第12話:最後の理性と、次の呪物の場所

光一の豹変は、美樹と茜にとって最大の障壁となった。


「この柱は、私と家族を守る、唯一の、完璧な柱だ!触るな!」


光一はまるで家の守護者のように、大黒柱の前に仁王立ちしている。その目は異常なまでの光を帯びており、もはや理性的な会話は不可能だと美樹は悟った。


「光一さん、落ち着いてください。私たちは、この家を直したいだけなんです」美樹は慎重に言葉を選んだ。


「出て行け。お前たちこそ、この家に異物を持ち込んでいる」光一は美樹が持っているバッグを指差した。「そのバッグを置いて、すぐに帰れ」


美樹はバッグを強く握りしめた。中には呪いの設計図である土屋の技術ノートの写しが入っている。これを渡すわけにはいかない。


「お父さん、もうやめて!」茜が光一の腕を掴んだが、光一は振り払った。


「茜!お前はまだ子どもだ。この家の安寧を乱すな!」


その騒ぎに、ソファで眠っていた秋乃がうっすらと目を開けた。秋乃は光一の姿を見て、恐怖で小さく悲鳴を上げて再びブランケットに顔を埋めた。彼女にとって、光一はもはや「夫」ではなく、「家」の一部、見張る看守になってしまったのだ。


「もういいわ、茜」美樹は低い声で言った。「今は引くしかない。光一さんの精神は、完全に土屋悟の呪いに乗っ取られてる」


美樹は諦めたふりをして、バッグを持ったまま玄関へと向かった。


「分かりました。今日はこれで失礼します」


美一が玄関を出る瞬間、光一は安堵したように息をついた。彼の視線は、再び大黒柱と秋乃のいるソファに戻った。


茜は美樹の後を追い、玄関先で素早く囁いた。「どうするの、お姉ちゃん!お父さんがああなったら、もう柱に近づけないよ!」


美樹は車に乗り込みながら、冷静に答えた。「呪いの核心は柱よ。でも、柱の呪いを取り除かなくても、他の呪物を取り除けば、家の『力』は弱まるはず」


美樹は助手席に座る茜にスマートフォンを見せた。そこには、土屋悟の技術ノートの、別のページが写っていた。


「血は柱。じゃあ、爪と歯はどこに埋め込まれているか?」


ノートには、『爪と髪:壁の隙間、換気口の周りに撒き、感覚を鈍らせる』、『歯:壁の継ぎ目に埋め、家族間の会話を破壊する』とあった。


「土屋は、書斎の壁の一部を不自然に継ぎ足していた。あの継ぎ目の中に、歯が埋め込まれている可能性が高いわ。歯は、会話や言葉を象徴する呪物。光一おじさんと秋乃おばさんが、言葉を交わせなくなったのは、この呪いのせいよ」


「書斎の壁…!でも、お父さん、今、書斎かリビングにいるよ!」


美樹は運転席でハンドルを握りしめた。「だからこそ、私が外から動く。茜、あなたに頼みたいことがある」


美樹は真剣な眼差しで茜を見つめた。


「土屋の呪いは、『家の中の人間』を支配し、『外の人間』を排除しようとする。でも、あなたはまだ、完全に支配されていない。そして、この家で唯一、光一おじさんの目を欺くことができる内側の人間よ」


「何をすればいいの?」


「光一おじさんを、一時的にでも書斎から引き離す必要がある。そして、書斎の壁の、不自然な継ぎ目を特定して。それができれば、呪いの核心に届く突破口になる」


茜は拳を握りしめた。家族を壊しに来たこの「完璧な家」に対して、自分もまた、内側からの反撃を開始する時が来たのだ。


美樹は車を発進させながら、もう一つ重要なことを付け加えた。


「あと一つ。お母さんが物置で聞いたという『言葉』…あれは、土屋悟の最後のメッセージかもしれない。その意味を解明しないと、この呪いを完全に止めることはできない」


茜は窓の外に遠ざかる家を見た。


完璧な白い壁。その壁の奥に、自分の家族を飲み込み、そして彼自身の狂気を残した職人の影が潜んでいる。

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