第24話

 雨の音で目覚めた。

 雨粒の音が大きい。外は土砂降りのようだ。

 寝返ろうと身体を動かすと何か引っ張られる感覚があり、和人は今病院にいることを思い出した。

 左肩が重く、鈍く痛んで呼吸を繰り返した。

 点滴のカテーテルは外されている。

 左肩を押さえながら、身体を起こした。傷口は熱を持っているのか、包帯越しでも熱いのが分かる。

 息を深く吐いた。

 若井の運転する車に乗っている最中、後部座席の和人は気を失ってしまった。そのまま肩の銃弾の摘出手術をした記憶も、ましてや病院に着いたことさえ気付かなかったのだ。手術後、誰かと話したことはぼんやり覚えているが、それが誰だったかは記憶にない。

 カーテンを開けると辺りは暗闇に包まれていた。

 室内に時計は見当たらない。

 ベットの横の棚の上に自分の腕時計を見つけ、時間を確認した。

 深夜の二時過ぎ。

 大人しくベットに戻ると肩を庇いながら身体を横たわる。

 はぁ――息を吐いた。

 ドクドクと脈打ち、筋肉の伸縮する音が耳の奥から聞こえる。

 無音の個室に響くは寒の雨。

 昨日の天気予報では雪だと言っていたが、これでは子供は残念がるだろうな――和人は耳を研ぎ澄ました。

 少し肌寒いが、身体が火照っているから丁度良く心地がいい。

 天井を見つめていると、廊下を歩く足音が聞こえた。見回りの看護婦だ。

 目を瞑り、近付いてくる足音がやがて通り過ぎるのを聞いた。

 再び静かになる。

 ――高木さんはどうなったろうか?

 犯罪者の心配をしている場合ではないが、昔は本当に仲が良かった――と思っている。だから簡単に切り離すことは出来ないし、水城譲を殺害したことは許せない――許すわけにはいかない。複雑な感情が和人の中で蠢いていた。

 多分一生切っても切り離せない運命にあるんだろうな――瞼の裏がチカチカして睡眠を妨げた。

 目を開けて暗闇の一点を見つめる。

 カタリ、と音がした。

 金属が擦れるような音だ。

 音の方へ首を動かす。

 暗闇の中に更に黒い人間のシルエットが見えた。

「――高木……さん?」

 直感でそうだと思った。

 黒い影がゆっくりこちらに近付いて来る。

 和人はのろりと身を起こしてベットから出ると、シルエットと向かい合った。

「無事、だったんですね」

「元々崩落寸前だったしな。脱出ルートくらい確保している」

 高木の姿を暗闇に慣れた目でしっかりと映した。

 泥に汚れても雨に濡れてもいない高木はコツコツと革靴を鳴らし、和人との距離を詰めた。

 和人は一歩下がりたかったが、ベットが邪魔をしている。

 トレンチコートの内ポケットに高木は手を入れ、拳銃を取り出すと和人の眉間に銃口を付けた。

「高木さん――」

「さようならだ――和人」

 引き金を引く。

「!」

 銃声と共に、和人は目を覚ました。

「――……っ!?」

 ――夢……?

 ベットに寝ていた。

 息が荒い。肩で呼吸を繰り返す。

 首だけを動かし、ドアを見た。

 部屋も暗ければ、ドア硝子越しの廊下も暗い。

 外は土砂降りの雨。窓に叩きつける雨音が激しく、カーテンは閉まっていなかった。

 部屋には時計は無いから、ベット横の棚の上に置かれた腕時計を見る。

 時刻は深夜三時。

 カテーテルが左腕に繋がっていて引き攣っている感覚があった。肩の状態は夢の中と同じで重苦しい。触るとやはり熱を持っている。

 簡単には起き上がれなくて、やはり今のは夢だったのだと実感した。

 時間が違うから見回りの看護婦は通らない。

 所々夢の中身と違うが、妙にリアルだった。

 緊張して時間が過ぎるのを待っていた和人は、いつの間にか再び眠ってしまった。

 夢は見なかった。

 多分見なかった。

 雨の音もしない――。

 次に目覚めたのは、日が昇った午前九時を少し回った頃だ。

 外は晴れていて太陽が目に痛い。頭はぼんやりしていて脳が仕事をするのを拒否している。

 医師が往診に来て、傷の具合が良ければ午後にも退院予定とのことだったが、発熱が手伝って見送りになってしまった。看護婦がほんの少しだけ窓を開けてくれると、温まった部屋に新鮮な冬空の冷たい風が心地よく、熱を持つ頬を冷やしてくれた。

 心地よく、ウトウトと睡魔が襲う。

 頭の隅では高木の顔が浮かんでいた。

 夢だったとしてもあまりに鮮明で、銃口の感触が今でも額に残っている。

 鳥肌が立った。

 ゾワゾワと両腕に嫌な感覚が走る。

 それが発熱のせいなのか、夢のせいなのか分からない。

「和?」

「あ――ああ……」 

「どうした? 傷の具合が良くないのか?」

 いつから寝ていたのか。宗次郎がスツールに座って和人の顔を覗き込んでいた。

「――熱はあるが、怪我は大したことない。本当は今日退院予定だった」

「大したことないってことはないだろ。弾が肩に入ったままだったんだから」

「それより、高木さんはどうですか? 見つかりました?」

 いや――宗次郎は首を振った。

「残念だが、地下洞窟は地上の廃寺が崩壊した時に埋まっちまった」

「――そうですか……」

 天井に視線を向ける。

 夢の通りなら、高木は別の脱出ルートを確保していて無事でいるはずだ。

 複雑な感情になった。

 生きていてほしい――だが、これ以上罪を重ねてほしくはない。このまま、出て来なければ――考えてしまう。

「涼太の方、今日見舞いに行ってきた。話せるまでに回復しているよ」

「そう――鶴子さんはどうですか?」

「ああ。検査の結果、睡眠薬を摂取していた。摂取量が成人女性の倍だったらしいが、身体には害はないそうだ」

「良かった」

 胸を撫で下ろした。

 巻き添えになった鶴子はなんとしても無事に帰らせたかったが、こんな形になってしまった。家族に謝っても謝りきれない。

 ――もし万が一、鶴子さんに後遺症が残ってしまったら……それも考えなければならないのだろう。

「和、もう休め。あとはこっちがやっておくから」

「ああ――頼んだ」

 眠くはないが、身体は睡眠を欲している。

 ふぅぅ――と、息を吐くように和人は眠りについた。

 暫く和人の疲れ切った顔を見ていると、規則正しい寝息が聞こえてくる。

 宗次郎は立ち上がって、窓の外を見た。この部屋は二階にある。地上を見下ろし、人の行き来を見守った。

 和人との会話の中で話題にしなかったが、警察署内で問題が起きた。

 大問題だ。

 宗次郎は和人の部屋から出て、周囲を凝視した。

 高木誠の存在、それが邪魔をする。

 石塚晋二郎が死んだ。

 死んだのだ。

 突然死――。

 拘置所内で今朝心肺停止状態で見つかり、すでに死後硬直が始まっていた。今検死に回している。

 和人に告げるべきか逡巡した結果、告げるべきではない――となったが、いくらなんでもさすがに今回ばかりは石塚の死に高木が関係しているとは思えない。それこそ拘置所内は厳重に管理されている。そんな状況では近付いてまで殺害するのは不可能。そうなると遠隔による殺人――まるで三文SF小説の超能力者だ。

 そんな話をしたら和人は怪訝な顔をするに違いない。

「頭を疑われちまうな」

「何が頭を疑われちまうんですか?」

 眠ったはずの和人が点滴スタンドを引き摺り、宗次郎の背後に立っていた。

「先生、具合はどうですか?」

 眠た気な顔で廊下で待機していた若井が、和人の顔を見て一瞬で明るい表情になった。ここ最近若井は非番の折、和人の著書を読み込んでいてすっかり大の愛読者に変貌した。隙あらば、宗次郎は若井による小説談義に付き合わされている。

「ご心配お掛けしました。熱が下るまで入院ですが」

 あらぁ――――素っ頓狂な声が若井の口から漏れ出た。

「お前、寝たんじゃないのかよ?」

「お手洗いに起きたんです」

 水色の患者衣を着た和人はカラカラと点滴スタンドを引っ張り、廊下の角を曲がって去って行った。

「――ったく、気が気じゃねぇな」

 宗次郎は大袈裟に息を吐いた。

「若井、引き続き高木の捜索をしよう」

「はい!」

 二人の警察官が病院を出るその背を目で追い、和人は部屋に戻った。

 





 

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