慎重に眉毛を書く。そして次は、まぶたの上に薄く影を落とす。鏡の私を睨んで、涙袋をペンで書く。いつもは書かないアイラインは少したれ目気味で。

 

お母さんに借りたライターでビューラーをあぶって、まつげを上げる。

 

 キッチンにいるお母さんにライターを返すと「気合入ってんね」と真面目な顔で言われた。「そんなことないから」と返すと、ふっと笑われて、お母さんはタバコに火をつけた。吐き出された煙は一直線。換気扇に吸われたけど、ちょっと匂いが漂った。いつもの、慣れてる匂い。


 約束した時間まであと1時間。意外とゆっくりできない時間だから、クローゼットからブラウスを取って羽織る。何を焦ったのかわかんない。その上に白くてモフモフしてるカーディガン。だけど先にメイクしたのはミス。でも仕方ないからこれしか着られない。そして、えっと……スカートかズボンかは迷うほどの問題ではない。


 ではないけどあまり履かないプリーツスカートを手に取った。

 

 

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