第10話:土屋悟の記録と、「柱の信仰」

美樹は車を飛ばし、深夜の工務店のオフィスへと急いだ。警備員に軽く挨拶を済ませ、人事記録の保管室へと向かう。彼女は工務店の人間として、この家を建てた職人、土屋悟の過去の記録を掘り起こさねばならなかった。


鍵を開けて資料を漁ること数十分。美樹は、数年前の古いファイルの中に、土屋悟の退職(行方不明)に関する顛末書と、彼が残した「技術ノート」を発見した。


顛末書は形式的なものだったが、技術ノートは違った。それは、彼の建築に関するメモではなく、まるで狂気の詩集のようなものだった。達筆な筆致で、家に対する異様なまでの執着が綴られている。


「家とは、ただの箱ではない。それは、人の精神を宿す、器である。私自身の魂の分身として、柱、梁、土台、全てに血肉の痕跡を残さねばならない。」


「完璧な家には、信仰が必要だ。それは住人に対する支配であり、私自身を不滅にするための祭壇である。最も太く、最も強い柱は、その信仰の核となる。」


美樹は震える手でページをめくった。「信仰の核」...間違いなく、茜の家にある大黒柱のことだ。


そして次のページには、恐るべき記録が残されていた。


【自筆メモ:『儀式』の記録】


・目標: 居住者の魂を完全に家に繋ぎとめる。


・材料(柱): 特殊加工を施したヒノキ材(他の建材とは独立)。


・呪物:


1.爪と髪: 生と死の境界。壁の隙間、換気口の周りに撒き、感覚を鈍らせる。


2.歯: 語り、噛み砕く力。壁の継ぎ目に埋め、家族間の会話を破壊する。


3.血(大黒柱): 生命の源。最も太い柱の基礎に染み込ませる。家の心臓とする。


・効果: 居住者は安息と錯覚し、家から離れることを恐怖する。


美樹は息を止めた。光一が訴えた換気口の消失は、単なる欠陥ではなかった。換気口を塞ぎ、外の世界との繋がりを断つことで、家を密閉された**「祭壇」**にするためだったのだ。秋乃の精神的な支配も、この「祭壇」効果によるものに他ならない。


そして、最も恐ろしい情報が、顛末書の裏側に走り書きされていた。


「前の家は、失敗。血が足りなかった。家の魂を完全に満たすには、より濃い、新鮮な血が必要だった。あの家族の崩壊は早すぎた。次こそは。」


「前の家…」美樹はパソコンで土屋悟が担当した過去の物件リストを調べた。杉山家が住む家の前に、土屋悟が関わった物件がもう一軒存在していた。その家も、築浅で売却されていた。


(前の住人は、この狂気に気づく前に逃げたのね。でも、土屋悟は自分の呪いが未完成だと判断した…)


美樹は、杉山家が前の住人よりも「より濃い、新鮮な血」、つまり「より深い精神的な支配」の実験台にされているのだと理解した。


時計を見ると、もう午前三時を過ぎていた。


美樹は技術ノートを写真に収め、すべてを元の場所に戻した。


「待ってて、茜。必ず、あの呪物を突き止める」


美樹は工務店を飛び出し、夜の闇の中、杉山家へと車を走らせた。彼女のバッグの中には、狂気の職人が遺した完璧な呪いの設計図が入っていた。

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