5話 みんな同じ距離でいい……はずだけど
白河さんは冷たすぎる
今日のハグは5回目。
白河さんがなんでハグに1万円も払ったのかって問いの答えは、濁された。癒される?って聞いたけど、答えはなかった。
否定されたわけじゃないから、たぶん図星だ……なんて反省会を開く暇はないみたい。
麻衣が私の腕を絡めとる。
「ねー、まじでなにしてんのー?」
「あ、いや」
「返信来ないしさ。めっちゃ探したんだけどー」
「ほんっとごめん。マジで寝てた」
立ち話ってわけにもいかないから歩き出したけど、麻衣が私の右腕に絡みついたまま付いてくる。
「えー、絶対怪しいそれ」
「怪しいってなにが」
「男といちゃついてた、絶対」
男じゃない。けどつまり、半分正解だ。
いちゃついてた、って表現されるのは嫌だけど、客観的に見たらいちゃつきだ。
「ちがうよー」
「えー?」
「まじで疲れてただけだって。ほんと、何にもないからね?」
階段に差し掛かっても麻衣は離れてくれないし、引き下がらない。疑り深いというか、勘が鋭いというか。
「……まあいいけどさ、ダメだからね?」
「駄目って言われても……」
「誰かとイイ感じになっても付き合っちゃ駄目」
麻衣の声は平坦で、冗談には聞こえない。
いつもの私だったら、適当に流す。
「それは、なんで?」
だけど今は違う。私の手を包む麻衣の力が緩む。
特別な誰かを作りたくないって思いは変わらない。麻衣も遥も大事だし、仲良くしてくれる人みんなと同じ距離で接していたいのは本当。
「なんでって、日向ちゃんは可愛いから」
「ど、どういうことなの」
答えになってない答えを言いながら、麻衣が寄りかかってきて、控え目なオリエンタルな香りが鼻をくすぐる。
「みんなの日向だから」
「それは、まあそうならいいんだけど」
「そもそも、この学校に日向と釣り合う男なんか居ないよ」
「……そう?」
男子は知らない。部活に入ってる遥や、そもそも恋愛体質な麻衣とは違って、あんまり関わりがないから。
「誰も、日向の特別になれるような人はいないし。私ら以外にね」
「かもね」
骨を伝う自分の声に棘があったのは、気のせいだろうか。麻衣は友達。それを特別っていうならそうかもしれないけど、私の認識とはちょっと違う。私の中では、誰も特別じゃない。
「私、ちょっと今日この後予定あるからさ」
階段を降り切ってすぐ、握った手を解く。
白河さんを誘ったから。麻衣は友達で、白河さんはわからない。だけどそもそも友達かどうかとか関係なく、先にした約束を優先するべきだ。
「え?一緒に帰ろーよ?あやしいな」
「……ま、どこも寄らないなら」
「寄らないよ?」
「ほら、もしどっか行こうってなった時に断ったら悪いし」
「全然いいのに」
多分麻衣は、結構強めに言わないと帰してくれないだろうし、私はあんまり強く拒否できない。
「一緒に帰ろ」なんて誘ったのに、私がうやむやにしてしまった。白河さんに申し訳ないな、と思ったけど彼女は返事しなかった。多分、断っていたんだろうな。
ローファーに履き替えて校舎を出ると、ひんやりした風が頬を撫でた。ブレザーを着ておいてよかった。それにスカートの下には体育のハーフパンツを履いたままだし、防寒対策は十分だ。……そんなに寒くないけど。
「暗くなるの早いねー」
麻衣が私にくっついてくる。頭のてっぺんに軽く顎が当たってちょっと痛かった。
「そうだね」
今日はやけに麻衣の距離感が近い。そして、温かい。柔らかさと一緒に温度と華やかで大人っぽい香りがぶつかってくる。
ほのかに香るレモングラスの向こうにはシナモン。そしてその奥に、微かなサンダルウッド。どこの、なんて名前の香水かは知らないけど、私と趣味が合わないのは確かだ。
「日向、香水変えたよね?」
「うん。この前買ったんだ。ずっと欲しかったやつ」
「えー、いいなー」
あまり反応は良くない。白河さんは好きだと言っていたけど、麻衣の好みではないらしい。
白河さんは冷たいから、私の体温が高すぎるのだと思っていたけど、そうじゃない。
白河さんが冷たすぎるだけ。
冷たくて、細くて硬くて、甘い。麻衣が使ってる香水と比べたら、白河さんの香りの方が好き。
たぶん香水ではないけど、あのお花みたいな爽やかで甘い匂いが好きだ。
……好きだ、うん。”あの香り”は好き。別に、あれは人工的なものだし、柔軟剤か何かだから白河さんそのものの香りじゃない。
ひんやりした空気を吸い込んで、満たして、でも妙な熱は中和しきれない。
そして。
秋めいた、草の香りがほんのりと。
だけど、白河さんの香りのほうが強い。
「ねー、ハロウィンなのになんもしてなくね?」
「え、逆になんかするものなの?ハロウィンって」
「えー!?プリ撮ったりさ、したことない?中学んときとか」
「してない、なぁ」
猫耳はカバンに入っている。ハロウィンを全く意識していなかったわけじゃない。しかし、ただの遊び心だ。
「まーじー?」
「マジ」
「じゃあ……初めてもらっちゃうしかないね」
「いやいや、今日は予定あるし、遥いないし」
何かするなら、三人でした方がいい。
私は2人の真ん中で、お互いからは同じ距離。
「……ま、しょうがないか」
「ごめんね、ほんとに」
「いや、いいよ。しょうがないし」
麻衣の声には不満が滲んでいる。だけど、今日の私は無理できない。
ちょっと今は……一人になりたいかも。
――
「ただい、あ」
今日は家に誰もいない。さっき自分で鍵を開けたのに、すっかり忘れていた。
お母さんの帰りが遅いのは珍しくないけど、ただいまと言っておかえりが返ってこないのは少し寂しい。
今日はひとりになりたいとか思ったけど、やっぱり、だれか居た方がいい。
だって、余計なことをたくさん考えてしまうから。きっとご飯は用意されているし、お風呂も洗ってある。お母さんがいないってだけで、やるべきことはいつも通り。
ご飯は冷蔵庫にあるけど、まだお腹は空いていない。ソファに寝転がって、スマホを開く。
もちろん、白河さんからは何も送られていない。でも今日のことは私から謝った方がいい。
……いやでも、聞こえていなかったかもしれないし。
言い訳と倫理観がぐるぐる。
うん、やっぱりやめておこう。
……予定合わせ以外で連絡しても、白河さんにとっては迷惑なだけだろうし。
私はたぶん、明日の教室で白河さんに話しかけられても、受け入れられる。むしろ、嬉しい。あの部屋だけのつながりだと、どうしても白河さんは私の中で特別になってしまう。ああ、でもそれは――良くない。
どうすればいいかわからない。
一応、一言くらいは、送っておいたほうがいいかも。
トーク画面が予約だけで埋め尽くされてしまうち、それこそほかの誰との間でもない特別になってしまうし。
『さっき、ごめんね!麻衣に疑われたくなくて』と端的に。
友達みたく、雑談で埋め尽くされるのもなんか違うから。
もちろんそんなすぐに既読は付かない。
スマホを机に置いて、勢いをつけて立ち上がる。どん、と床に音が響く。
ご飯を食べて、またソファに帰ってきてしまう。スマホを持ち上げて開くけど、通知は来ていない。
白河さんから……っていうか麻衣からも遥からも、来ていない。
やっぱりちょっと、怒ってるのかな。聞こえなかったわけはないし、無視したってわけでもないだろう。
謝ったんだから許してよ。
これはわがままだってわかってるけどさ。
けど。
白河さんに嫌われるのは、ちょっと……いや結構嫌かも。だけどそれは、それは。
――なんでだろ。
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