第18話 ハロウィンゾンビ

十月三十一日。

ハロウィン。

カフェの窓の外を、仮装した若者たちが歩いていく。

魔女、吸血鬼、ゾンビ。

色とりどりの衣装。

賑やかな声。

「すごいですね」

笑美が、窓の外を見ながら言った。

「ハロウィンだからね」

僕は図面から顔を上げた。

「笑美は、ハロウィン、やらないの?」

「私、ああいうの苦手で」

笑美が苦笑した。

「仮装して騒ぐの」

「なんか、疲れちゃいそうで」

笑美がカウンターを拭いた。

「でも、楽しそうだよね」

僕が言った。

「楽しそうですね」

笑美が頷いた。

「みんな、いつもと違う自分になってる」

「普段は着ない服を着て」

「普段は言わないことを言って」

「普段はしないことをして」

笑美が窓の外を見た。

「解放されてるんでしょうね」

「解放、か」

僕が呟いた。

「ハロウィンって、面白いよね」

「面白い?」

「うん」

僕はコーヒーを淹れながら言った。

「みんな、仮装して、本当の姿を隠して」

「街中を歩いて、楽しむ」

「普段とは違う自分になれる」

「それが、面白いんだと思う」

笑美が、少し考えた。

「でも、新さん」

「うん」

「考えてみれば、逆かもしれませんね」

「逆?」

「ええ」

笑美が窓の外を見た。

「ハロウィンは、姿を隠して楽しむ」

「でも、普段は、本心を隠して社会に繰り出してる」

「姿を隠すのか、本性を隠すのか」

笑美がカウンターに手を置いた。

「どっちが本当の仮装なんでしょうね」

僕は、笑美を見た。

「本心を隠す?」

「はい」

笑美が頷いた。

「私、前の職場では、本音を言えなかったんです」

「上司には、いい顔をして」

「同僚には、当たり障りのないことを言って」

「お客さんには、笑顔で接して」

「本音なんて、言えなかった」

笑美がため息をついた。

「それが、社会人ってものだと思ってました」

「それって」

僕が言った。

「仮面をかぶってるのと同じだね」

「そうなんです」

笑美が頷いた。

「ハロウィンは、姿を隠して仮装する」

「でも、普段は、本性を隠して仮面をかぶる」

「どっちが本当の仮装なんでしょうね」

笑美が窓の外を見た。

「本性を隠して、仮面をかぶって生きていく」

「それって、ある意味、ハロウィンのゾンビみたいじゃないですか」

「ゾンビ?」

僕が聞いた。

「ええ」

笑美が言った。

「生きてるけど、生きてない」

「自分らしくないのに、自分として生きてる」

「それって、ゾンビみたいじゃないですか」

笑美がカップを拭いた。

「私、前の職場では、ゾンビだったんだと思います」

しばらく、沈黙があった。

「本音と建前」

笑美が呟いた。

「疲れる生き方ですよね」

「疲れるね」

僕は頷いた。

「でも、仕方ないのかもしれない」

笑美が言った。

「社会で生きていくためには」

「本音だけじゃ、やっていけない」

「建前も必要」

「それが、大人ってものだから」

笑美がコーヒーを淹れた。

「でも、疲れるんですよね」

「笑美は」

僕が聞いた。

「いつ本音を言えるの?」

「本音?」

笑美は、少し考えた。

「ここ、ですかね」

「ここ?」

「ええ、このカフェ」

笑美が微笑んだ。

「新さんには、本音を言えます」

「なんでだろうね」

「わかりません」

笑美が笑った。

「でも、新さんは、仮面をかぶってない気がするんです」

「だから、私も仮面を外せる」

僕は、少し驚いた。

「俺も、仮面をかぶってるかもしれないよ」

「そうですか?」

笑美が首を傾げた。

「新さんは、いつも新さんですよ」

「建築の話をしてる時も」

「コーヒーを淹れてる時も」

「お客さんと話してる時も」

「いつも、同じ新さん」

笑美が窓の外を見た。

「仮面をかぶってないと思います」

「そうかな」

僕は呟いた。

「自分では、わからないけど」

「わからないですよね」

笑美が頷いた。

「仮面をかぶり続けていると」

「仮面が、自分になっちゃう」

「それが、怖いんです」

笑美がカウンターを拭いた。

「でも、ここでは、仮面を外せます」

「新さんと話してる時は、本音を言えます」

「それが、嬉しいんです」

窓の外を、ゾンビに仮装した若者が歩いていった。

顔を白く塗って。

血のりをつけて。

楽しそうに笑いながら。

「あのゾンビたちは」

僕が言った。

「楽しそうだね」

「楽しそうですね」

笑美が頷いた。

「でも、明日には、また普通に戻る」

「仮装を脱いで」

「スーツを着て」

「会社に行く」

「そして」

笑美が続けた。

「また、仮面をかぶる」

「本音を隠して」

「建前で話す」

「それが、社会人」

笑美がため息をついた。

「ハロウィンは、一年に一度」

「でも、私たちは、毎日ハロウィンなんですよね」

「毎日、仮面をかぶって」

「本性を隠して」

「社会を歩いてる」

「それが、ハロウィンゾンビ」

僕は、窓の外を見た。

仮装した人たちが、笑いながら歩いていく。

「でも」

僕が言った。

「笑美は、ゾンビじゃないよ」

「え?」

「だって、今、本音を話してくれたじゃん」

僕は笑美を見た。

「それって、生きてるってことだよ」

「ゾンビは、本音なんて言わない」

「笑美は、ちゃんと生きてる」

笑美は、しばらく黙っていた。

「そうですね」

笑美が微笑んだ。

「そうかもしれませんね」

「ありがとうございます」

笑美がコーヒーを淹れた。

「このカフェがあって、良かった」

「仮面を外せる場所があって、良かった」

夕方。

ハロウィンの喧騒が、少し落ち着いてきた。

カフェの中に、柔らかい光が差し込む。

「新さん」

笑美が聞いた。

「新さんは、いつ仮面を外すんですか?」

「俺?」

僕は少し考えた。

「わからない」

「わからないんですか?」

「うん」

僕はコーヒーを飲んだ。

「もしかしたら、ずっと外してるのかもしれない」

「もしかしたら、ずっとかぶってるのかもしれない」

「自分では、わからないんだよね」

「でも」

僕が続けた。

「ここでは、外せてると思う」

「笑美と話してる時は」

「本音を言えてると思う」

僕は笑美を見た。

「だから、ありがとう」

笑美が微笑んだ。

「こちらこそ、ありがとうございます」

窓の外では、ハロウィンの夜が更けていく。

仮装した人たちが、楽しそうに歩いていく。

魔女、吸血鬼、ゾンビ。

色とりどりの衣装。

賑やかな声。

姿を隠して、楽しむ。

それが、ハロウィン。

でも、普段は、本性を隠して、生きてる。

それが、日常。

どっちが本当の仮装なのか。

ハロウィンゾンビ。

生きてるけど、生きてない。

自分らしくないのに、自分として生きてる。

それが、現代人。

でも、だからこそ。

仮面を外せる場所が、必要なんだ。

本音を言える場所が、必要なんだ。

このカフェが、そういう場所であればいい。

窓の外では、ゾンビが笑っていた。

仮装したゾンビが、楽しそうに笑っていた。

本物のゾンビは、笑わない。

仮面をかぶったまま、歩いてる。

それが、本物のゾンビ。

でも、ここでは、仮面を外せる。

ここでは、笑える。

ここでは、生きてる。


第十八話 了

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