第31話 素晴らしい日ノ本

絹の国の宣統皇帝が、自らの失敗した政策と愚かな戦争行為を棚に上げ、憑依されたかのように狂ったごとく言い訳を探し、自身の欠陥ある人格を無実の臣下に転嫁している時。


左遷された元廃太子李承昭は、追放同然の避けられない状況の中、激しい非難の風を頂き立ち尽くし、天津衛の港に佇んでいた。目の前には、今回絹の国と日本国の修好を担う豪華で気派な龍船「開皇号」が停泊していた。


彼は虚しく背後を振り返り、この事実を既に予期していたかのようだった。かつて自分の側に立ち、『太子党』を掲げて揺るがぬ忠誠を示したはずの盟友たちは、宣統皇帝の淫威に圧され、あまりにも脆弱的で、誰一人彼の見送りに来る勇気がなかった。


先日朝廷で彼のために声を上げ、悲惨にも亡くなった温和な老丞相――ボルジギン・カイセイを除き、残りは皆李承昭の窮地を漠然な仮面を被り、知らぬ存ぜぬを決め込み、あるいは遠くに避ける同僚である使節団の官員たちばかりだった。


その命惜しみの激しい官員たちの目には、今失脚し左遷された李承昭は、紫禁城の上空を旋回し吠える烏のようで、彼にまとわりつく疫病のような不運を恐れ、誰も近づこうとしなかった。


そこで、これら僥倖心を抱いた風見鶏のような者たちは、媚びへつらうような視線を、当朝名を馳せる勲功貴族――今回日本国へ派遣される使節団の持節正使にして礼部侍郎・安鈞宸の風華正茂な後ろ姿の後ろに投げかけた。


李承昭は振り返り、同僚に囲まれ熱烈な祝福の声を浴びる中、白皙の顔に得意満面の表情を浮かべる安鈞宸を一瞥し、俯いて首を振りながら、舷梯を踏みながら、一人で『開皇号』の船首に歩み上がった。


次々と押し寄せる波濤は、勇猛果敢に死を恐れぬ衛兵のように、港の防波堤に突進し、ダイヤモンドの如くきらめく飛沫を散らしていた。


「我が運命は、あの遥かなる異国で、逆転められるのであろうか?」


振り返ると、使節団の人間たちが神棚のように恭順な態度で導き、目を閉じて甘く蜜を塗ったような阿諛追従の言葉に耳を傾け、両手を背中に組んで颯爽と龍船に乗り込んでいく安鈞宸の姿があった。


李承昭の眉尻が突然ぴくりと動いた。不愉快の念が眉間に刻まれ、颯と吹く夕闇の中で凍結していく。黄金色の海岸線へと沈んでいく夕陽を眺め、濃厚な夕暮れの下に映し出される船首の、斜長い孤独な影が見えた。


「あの、我が国に侵略され傷害を受けた日ノ本。その国民や君臣は、我がような親に廃位された廃太子を、どう見るのだろうか?」


手を伸ばし宙に浮かせたまま、湿た空気が指の隙間をすり抜けるのを感じながら。落胆して頭を垂れ、自嘲的に笑った。


「彼らは、我がような寵愛を失い失脚した息子の卑劣な使命を許し、彼らの神々のように聖潔な存在、万民に敬愛される天皇に近づこうとする私を、受け入れてくれるのか?」


「皇太子…いや、今は『李副使』と呼ぶべきだな。」


急に、後方から我慢な声が響き渡った。嘲笑の声は船体を打つ波のようで、「李副使」という呼称を意図的に強調し、夕焼けに染まる頎瑟とした夕風に乗り、李承昭の袍の裾を翻し、腰に下げた錦花玉佩を顕にした。


この玉佩は、李承昭が誕生した夜、晴れ渡った夜空に現れた麒麟の祥瑞が徐々に収束しようとした瞬間、忽然空霊な鳳凰の吟に変わり、春雨殿内の寝台で出産中の蕭皇后の腹中に注ぎ込まれたという伝説がある。


内侍は喜びを胸に抱き、一息も休まず禁軍統領が自ら率いる秋鳶殿へ駆けつけ、殿内の月床で安婉児と睦み合っていた宣統皇帝に、春雨殿上空で起きた祥瑞を禀啓しようとした時だった。


男児の泣き声が、凝り固まった鳳吟と共に春雨殿の天井を突き破り、雲霧が晴れた夜空を貫き、皎潔で陰柔な銀月を引き立てた。


その時、産婆が李承昭の手に、火麒麟が七彩の祥雲を踏みしめ、鳳凰を誘い薫衣草の花畑を遨遊する模様の玉佩が、握られているのを発見した。これが李承昭が天上の星宿の転生であるという伝説の由来となった。


この高亢な泣き声が、途中で安婉児との睦みを中断させ、彼女の怨めしげな眼差しを受けながら慌てて服を着け、玄関を出た宣統皇帝の耳に届いた。


彼は廊道を歩き、内侍が差し出した龍袍を落ち着いて着込むと、遠くに燭火に照らされた春雨殿が見えた。


しかし、宣統皇帝が興奮しながら門に着いた時、殿内から突然「大変!皇后陛下が大出血です!」という慌ただしい叫び声が響いた。


殿門を強引的に押し開け、宣統皇帝は恐怖に歪んだ表情で蕭皇后の寝台に駆け寄り跪いた。


杏黄の綿布に包まれ泣いている李承昭を斜に見やると、目の奥に嫉妬の炎が燃え上がった。


この偽善な男は蕭皇后の次第に冷えていく手を強く握り、宝物を失った子どものように大声で泣き崩れた。


これが、宣統皇帝が皇后の前で誓いながら、心の中で李承昭を恨み続け「妖孽」と侮辱性した理由である。


宣統皇帝にとって、李承昭がこの世に生まれたことこそ、最愛の皇后を永遠に奪った原因だった。これは時間にも癒されない、この男の心の傷跡なのだ。


「開皇号」の甲板で、安鈞宸は掌を擦り合わせ、視線を貪婪に李承昭の腰の玉佩に定めた。


口元に邪悪な笑みを浮かべ、李承昭の傍に立ち、腕を枝の如く曲げ伸ばし指で頬を支え、上半身を船首の舷牆に寄りかかった。


「皇太子の身分を失っても、ここまで落ち着いていられるとはな。船首で自分の境遇にそぐわない美景を楽しんでいるとは。」


「安殿、あなたは本当に冗談がお好きですね。」


李承昭は一歩近づき、空に浮かび上がる明るい月光を頼りに、自然に手を伸ばして安鈞宸の肩に置き、身をかがめて耳元に寄せ、冷笑を噛み締めて言った。


「どこから私が今の状態を楽しんでいると思ったのですか。忘れないでください。私は今…」


両手を交差させながら頭上を回し、李承昭は安鈞宸を斜に見つめながら波打つような瞳を揺らし、直後だらりと背伸びをし、妖魅に微笑んだ。


「せいぜい日本国の女天皇に贈られる、皇族の身分だけを持つ贈物に過ぎません。同時に…今回の媾和の成否はすべて私の働き次第です。」


風音にほとんどかき消されるような声で、最後の一言を言い、笑みを含んで安鈞宸の顔に浮かんだ憎恐を振り返りながら、李承昭は腰の玉佩を解き、月光の照射と同じ角度に持ち上げた。


玉佩に彫られた雲を乗せた火麒麟と、凡世に降り立った玉鳳凰が、月宮に住むの女神の優しい凝視の下で、夜空を飾る明るい星明かりを引き立て、ラベンダーの心を癒す淡い香りの花畑を自由に楽しげに泳いでいるかのようだった。


「私は先に船室に戻って休みます。安殿、どうぞこの閑暇を存分にお楽しみください。」


李承昭が去った後、一陣の涼風がシュッシュっと安鈞宸の頬を掠め、鬢の髪に潜んでいた冷汗を吹き落とし、甲板に滴り落ち、汚く臭い暗い染みを広げた。


彼は船艙内の揺れる油灯を注視し、指関節がパキパキと鳴り、崖の岩が砕けるように、危機と無尽の殺意に潜む深い海底に落ちた。


「李承昭、この野郎が僕を脅かすとはな。覚えておけ、最期に笑うのは誰だか。」


数日後、絹の国の「開皇号」は出島の依都港に到着した。


ちょうど日本国の数隻の戦艦が海軍大臣元清川の指揮下で領海周辺で軍事演習を行っている最中だった。


安鈞宸が使節団を率いて出島の地に足を踏み入れ、海面で繰り広げられる盛況を怯懦に震えながら見守っていると、李承昭は独りで英霊広場に入り、朝日の下に聳え立ち雲に届くごとく聳える英霊碑を高く仰いだ。


石段を散策しながら上り、石碑に刻まれた一つ一つの名前を真剣に眺め、その中に宿る数万の英霊が自分という敵国の皇子に向かって放つ怒号を全身全霊で感じ取った。


もし父皇が東ゴシェン大陸を制覇しようとする野望を満たすため、汚い陰謀を巡らせ安藤俊秀と結託し、復興強盛へと歩み出した日本国を分裂させ。


さらには己の南海水師が日本国の腹地に障害なく迫れるよう、彼に長崎駐屯軍を領導て反乱の狼煙を挙げさせ、軍部の指導者が西洋国家ティロスに使節として赴いている隙に、日本列島を我が絹の国の版図に収めようとしたのではなかったら…


しかし、父皇が予想しなかった点が一つあった。それは日本国初代女天皇・秋篠宮優雪の強大な感召力だった。


彼女は国内に侵攻してきた絹の国南海水師を撃破し、叛乱で陥落した九州島を収復するため、天皇の尊貴を捨てて自ら鎧をまとい、衛国軍を率いて親征した。


さらに軍民協同が示した深い凝集力の下、日本海で南海水師を壊滅させる大海戦を展開、絹の国が自ら称する「戦に敗れず、攻めて克せず」という無敵神話を粉砕した。


まさにこの秋篠宮優雪が親自に指揮した九州島防衛戦で、日本国は衰退の歴史の暗闇時代を脱し、正式に国際強国の舞台に上ったのだ。


李承昭は悔恨に満ちて地に跪き、「優雪無功無徳、我が国億兆の子民を牽連す。九州島の役が勝利を得たは皆国民の扶持、将士の英勇な抗争に因る。優雪忝く天皇として、大和民族一億の子民に愧じる。特に書き謝罪す」という血で書かれた碑文を凝視し、悲痛に涙を落とした。


「申し訳ありません、申し訳ありません。絹の国を代表して、皆さんに謝罪いたします。」


まるで彼の悲しい泣き声が暖かい風に乗り海を渡ったかのようだった。連合艦隊旗艦「ヤマト号」の艦尾旗竿に、ゆっくりと太陽の新生を告げる「旭日」海軍旗が掲揚された。


「絹の国の皇太子よ、お立ちなさい。貴方の虔誠な心を、彼らも…必ず見ていらっしゃるでしょう。」


突然、月の隙間を抜ける桂の香りを撫でるナイチンゲールのように婉曲で甘美な声が、風に乗って悠然と響き、李承昭の耳に届いた。


彼が顔を上げ、振り返ると、秋篠宮優雪がいつの間にか後ろに立っていた。彼女は溢れ出す涙を細やかに拭い取り、蓮の花のように純粋で疵のない清麗な容貌で李承昭を見つめ、目に浮かぶ震えを抑え、静かで優美な笑顔を咲かせた。


「日ノ本へようこそ。」


彼女の後ろには、陸軍騎兵を両側に列し、自ら『日の丸』国旗を高く掲げる陸軍大臣・村上幸がいた。


彼は陸軍の制服に身を包み、俊敏な英姿で戦馬に跨り、座り姿は松のように凛としていた。肩と背中には厚い歴史が刻まれたかのようで、馬から降りた瞬間に有能で安定感十分した気質を現した。


軍靴の着地音は澄明で軽やか、雲が漂う水面を踏むようだった。表情は厳しく、手中の旗を掲揚手に渡した。


靴先を地面で軽く回し、急に身を回して雄偉な英霊碑に向き、朗々とした声が天空に響き渡り、集まった微風に幾重ものさざ波を立てた。


「全員、九州島防衛戦で戦死した数万の英霊国魂に、敬礼。」


彼の言葉が落ちた刹那、全員陸軍の視線が英霊碑に集中した。


儀仗隊が演奏する国歌『君が代』の悠揚で力強い旋律の中、国旗「日の丸」が英霊碑の隣の旗竿にゆっくりと昇っていった。


まるで空に燃え上がる赤い太陽のようで、場に居合わせた全ての人の幽玄な心底深くに、覇権の前で屈することのない強靭な魂を奮い立たせた。


連合艦隊の鳴らす汽笛のように、その磅礴たる声浪は巨竜が躍るが如く、英霊広場で唱えられる国歌――「千代に八千代に…」が彰らす大和民族一億の不屈果敢な精神は、必ずや世々代々金城鉄壁の雷池の如く守る絶美な海岸線に、永遠に「美しい日ノ本、世界一番の民族魂」を讃え続けるだろう。


長崎城の御所に戻ると、村上幸と元清川は軽い狩衣に着替え、秋篠宮優雪も九州島の輝かしい勝利を記念する白羽皇女鎧を脱ぎ、雪桜の紋様を描いた「素白十二単御衣」をまとった。


木村洋介や林文ら数名の大臣を招集し、洛雨殿で絹の国の使臣――安鈞宸を接見した。


殿内に入ると、安鈞宸は呆然と見つめ、元清川と村上幸という日本国の軍武力を代表する二人と共に、左側に跪坐する李承昭を見た。


彼は李承昭の前に走み寄ってはっきりさせようと思ったが、殿内に入り高御座に端座する秋篠宮優雪を見た途端、殿内に漂う異様な雰囲気に怖がらせられた。


この時、安鈞宸は錯覚を起こした。これは協議議和の会場ではなく、彼個人に向けられた審判するの処刑場だったのだ。


「外臣安鈞宸、日本国天皇陛下に拝謁いたします。」


安藤俊秀の首級を収めた木箱を捧げて、数歩進んだ。心の中で悪寒が走るように笑顔を無理に作り、安鈞宸は慌てた表情を引き締め地に跪いた。両手と頭部を同じ高さに保ち、上半身を低くして額を床の赤い絨毯に触れるや、大声で言った。


ところが、彼のこの振る舞いで皆の注意を引くと思ったのに、元清川は手を上げて口を覆い、村上幸の耳元に寄せて囁いた。「さっき何か音がしなかったか?洛雨殿に蝿が飛び込んだのではないか」。


聞いて、村上幸は口元に浮かんだ笑みを必死に堪え、眉をわずかに寄せて元清川を振り返った。「いや、この洛雨殿には我々二人の鬼神が座っているのだ。命知らずの蝿が飛び込むはずがない」。


囁き返すと、村上幸は床に置いた指先で一連の軽い音を叩き、琴鍵を弾くように舒朗で明瞭だった。


高御座に座る秋篠宮優雪は目を閉じてその水滴が床に落ちる音のような響きを聞き入り、忽ち顔を覆い精霊のようなささやきを噛み締めた浅笑を浮かべた。


その後姿勢を正し、美しい瞳で門外に立つ後姿を一瞥した。


「御宸使。」


「御宸使健次郎、陛下に参見いたします。」


言葉が終わらないうちに、御宸使は抱拳して跪座し、御所の玄関の外に立った。報告する声は遠雷が轟くようで、雄渾かつ高山のように悠遠で連綿と続き、依然と地に跪く安鈞宸を驚かせ、体ががくりと崩れ「ドスン」と地面に張り付いた。


堂下の物音は大きな反響は起こらず、秋篠宮優雪は廊下に跪座する御宸使を見て穏やかに言った。


「直ちに陸軍卿村上幸と海軍卿元清川の二人の大臣の邸宅へ赴き、二人の夫人に御所へ参るよう伝え、今晩の宴に同道してもらうのだ…」


言及末尾、彼女は首を傾けて左手側の首位に跪坐する李承昭を凝視し、指先で頬に掛けた衣袖の端を軽く摘んだ。振り返った一瞬的には既に穏やかな笑顔を浮かべていた。


「この絹の国からの皇太子――李承昭様です。」


「はい。」


御宸使が命を受けて退席すると、右側でずっと目を閉じて瞑想していた木村洋介が突然両眼を開いた。余光で急に地面に伏せている安鈞宸を睨み、彼の下の赤い絨毯は既に冷汗で濡れ、恐ろしい幽かな暗い染みを浮かべていた。


「陛下。」


跪坐みをずらして顔を上げ、秋篠宮優雪から投げかけられる温もりのある雪のような癒しの眼差しを迎え、木村洋介は掲げた両手を空中で半円を描き、突然両手を胸の前で重ね、指先で密かに安鈞宸を指し示した。


木村洋介の指先に目を向けると、秋篠宮優雪の黛眉が急に寄せられ、困惑の色が浮かんだ。


「何かご用件が?文部卿。」


「陛下、この絹の国からの安鈞宸朝臣がまだ堂下に跪いて、陛下のお召に応えるのを待っております。」


「木村文部大臣、この殿内に朝臣などおるはずがない。ましてや一方的に我々との平和協定を破った絹の国の者など。」


木村洋介の言葉を聞くと、傍らに跪坐していた林文が突然肘で彼を突き、口角を上げて陰森な笑容の弧を描きからかった。


ちょうどその時、ずっと死水に沈んだのように動かなかった安鈞宸が力を振い起こし、両手を胸に合わせて腰を曲げ一礼した。感謝の気持ちの眼差しで木村洋介を見つめ、次いで視線に絡みついた怨念を帯びて林文に向かって刺さし。


「申し上げます。僕は絹の国からの朝臣でございます。」


「朝臣ならば、立ち上がりなさい。ずっと地面に伏せていたのでは、見えないのも無理はない。」


袖を振って跪の痺れた膝を叩き、元清川は冷たい声で安鈞宸の媚びた態度を注視し、掌を口元に当てて深いあくびをした。空気中に漂う重い埃をすべて吸い込むかのようだった。


秋篠宮優雪は元清川のだらしない仕草を見て、五指を緋桜色の薄い唇に当てて甘い笑顔を浮かべた。垂れた眉尻が二輪の三日月のようで、頭を傾けて手を振って侍立するエミリーとソフィを呼び、上半身を傾けて御手すりに寄りかかり、手のひらで口元を隠して彼女たちの耳元で小声で言った。


「エミリーちゃん、ソフィちゃん、台所へ行って料理人に絹の国の特色に合った地方料理を多く作るよう伝えて。堂下の貴使が我々の料理に慣れないといけないから。」


ソフィとエミリーは揃ってニヤニヤと笑う安鈞宸に目を向け、美しい顔に嫌悪の色を浮かべたが、それでも手を組んでしなやかな腰を折り、声を揃えて言った。


「承知しました、陛下。」


エミリーとソフィが後殿を離れた後、秋篠宮優雪は垂れた指先を御手すりの雪桜模様に当て、目を細めて安鈞宸を凝視した。


「貴使は海波風浪を恐れず此処に参りましたが、何かご相談の件がおありでしょうか?」


「外臣はつつしんで我が国の宣統皇帝を代表し、天皇陛下に友好条約の再締結について商談するために参上いたしました。また、この反逆者安藤俊秀の首級を貴国に奉還いたします。」


千軍万馬を指揮権できる令箭を得たかのように、安鈞宸の顔に溜まっていた胆喪がすっかり消え、跪坐みを正して高御座の秋篠宮優雪を見上げ、右手を胸に当て得意げに言った。


眉をひそめて安鈞宸の放誕な態度を睨み、秋篠宮優雪は頬を支えて横目で李承昭を見つめ、指先でまつ毛に宿った一筋の光を払った。


「皇太子殿下、この使臣の申し上げることは事実でしょうか?」


「安殿のおっしゃる通り、一言一句真実でございます。」


李承昭は跪坐みを横に向け、胸に垂れる長髪が風に舞う。眼底に揺れる燭火が次第に蓮華が咲く模様を広げ、拱手して秋篠宮優雪を見つめ、声の調子を落ち着けて穏やかに言った。


「おっと…」


曲がった繊柔い玉指で額を突き、小指で耳たぶにつけた雪桜模様の耳飾りを軽く弾いた。星川のように清浄で明洌な瞳が収縮する間、闇夜の妖精のような誘惑的な眸影が不意に胸で手を組み、目蓋を閉じて儒雅な笑顔を湛える村上幸に落ちた。


余韻が天井に遠く響き渡り、村上幸が肩を叩いていた指先が突然止まった。目を開いた瞬間、銀河が眼窩に沿って流れ落ちるようで、安鈞宸の弱々しく蛍のような微かな震える体を照らした。


「それなら簡単です。講和と反逆者の首級は我々が受け入れることができます。しかし…修好はご免蒙ります。」


「これは…」


安鈞宸は首を縮めて村上幸を見つめた。突然草原を支配する雄獅に見つめられるようで、背中を流れる汗が湯気を立てる熱湯のようで焼けつき、広がった毛穴に染み込み「サラサラ」と低吟する骨を徐々に腐食していく。


その時、善人だと誤解していた木村洋介が狡桀に笑い、立ち上がり袖を振って衣袖についた塵を払い、蓮華が咲く如く素朴で風韻のある笑顔の秋篠宮優雪に、向かってお辞儀をした。


「陸軍卿のおっしゃる通りで、講和は受け入れられます。我が国は正義を主張し平和を愛する国ですから。しかし協約の継続は…」


身を横にしてゆっくりと安鈞宸の傍に歩いて行き、頭を上げて見つめた。時間と共に天井に潜む晦暗が広がるのに伴い、精霊の光粒が激しい反撃を開始するのを。


最後のもがく陰気が聖光で祓われると、木村洋介は回るのを止め、身をかがめて安鈞宸の恐れと蒼白に満ちた顔に近づき、二指で折り扇の扇骨を押さえ、顎を軽く突き捻くれた微笑を浮かべた。


「それに、その協約は既に貴国の皇帝に破り捨てられたではありませんか。今更協約の締結などあるはずがありません。」


その言葉を聞くと、安鈞宸が地面を支える両手が狂ったように震えた。無数の氷属性の蟻げ衣服越しに刺すようだった。


彼は惨めな驚惶に、既に硬直した両足を引きずって数歩退き、目の前のこの人を殺して心を砕く恐怖の若者と距離を取ろうとした。


「これは…これは、天皇陛下。」


慌てて視線は落ち着き払って御手すりにもたれかかり、目を怠惰にこの一切を眺めながらも黙して佇む秋篠宮優雪の身に落ちた。


最後に余光で李承昭の泰然として沈着な表情を捉えた時、安鈞宸は這い寄って彼の傍に哀れな様子を作り、衣の裾で顔に付いた涙と鼻水を拭い、嗄れた声で泣訴した。


「殿下、どうか臣のために一言でも言ってくだされ。」


「殿下?」


林文は軽蔑的に安鈞宸の次第に恐慌の黒潮に呑まれていく後姿を眺め、冷厳な皮肉の言葉は、時空を駆け抜ける白駒の如く、飛び越えて九天雲霄に直上し、骨身に沁みる清らかな氷片を降らせる。


「我々が収集した情報によれば、この李承昭皇太子は貴国皇帝陛下によって追放され、我が日本国へ送り込まれたのでしょう。」


「貴国の皇帝は本当に遊び好きですね。自分の実子すら慈しまないのに、今更我々に講和を持ちかけるなんて…本当に信じられるでしょうか?」


元清川は振り返って村上幸と目配せし、口元に自然と薄く冷やかな微笑が浮かび、肩を竦めて苦笑いを浮かべながら、懐から蘭の幽香を染み込ませた浅葱色のハンカチを挟み出し、安鈞宸の膝に投げつけた。


「早く顔に付いた涙の跡を拭いなさい。何と言っても貴方は大国の外使ですから。国事を協議する前に、まず身なりを整えることも肝心です。」


言葉が落ちると、安鈞宸は呆然と神情厳しい元清川を見つめ、腕を宙に浮かせてなかなか下ろせずにいた。


その時、李承昭は身をかがめてハンカチを拾い、元清川に感謝の気持ちにお辞儀をしたが、後者はただ頭を傾けて手を振っただけだった。


李承昭は指先でハンカチを軽く摘み、安鈞宸の顔に残った涙の跡を丁寧に拭いながら、柔らかな声で言った。


「この件は結局我が国に非があるのですから、安殿。この国の国民の仇討ち心を考慮すれば、天皇陛下と殿内の大臣も民心を鎮めるのに時間が必要です。ですから、ゆっくり進めましょう。」


李承昭の春陽に浴びるような笑顔の言葉は、安鈞宸の胸に残る焦燥を徐々に和らげ、彼は頷いて、目を伏せ、懺悔の涙があふれた。


安鈞宸の乱れた情緒が次第に収まるのを待たず、元清川の傍に跪坐する村上幸は突然腕を組み、首を傾けて冷やかに唸り、頬を膨らませて憤慨に呟いた。


「そうですとも。前の足で平和協定を締結したかと思えば、後ろから我々の油断に乗じて刃を突き刺すなんて。本当にそうなったら、今日の天真さに惨めな代償を払うことになるでしょう。」


「貴使も聞いた通り、私が貴国皇帝と講和するのを嫌がっているわけではありません。実は我々大臣が述べた懸念と、貴国皇太子が語った事実が、我々に慎重な検討を強いているのです。」


堂下の数人の心からの論述を聞き終えると、秋篠宮優雪は立ち上がり御階を下り、踏み出す一歩一歩が花草の清香を飾るようだった。


十二単御衣の最外層に紫緂の材質で織られた裳が、優雅に舞い踊り、踏み過ぎた赤い絨毯に群蝶が舞う波を揺らした。


洛雨殿の殿内がわびさびの霧紗に包まれ、周囲に漂う陰鬱な雰囲気が呼吸をさらに扼する時、村上幸は大臀筋に突然力を発揮し、流れるように立ち上がり高い位置から安鈞宸を見下ろした。右手で狩衣の袖を背中に回す。


「それに、貴国皇帝陛下は、このように信用を守らない。彼の悪辣な人柄を鑑み、我が国も貴国の信頼度を改めて評価する時間が必要だ。」


「本日の議事はこれまで。貴使は李承昭皇太子殿下と共に赤坂離宮へ暫く休息に戻りなさい。宴が始まる際、使者が通知に参ります。何せ今晩豊楽殿で催される国賓の宴では、あなた方が主役ですから。」


秋篠宮優雪は手を伸ばして空に舞う花弁を摘み、すぐに婉約な笑顔を浮かべ、心悸から立ち直った安鈞宸を振り返った。


右手をゆっくりと挙げ、李承昭の澄んだ清らかな眼差しに停まり、吉野山の霊性に満ちた和風に浸るような口調で、優美な姿から穏やかで晴雅な声を発した。


「改めて感謝の意を述べさせていただきます。遠方からいらっしゃったお二人の貴客を日本国へ歓迎いたします。わが国の魅力的で静謐な人情と風土を感じていただければ幸いです。」

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