第二夜:叶えられなかった夢の続き②

 俊介に引きずられるように病院へ駆けつけた時、制服に着替えていたから、どうにかして着替えたんだろうけど、着替えた記憶さえ曖昧で、いまひとつ覚えていない状態だった。思考回路は停止しかけていて、とにかく、全てのことが漠然としていたように思う。


 病棟に行ってナースセンターに顔を出したけど誰もいなくて、俺たちはマスクを付けて病室を覗いてみることにした。無菌室は出れてもまだ一般病棟には移れず、準無菌室の個室に孝太は移った。病室のドアは開いていて、覗いてみると、やっぱりそこに孝太の姿は無くて、千羽鶴がはみ出した段ボールひと箱と、看護師の岡本灯里おかもとあかりさんの後姿があった。


「あ、あかりんじゃ」


 と小声で俊介がつぶやき、肘で俺を小突いた。


 あかりんは孝太が入院した時からの担当看護師で二十一歳とまだ若く、ひよっこ新人ナースで、おっちょこちょいだけど、患者と真摯に向き合いひたむきで一生懸命な姿がいつも印象的だった。年齢がわりと近いこともあってか、しょっちゅう面会に来ていた俺や俊介もいつしか仲良くなっていた。


 いつもきちっとこげ茶色の長い髪の毛をひとつにまとめて、マスクをしていてもにこにこ笑顔なのが分かる、明るく元気な看護師だった。


 あかりんは「孝太くんがうちの初めての担当患者さんなんよ」と言って、一生懸命に患者やその家族と向き合い、孝太とは二人三脚で病に立ち向かっている姿が印象的だった。


 いつものように「あかりん!」と気安く声を掛けることが、俺も俊介も出来なかった。


 おそらく、事が起きる直前まで孝太が使用していたのだろう。薄手のホワイトグレーのタオルケットをしっかりと胸に抱き、華奢な肩を小刻みに震わせて、必死に何かに耐えるように、泣いていた。


 その頼りなさすぎる背中を見たら、声を掛けるなんて出来なかった。


 俊介もただ愕然と突っ立っていた。あかりんの小さな後ろ姿をふたりで呆然と眺めていると、ベテランの先輩看護師が俺たちに「ごめんなぁ」と声を掛けて、


「ちいと、岡本さん」


 と病室の中に駆け込むように入って行った。


「しっかりしられーね! みっともなかろう? こねぇなところで泣かんでくれる?」


「あっ……すみませ……」


 弾かれたように顔を上げて振り向いたあかりんは、泣き腫らした真っ赤な目で俺たちを見ると、


「千隼く……俊介くん……」


 あっという間に表情を歪めて、うわぁっと声を上げてタオルケットを抱きすくめたまま、床に泣き崩れてしまった。まるで悲鳴のようなその泣き声で、俺の大切な幼馴染みはもう生きていないんだと、唐突に理解した。


「えぇっ……嘘じゃよなぁ? ちいとちいと! 岡本さん、みっともないって言うとるよね?」


 頭に血が上った。かあっとなった。気付いた時にはもう後の祭りだった。


「ほら、立ってぇ、もぉ……」


 と泣き崩れたあかりんの腕をぶっきらぼうに引っ張り上げようとするその先輩看護師に、俺は腹の底から怒鳴り散らしていた。


「どこがじゃ! 何がみっともねえんじゃあ!」


 先輩看護師がぎょっと目を見開き、あかりんの腕を解放してフリーズした。あかりんも一瞬顔を上げたけれど、また直ぐにタオルケットを抱き締めて、泣き崩れた。


「悲しゅうて泣くことが、そねーにみっともねぇことなのか? 看護師は悲しゅうても泣いたらおえんのか? 悲しい時に泣くこともおえんのじゃったら、看護師なんぞ辞めてしまえ!」


 頭にきて、腹が立って、どうしようもなかった。


「すまんのじゃけど、あかりん。なんか寒うなって来た」


「ほんまに? 熱、上がってくるかもしれんね。ちいと待っとってね。孝太くん、うちにまかせといて! なんせうち、ナースエンジェルじゃけえさ」


 孝太が寒いと言えば、その小柄な体で毛布やら掛布団をせっせと働き蟻のように運び、孝太が熱を上げれば解熱剤を飲ませたり、何度も何度も検温しに足を運んでいた。


 治療の副作用で食欲が落ちれば「お粥にしてみようか」「素麺にも変更できるよ」といつも孝太に寄り添ってくれていた。


 それなのに、この先輩看護師は岡本灯里という、ひよっこの新米看護師の何をどこまで見ていて、知っていて、そんな心ないひと言を軽々と口にするのかと思うと、はらわたが煮えくり返った。


 確かに、鳴瀬孝太はすごい投手だった。プロも注目するようなスーパー高校生だった。秋季大会後はテレビや雑誌の取材の依頼も急激に増えた。マウンドに立っている時の孝太は、俺の自慢だった。


 でも、マウンドを下りればどこにでもいるごく普通の十七歳だった。細身の体型のわりにいつも腹ペコ食いしん坊で、えび飯が大好物で甘いものも大好きだった。授業中はいつも爆睡していて先生から怒られていたし、勉強は苦手で寝ても覚めても野球のことばかり考えているような高校生で。だから、入院にも治療にも、特に今後の野球人生にいちばん不安を抱える、まだたかが十七歳の高校生の病と闘う辛抱強さをいちばん近くで見守って来た彼女の何を評価して、みっともないなんて、そんなことを口にしたのか。


 世界中で感染症が流行し、家族でさえ以前のように面会も制限されるようになってしまったこのご時世で、孝太を家族よりも友人よりも誰よりもいちばん近くで支えてくれていた、あるひとりの看護師の何を分かって、そんな心ない言葉が飛び出したのかと思うと、頭にきて仕方なかった。


「みっともねえってなんじゃあっ!」


 先輩看護師に飛び掛かって行きそうな俺の腕を、俊介が痛いほどの力でつかんで引っ張った。


「やめろ! 落ち着けって、千隼!」


 その時だった。


「千隼くん! ごめんなさい! ほんまにごめんなぁ……うちのせいなんじゃ。うちが……うちのせいで孝太くんは」


 ぼろぼろとビー玉のように大粒の涙をあふれさせ、鼻水もたれ流しながら、あかりんはタオルケットに顔を埋めて、ぎゃああっと声をあげて、まるでふいごのように背中を上下させ泣き続けた。






「これ、孝太くんのお気に入りのタオルケットじゃったんよ。ふわふわで肌触りがええんじゃ、って。中学生の時からずっと使うとるんじゃ、って言うとった」


 面会室に移動して、俺と俊介とあかりんは窓辺の丸テーブルで話していた。


「千隼くんたちには内緒じゃって、バカにされてしまうけえ、言っとった」


 もふもふとやわらかそうなホワイトグレー色のタオルケットを大切そうに右手でなでながら、あかりんが教えてくれた。


 四月一日、昨日の検査で白血球の数値が安定してきたことが分かり、孝太は昼食後に、約二ヶ月の無菌室生活を終えて、準無菌室へ移ったそうだ。思いのほか体調も良くバイタルも安定していた孝太は「体が鈍ってしもうた」と無菌ユニット内を散歩してくると言って、ゆっくりではあったけれどてくてくと歩けるほど元気だったらしい。そして、ユニット内を二周して戻って来た孝太が、そのことを教えてくれたらしい。


『のう、あかりん。外に出る非常階段のドア、開いとったよ。取っ手が甘ぇみてーで、ぐらぐらしとった。鍵も掛からんみてーじゃ、危ねぇんじゃねえ?』


『ええ、またぁ? そうなんよ。実は一週間くらい前から調子悪いの。業者さんにゃあお願いしとるんじゃけど、部品がまだ来んのじゃって。後で見とくね。ありがとの、教えてくれて』


 外の非常階段へ出られるドアの取っ手部分が古くなって甘くなっていて、施錠をしても勝手に開いてしまうという事が、その一週間前からたびたびあったらしい。孝太に言われたあと、もう一度業者に催促の電話を入れて、応急処置でなんとか施錠をしてごまかしごまかし様子を見ることにしたそうだ。


「その時もなぁ、孝太くん、でぇれー嬉しそうに言うとったんよ」


『聞いてよ、あかりん。三宅先生からな、面会してもええよって許可おりたんじゃ。早速、千隼にラインしたんじゃ。早う会いてぇな。あいつに話してぇこと、ぎょうさんあるんじゃ』


「じゃけどな、今朝になって朝食の配膳に行ったら、孝太くん、昨日の元気が嘘やったみたいに顔色悪うてな。なんかだるいんじゃぁ言よって」


 あかりんが検温したところ、39度の熱が出ていたそうだ。ひとまず解熱剤で様子を見たら昼には平熱に戻って落ち着いたんじゃけど……とあかりんは肩をすくませて小さくなった。


「じゃけどな、また白血球の数値が異常値になってしもうたんよ」


 たった一日でだ。たった一日で、孝太はまた無菌室へ戻ることになってしまったのだ。でも、無菌室は三部屋しかなく、次の患者さんが入ったばかりで、満室。孝太はそのまま個室で隔離となり、面会もお預けとなってしまったのだ。


『のう、あかりん。またじゃ。またこねーなんになってしもうた。面会できんのじゃって。千隼に連絡せにゃあな。あかりん、俺さぁ、さすがにそろそろ疲れてきてしもうたなあ』


 そして、16時。


 バイタル測定と採血の為に病室に入ったあかりんが、孝太が居ないことに気付いたのだ。


「孝太くん、何も言わんでおらんようになるような子じゃないけぇ。うち、心配になって、トイレも浴室も面会室も。ユニット内ぜんぶ探したんじゃけど。けどな……どこにもおらんで」


 あかりんはその時、はっと思い出したそうだ。前日の、孝太との会話を。


『のう、あかりん。外に出る非常階段のドア、開いとったよ』


「いや、まさかな。そねーなんあり得ん、思うたんじゃ」


 最悪の事態を考えた自分に呆れつつも、非常階段に続くドアを確かめに行ったあかりんは、背筋が凍りついて足がすくんでしまったのだと言って、うつむいてしまった。


 風に煽られるようにカタカタと揺れ動く、非常階段へ出ることができるドア。緩んだ取っ手に括り付けられるように下がっていたのは、黒のスマホネック。いつも利き手とは逆の右肩から斜めに下げて、ユニット内を歩いていた孝太のスマホだったそうだ。


「孝太くんのスマホじゃゆうことはすぐに分かったよ。じゃって、ケースに、メジャーリーグに移籍した憧れの選手の写真、挟んであったけぇ」


 廊下の壁に画びょうで張り付けていたポスターの端が、非常階段のドアの隙間風にパタパタと音を立ててはためくのを見ながら、あかりんは、違う。きっと違う。そんなばかな行動なんかしない。と自分に言い聞かせてしばらく立ちすくんでいたそうだ。


「絶対に違う。絶対にあり得ん。そう思うて、ドア開けたの。そしたらな、スリッパが、な。……片方だけ残っとって」


 あかりんが階段の手すりから身を乗り出して下を見ると、真下のアスファルトの上に、人が倒れていたそうだ。八階という高さからでもはっきり見えたその姿は、あまりにも無残で残酷で、目を逸らしてしまったと、あかりんは言葉を詰まらせた。手も足もあり得ない方向に曲がり、とても人間とは思えない姿だったと、あかりんは言った。


「……孝太くんじゃった」


 孝太は、頭部挫傷、四肢骨折、胸腹部・脊椎外傷も伴う出血性ショックの状態だった。


 直ちに救命処置が行われたけれど、心肺機能は再開せず、その後、死亡が確認された。速やかに警察に連絡され、取り調べ、現場検証、検視の結果、遺書などは残されていなかったが、事件性は無く自殺と断定されたのだと、あかりんが涙ながらに教えてくれた。


 聞いている最中、俊介があまりにも泣くものだから、逆に俺は冷静だった。不思議なことに涙は一滴も出なかった。自分がいちばん自分のことが信じられないくらいだった。俺はまるで感情が欠落したように無の状態だった。


 嗚咽を漏らして泣く俊介の隣で、孝太のタオルケットを抱き締めてぽろぽろ涙をあふれさせるあかりんの前で、俺はと言えば、ただ呆けたようにぼんやりとしていた。


 孝太が死んでしまったのだと聞いている今も、その死んだということを受け入れることが出来ず困惑していた。死んだ、とかなんとか言って、実はまだ生きているんじゃないか、とか。どうにかすればかろうじて一命を取り留めることができたりするんじゃないか、ひとつくらい助かる方法があるんじゃないか、なんて。そんな事ばかり考えていた。


 孝太が、死んだ。その実感がまるで感じられなかった。もう会えないなんて思えなくて、どうしてなのかまた普通に会えるような気がしてならなかった。


「千隼」


 背後から呼ばれて振り向くと、面会室に孝太の両親が入って来たところだった。


「俊介くんも来てくれたんか。わりぃなぁ」


 警察や病院側からの説明を聞き終え、葬儀屋との手続きも終わらせて来たのだと、おじさんとおばちゃんが、俺たちに深々と頭を下げる。


「ごめんなぁ」


「本当にわりぃなあ」


 無反応のまま案山子のようにただ立ち尽くす俺の横で、


「いや……あの……」


 返す言葉が見つからない様子の俊介はくっと声を漏らしたあと、下唇をぎゅっと噛んでうつむいた。


「岡本さん」


 どれほど泣き明かしたのだろう。孝太とそっくりな色の目の周りまで真っ赤に腫らして、おばちゃんがあかりんに頭を下げる。


「ほんまに……ほんっまに、お世話になったねぇ。担当の看護師さんが岡本さんで、ほんまに良かった。孝太も、どれほど心強かったんか……あかりんなんて呼んで、なついとったけぇ」


 あかりんが椅子から立ち上がり、ふるふると首を振った。


「いいえ、うちはなんも……あの、うち……」


 せっかくのぱっちり二重まぶたが一重まぶたになってしまうほど泣いたはずなのに、あかりんはまた泣き出してしまった。


「うち……看護師、失格じゃぁ」


「そんなことないってぇ。ほんまに感謝しとるんじゃ。ありがとうございました」


 じゃから、泣かんで、とおばちゃんが小柄なあかりんの背中を何度も何度もさすった。


 そうか。そうなのか。ここまで一生懸命に、立派に孝太を支え続けたあかりんが看護師失格だというのなら。俺は親友失格だな。ごめんな、孝太。


 15時50分。あの時、俺が電話に出ていたらと思うと、たまらない気持ちになる。あの電話に出る事が出来ていたら、あいつのSOSを聞いてやることが出来ていたら。もしかしたら今も、孝太は生きていたんじゃないかと思ってしまう。


 あの電話で、孝太は一体、俺に何を話すつもりだったんだろう。もう、確かめることさえ叶わない。


「千隼、俊介くん」


 おじさんもまた、泣き腫らした目だった。


「孝太、のう……まだちいと、ふたりに会わせられるような状態じゃねえんじゃ」


 おじさんのひと言は、遺体の損傷が激しいことを意味していた。


 俺はゆっくりと瞬きをし、さらに慎重に唾を飲み込んだ。唾でさえ、うまく喉を通らなくて、戸惑った。


「これからのう、きれいにしてもろうてから家に帰ることになるんじゃ。遅うなってしまうけぇな……今日はもう帰りなさい」


 そうか。


 ようやっと、家に帰ることができるんだな、孝太は。入院したその日から、ずっと、帰りたい、帰りたい、言ってたからな。だけど、だけどな、孝太。これは、あんまりじゃないか。


 こんな帰り方はないだろう。孝太。


 病気を克服して、元気になって、笑って帰らなきゃだめだろうが。こんな悲しい帰り方はないだろうが。


 どうしてだ、孝太。


 たった一日の間に、お前の心にどんな変化があったのか、教えてくれても良かっただろ。お前はあの15時50分の電話で、俺に何を伝えようとしていたんだ。


「おじさん」


 俺の声に、おじさんが弾かれたように顔を上げる。


「悪いんじゃけど、孝太に会うまで、俺は受け入れることも、認めることもできんみてぇじゃ。このまま、おじさんたちと待たせてもらいてぇんじゃけど」


「俺も。俺も、千隼と一緒に待たせてもらえんじゃろうか……」


 お願いします、と俊介が頭を下げると、


「……っ……ふたりとも、すまんな……ごめんな。ありがとの」


 おじさんは真っ白なマスクの上からさらに手で口元を覆って、ううう、とくぐもった声を出して、泣き崩れてしまった。


 孝太。


 お前、こんな終わらせ方を思いついたのは、いつだ。今日、突発的にか。もしそうだったのなら、一億万歩譲って、許してやる。


 だけど、数カ月も前からの計画的犯行だったとしたら、俺は絶対に、お前のこと許さないからな。お前のその計画を、俺はひとつも聞いてないんだからな、絶対に許さない。


 結局、孝太と会えたのは、もうすっかり日が暮れて、21時を過ぎてからだった。春の夜空を、目玉焼きの黄身のようにまるく太った月が優しく照らしていたのを、鮮明に覚えている。


 エンバーミング施設から自宅に帰って来た孝太は、右頭部に包帯が巻かれ、あちこち補修されていて、皮肉なことに、入院して治療していた時よりよっぽど顔色が良く見えた。今にも目を開けて「のう、千隼」と笑うんじゃないかと期待してしまうほどだった。


 孝太、孝太。孝太。俊介とふたりで何度か名前を呼び続けたけれど、孝太は眠り呆けたまま、もう絶対に目を開けてはくれなかった。


「目ぇ開けろ言うとるんじゃぁ、孝太ぁ」


 ちばけるなぁ! と振り上げた俺の右手は、行き場を失ったままどこへも行けず、


「千隼ぁっ! もうやめろ!」


 結局、泣きじゃくる俊介の手に捕まえられてしまった。


「離せぇ、俊介」


「千隼……孝太は、闘うて疲れてしもうたんじゃ。頑張ったんじゃ。ちいと休ませたろう」


 なんでそれを俊介に言われなければならないのだろう。そんなことは、俺が一番分かっているのに。


 鳴瀬孝太がどんなやつなのか。どれほど努力家で、どれほど野球が大好きか。どんなに我慢強くて、辛抱強くて、どれほどすごいやつなのか。孝太のことは、この俺が誰よりも分かっている。


 何年、孝太のボールを受け続けて来たと思ってるんだ。俺だ。この俺が、孝太のことは、他の誰でもない、この俺が……一番分かっているんだと、思い込んでいた。


 でも、こんなことになってしまった今、分かったことは、俺は自分が思っていたほど、孝太のことを分かってやれていなかったという現実だった。


 あれほど一緒に居たのに。気付けばいつも一緒で、隣に居たのに。


 目の奥がぐつぐつと煮えたぎるように熱くなり、顎の下から何かが込み上げた。


 その時、やわらかな手で肩を叩かれた。顔を上げると、目を真っ赤に腫らしたおばちゃんと目が合った。孝太と同じ色のきれいな瞳が、真っ直ぐに俺を見つめて来るものだから、苦しくて、思わず目を逸らしてしまった。


「ごめんなぁ、おばちゃん……頼む……どうにかならんか?」


 どうにかして、孝太と話すことは出来ないのだろうか。


「聞きてぇことが、ぎょうさん、あるんじゃぁ……どうにかならんか?」


「どうにもならんのよ。ごめんなぁ、千隼……ごめんなぁ」


 おばちゃんが膝から崩れ落ちる気配を横に感じながら、俺は右手で両目を覆うように顔をつかんで、必死に歯を食いしばった。胸が潰れるように痛くて、苦しくて、たまらず声が漏れた。


 本当にもう、方法はないのだろうか。孝太に話したいことが、この両手いっぱいでも抱えきれないほどあるっていうのに。


 会いたい。孝太に、会いたくてたまらない。


『のう、千隼!』


 どうしてなのか、出逢ったばかりのあの頃の、幼い孝太のあどけない笑顔がまぶたの裏に鮮やかによみがえると共に、耳にもあいつの声がこびりついて、どうにも涙が止まらなかった。


『おれ、大きゅうなったら、新幹線になりたいんじゃ』


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