第四話
「あづ~~~」
「あづいっすね~~~」
総体も終わり、新人戦も終わり、この時期になると開催される謎の親睦大会。大会は嫌いじゃないけど、地区予選と違って街のデカい競技場を二つも使うから移動がだるい。というかクソ暑い。
「でもミニョギヒョンが優勝するとこ、俺が見届けますよ」
「ありがと~」
「そういえばさっきウォノヒョンに会いましたよ」
「ふーん」
「なんか顔にデカイ絆創膏つけてた」
「…なんで?」
「さあ?」
正直、調子は絶好調だったのに、昨日のアレから、気持ちが…
「お~い、幅跳びの二人~」
「ん。ショヌヒョンだ」
「ちょっと本競技場からアイシングもってきて」
「え~~?僕ら今こっち来たとこですよ!」
「今からアップなんだ、スマン」
屋根から出ると日差しで肌がジリジリと焼けるように痛い。物を管理するマネージャーがいないことだけが、男子校陸上部の弱点だ。
「ジュホナ、いこ」
「あ、すんません、俺彼女とこっちで会う約束してて…」
「バーカ」
わざとダルそうに観客席の階段を下りて本競技場へ向かう。キヒョンがいたらじゃんけんだったのに。どこ行ったんだよ。
「なんだよみんな幸せそうにしやがってーーー、ずっと幸せでいろ!」
ロータリーを抜けて本競技場に入る。風の通る地下タータンでは次の種目の選手たちが体をならしていた。実は地下タータンの外周を抜けて行くと待機場所に早く行ける。この近道は多分キヒョンも知らない。
「しぶといな〜今回は」
ん?人がいる…
「ヒョン〜昨日誰といたのか教えてよ〜、言うだけだよ〜」
よく知ってる声だった。首をけだるげに傾けてスマホを持つあの細い腕は…
「ヒョンウォナ…誰と電話してんの?」
「…あ」
ヒョンウォンのデカイ目がこっちを向く。目の奥には光がない。
「関係ないだろ」
「教えてくれてもいいじゃん…!友達、だろ…」
別世界みたいに冷たい空間だった。首をつたう汗が急に冷えて寒気さえする。ヒョンウォンがはあ、とため息をついてゆっくりとまたスマホに目線を落とした。
「だいたいこういうのは恋人だろ」
「彼女のこと、ヒョンって呼ぶの…?」
ヤバ、今の僕名探偵みたいじゃなかった?
「…ッ?!?!」
一瞬視界が真っ白になる。状況が理解できなかった。首をつたう汗が細い指に押されてジワリと広がる。
「ッ…ウ……くる…し…ヒョンウォ、ナ…ほんとに僕は…きづかな…くて……」
「気づかなかった?友達に嘘つくなよ」
ヒョンウォンの伸びきった爪が首筋に入ってきて熱い痛みに変わる。いつのまにこんなに鍛えてたんだ。
「お前、なんで今日いい匂いすんの?」
「…」
「謝れよ」
「…………ッ」
「早く」
声は出せる。でも、謝ったらダメな気がする。ぐらぐらと歪んだ視界の中にあの細いネックレスが見えた。
「はな…して…」
もうこの頬を伝う水が涙か汗かわからない。呼吸が浅い。まさか殺すのか?僕は、殺されるのか?、もう… 息…が……
「ミニョガ…!?!?」
ああ、この声は…
「ッ…き…キヒョ、ナ……ァ…」
ヒョンウォンの手が解けて脳の血管に一気に酸素が入ってくる。呼吸の仕方がすぐには思い出せなかった。
「ッハ…ハァ…ハァ……」
「お前…!やっていいことと悪いことがあるだろ!!」
超セリフがキヒョンだな…
「ミニョガ、何でウォノヒョンが短距離やめたか、教えてやろっか」
「えっ…」
ヒョンウォンは視線を落としたまま冷たい声で続けた。開けてはいけない気がしていた重たい箱が、ついに開かれる。
「ウォノヒョンは入学前からエースだった。だからいつも地区大会は入賞、県大会では自動的にシード枠。でも2年の頭にスランプになった。調子が出なくて、ベストも更新できない。それでも、県大会はシードだった。なんでだと思う?」
「じ、実力があったから…?」
「記録が書き直されたから」
その言葉に僕は、昨日のウォノヒョンの寂しそうな目を思い出した。
「勿論改ざんしたのはその時のコーチでヒョンじゃない。でも、ヒョンは短距離をやめた」
「そんなの、ウォノヒョンがするはずないって誰だってわかっ…」
「世間が、どうやってわかるんだよ」
「…!」
「その時ウォノヒョンのそばにいたのは俺だ。ウォノヒョンが泣いてすがったのは俺だ。俺が、楽にしてあげた。だから、ウォノヒョンには、俺が必要なんだよ。」
言葉が出なかった。僕は、なにも知らなかったんだ。知ろうとしなかったのかもしれない。でも。ヒョンウォンの首に揺れるネックレスが太い鎖に見えた。
「だから、なに…?」
「…は?」
「そんなことにこだわってる時点で、恋愛じゃなくて支配じゃん…」
「………お前がウォノヒョンの何をわかって…」
「目覚ませよ」
「ウォノヒョンには、幸せになってもらわないと困る。でも、幸せにできるのはお前じゃない。」
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「じゃあ、結果が出たやつも、出なかったやつも、明日からの通常メニュー、国体に向けてしっかり体作るようにな」
「ありがとうございましたー!」
閉会する頃にはもう空に月が浮かんでいた。真っ白な競技場のライトが夜空の真ん中を照らして余計に寂しくさせる。
結局僕は幅跳びの収集時間に間に合わなくて失格になった。乗るはずだった表彰台の撮影待機場所にはジュホンだけがいる。
「ミニョガ、帰ろうよ」
競技場を眺めてボーッとしていると、キヒョンが僕のエナメルバッグを近くに降ろしていつものように話しかけてくる。
「先帰れば」
「でも…」
あーもう、なんだよ、
「笑えよ」
「え?」
「今日のミニョク、激ダサだなって思ってんだろ」
「そんなこと思ってないよ」
なんなんだよ、もう一人にさせてくれよ、それか盛大に笑えよ、
「なんで助けに来たんだよ!もう!!」
「だって、収集時間…」
「…そもそもなんであそこ知ってんだよ!」
「お前ベストでなかったときあそこでよく泣いてたから…」
「………何勝手に見てんだよ……!もお〜〜…」
「…ごめん」
キヒョンは何も悪くない。わかってた。けど、なんでこんなにうまくいかないんだ。なんで、僕ばっかり。
「バカにしてんだろ…!どうせキヒョンだって…」
「落ち着けよ」
「ダセーって思ったんだろ!」
「ミニョガ」
「男が好きなんて気持ち悪いって、バカにしてんだろ!」
「俺はずっとミニョクのことが好きだよ」
…?
今、なんて…
「俺が、お前をバカにできるわけないだろ」
「え…?」
真っ直ぐ、真っ直ぐ、キヒョンの目を見る。理由のわからない涙で視界がボヤけてよく見えない。でもキヒョンの目は、嘘を付いてる時の目じゃなかった。
「…………?…」
「これ」
紙袋を渡されてわけもわからず受け取る。ぐしゃぐしゃの包装紙に、いつも眺めてたあのショーウィンドウの店の名前が印刷されていた。
「ほんとはミニョクが優勝すると思ってたから、プレゼント」
「へ……?」
誰もいなくなった競技場の入り口で、紙袋を抱えたまま茫然と立ち尽くす。遠くなっていくキヒョンの背中がいつもと違う人に見えた。僕たち、親友だよな。ずっと。今までも、これからも。
『実はバイトしてて…』
『ちょっとほしいものがあるんだよ』
僕は本当に、
何も知らなかったんだ。
つづく
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