第4話 新しい環境

シャコシャコシャコシャコ――


 デッキブラシを片手に持ち、Tシャツと短パン姿で三人の男女が大浴場のタイルを一生懸命に磨いている姿は滑稽こっけいだ。


「も~最悪だよ~も~」


「もーもー五月蠅い!最悪なのはこっちだよ。睡眠不足は美容に悪いのにあんたの所為せいで終わるまで監視してなきゃいけない。さっさと真面目に働け」


 ブツブツ文句を言いながら一緒にタイルを磨いていた茶髪の人は、脱衣場で椅子に座り本を読んでいた濃緑色の髪の長い美人さんに怒られている。

 お風呂で騒いだ罰としてわたしとよくが洗い場の掃除をやらされていたが、後から寮の住人であろう二人の女子がやって来て一人が同じように手伝い始め、もう一人は監視役として来ている様子だった。


「あの~何故皆さんが手伝ってくれてるんですか?」

 

「え?ああ、いやまあ…ふへへへへ」


 わたしがそう聞くと何かを誤魔化そうとしているのか、苦笑いしながら泳いだ目が明後日の方を向くのがすごく怪しい。そんな中、横で怪訝けげんな顔で彼女を見ていた翼が突然大声を上げ怒り出す。


「あっ!そうか、そう言う事か、”のれん”交換の犯人はお前らか!」


「…らじゃない、わたしは関係ない」


「え~未来みき、止めなかったじゃん」


 どうやら聞くところによると、指摘を受けムスッとしている茶髪で八重歯が光る彼女は獅童しどうひろむと言い、202号室に住む一個上の先輩に当たる人物で、もう一人の知らん顔しているのが的場未来まとばみき、203号の住人だ。


「じゃあ、男湯に間違って入ったのってその悪戯のせい?」


「そう言う事だな。まったくロクな事しねーな、そんなんだから婆ちゃんに速攻でバレたんだろ」


「へへっ悪かったよ、夏恋かれんちゃんもごめんねえ、ちょっとしたサプライズのつもりだったの」

 ひろむさんが手を合わせながらウインクをバチバチしている姿に呆れながらも気のない返事をすると、なぜか翼が怒り出す。


「はあ」


「はあって…お前、もっと怒れよ、まったく」


 意図的に間違されたとは言え、翼と温泉で取っ組み合いをして水没させたあげく大事な部分を目撃してしまった事を考えるとちょっと顔が熱くなる。しかし見られ点に置いてはお互い様かなあ。


 そんな事を考えながら横にいるひろむ先輩を見て、妙な既視感を感じた。ジッと横顔を伺ってると彼女の方も視線に気が付き顔をこちらに向ける。


「なに夏恋ちゃん赤くなってるの?あたしの美しさに酔ったのかい?」


「ったく、くだらねえ事言ってねえで手を動かせよ」

 汚れと格闘をしている翼が、呆れた様にツッコミを入れてくるのを無視して気になることを聞いてみた。


「あ、いえ最近どこかで会った様な気がするんですが…いえ、わたしの勘違いかも」


「え?会ったじゃん、ドロドロ女から助けてやったろ?」

 そう言われ、あの時の猫耳付けたコスプレ少女がぼんやり頭に蘇る。


「え?あの‥‥‥まさかあのコスプレ女って…」


「こっ、コスプレじゃねーよ!! あれは…痛って!!」

――ゴスッ!


 突然飛んで来た本の持ち主の方を皆で見ると未来先輩が口に両手の人差し指をクロスして”黙れと”ジェスチャーをしていた。


「あ、あ、うん、、まあそれも含めて明日あたりに陣から説明あるからその時に聞いてくれ。でもあれはコスプレじゃねえからな」


「あ、はい」


 本当ならすぐにでも、何故あの場所に居たのかとか、何故あのコスプレ衣装であんなに強いのか色々聞きたい事があったが未来先輩の顔を見る限り疑問は明日に持ち越しになりそうであった。

 ひろむ先輩も翼もその後は黙々と風呂場の清掃に従事し始めたのでわたしも特に聞き返す事もなく作業を続けてゆく。


 23時を過ぎる頃、やっとこさ作業を終えクタクタになりながらようやく自室に戻り敷かれた布団に倒れ込むと、1分も経たないうちに深い眠りに落ちていた。



(お母さん、寮での生活は前途多難な様です)



◇◇◇



 四人が風呂場の掃除に従事している頃、母屋では大家で祖母の夏帆が眼鏡を掛けタブレットを片手に陣からの報告書を読んでいた。


「まあ、健康体だし基本は問題ないが、ちょっとお人よしすぎる性格は後々足を引っ張る事になりゃせんかな」


「問題ないと思います。ただ夏美博士は彼女用の指輪を用意していましたが、特に説明もされてないは意外でしたが」


「ふむ、まあわしが代わりに渡した時はまだ10歳の子供だったから特に教える必要もなかっただろうよ。だが大事故が起り赤石がばら撒かれた今は猫の手も借りたい状況でそうも言ってもいられん」


「…たしかにBチームが実働レベルになれば羊宮ようみや君の負担が大幅に減ります」


「まっ、多少不本意だが強制的に引き込んで徐々に理解させるしかないな。夏恋の為にも…」


 そう結論づけると彼女は大きくキセルの煙を吸いこみ、ふぅ~っと溜息の様に白い息を吐いた。陣は会釈を一度しながら立ち上がり、無言で立ち去ろうとすると再び声が掛かる。


「そういえば、あの馬鹿どもの様子はどうだい?」


「お耳に入れる程でもないですが、夏恋さんが居なくなって家事も料理も掃除もしない連中の辿り着く結果は大体同じです」

 事務的な顔でそう告げると、陣は軽く会釈をして去って行く。その後ろ姿を眺めながら夏帆はボソッと小さく呟いた。


「やれやれ、一ヶ月もしないうちに阿呆が乗り込んで来るかもしれないねえ、クックックックどう料理してくれようか」



◇◇◇



――ピピピピッピピピピッ


 スマホの目覚ましが耳元で鳴り響き、ガバっと起き上がりすぐさまアラームを止め画面を確認すると丁度、朝の5時を示していた。薄ぼんやりとした部屋の中を見渡たし、しばらく思考が停止していたが徐々に頭がクリアーになって行く。自分が今は祖母の経営する寮にいる事を再認識する事となる。


「ああそうか、叔母さんの所じゃなかった…」


 長年の習慣でついつい早起きをしてしまう。そんな自分に自嘲しながら立ち上がり、お手製の仏壇に挨拶しカーテンを開けて外を眺めると夜にはあまり気が付かなかったが、庭などが日本庭園式になっていて綺麗に整備され建物は完全に旅館そのものだ。

 その雰囲気に感心しながらふと母屋の方を見ると、既に灯りがついて換気口からは白い煙が上がっている。


 気になって母屋の炊事場を覗くと、さながらどこかの厨房の様にお婆ちゃんの指示の元、翼が右往左往しながらテーブルの上に並べられたお皿に焼き魚を次々載せて行き、食堂と思しき部屋へと次々運んで行く。

 様子を見ていたわたしに気が付き、お婆ちゃんが気が付き声を掛けて来る。


「おう夏恋、目さめたか。起きたならちょっと手伝いな、そっちの洗面所で顔洗っておいで」


「あ、うん」

 言われるがまま、近くの洗面所で顔を洗い、歯を磨いて厨房に戻ると寝間着のままエプロンを着用し、渡された紙にかかれた指示通り豆腐とネギの味噌汁、卵焼きを作り始めた。


 手際よく料理をしているわたしの姿を見て、味見ついでに感心した様な声が掛けられた。


「ほう、悪くないね。あの阿呆共の胃袋を支えて来ただけはある。ただ、卵焼きに砂糖はご法度だから次回・・からは入れない様にしな」


「うん、わかったよ」


 どうやらわたしが厨房の手伝いをするのは決定事項のようだ。実際料理を作るのは嫌いではないし、別に良いのだけど料理中に一つ気になる点があった。

 異常に一人前の量が多いのだ。体育会系の男子部員でもない限り朝からこんなに食べないだろうと思っていたが、その後思い知る事となる。



パクパクパク…モグモグモグ…


 物凄い勢いでテーブルに置かれた総菜や焼き魚も綺麗に骨になってゆく姿に唖然としながら箸を進めていると、対面に座るひろむ先輩が大きな茶碗をわたしに差し出して来る。


「かれん~、悪いけど後ろの御櫃おひつからご飯よそって~、もち大盛で」


「あ、はいはい」


 彼女の言う通り、ガッツリよそってあげ振り向くと出された茶碗が増えていた。


「あ、悪いけどわらひとあいにもお願いするよ」


 未来先輩が魚の骨を咥え、箸で隣に座る片目は髪で隠れフードを被った子を指しながら茶碗を指さす。後で聞いた話だが、片目の隠れた紫髪の彼女の名は蠍火藍かつびあいと言うらしい。

 小さい子でも結構食べるんだなあと思いつつご飯をよそい二人に茶碗を渡してると隣に座る悠里が下がった眼鏡を直しながら小声で話しかけて来た。


「驚いたでしょ?ここに住んでるみんなは何だかんだで大食いだからねえ。初めて此処に来た時は驚いたもんよ」


「そう言うあなたもでしょ?」


「正解!」

 ニカっと笑う彼女のお茶碗を受け取り、目一杯よそって手渡すと嬉しそうに受け取り箸で搔っ込み始めた。


「そういえば今日の味噌汁の味、いつもと違うな。卵焼きも甘い」

 ひろむ先輩が不思議そうな顔をして食べかけの卵焼きをクルクル回している。


「あ、すみません、それ作ったのわたしです。やっぱり甘すぎましたよね」


「お~かれんちゃん製かあ、いんやみそ汁はいつもよりうま…ゴホン、やさしい感じで良いし、卵はたまには甘いのもいいよねえ」


「だが砂糖の使いすぎはいかん。お前達は普段からお菓子ばかり喰ってるから普段の食事はなるべく栄養バランスを考えてるんだからな」


 上座で食べていたお婆ちゃんにジロリと睨まれたひろむ先輩が”へ~い”といたずら子の様な顔で卵焼きを口に運んでいる。

 こんな大勢で食事をするのは学校の行事以来久しぶりだ。そんなこんなで皆とテーブルを囲んだ食事も終わり、各々が食器を指定場所に片付け始める頃、食器を持ったわたしはお婆ちゃんに声を掛けられた。


「夏恋、後でわしの部屋に来な」


「あ、はい」


 食後のキセルパイプを吹かしながら座るお婆ちゃんの顔からは何を言われるのかはまったく想像も出来なかったが他の皆は分かってる様で、笑顔で自室に戻って行く。その姿を見送りながらテーブルを片付けている翼を手伝い、何を言われるんだろうなぁなんて考えながらからになった大皿を洗い場へと運んで行く。




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