第9話 ヒヤリハットにご用心
鍛冶屋の工房に向かい、商品を確認する。置かれているのはナイフなどの小さな武器で剣や槍などはない。
「そういう物を運ぶときは、リヤカーなんかを持ってくるさ」
荷物の数も少なく、確かにこれなら自転車で充分だろう。
ナイフの横には厚めの布と紐が置かれている。これなら刃が貫通することもない。
柄を握って持ち上げると、傷一つない刃に自分の顔が映っていた。これだけ綺麗だと使うのが勿体なく感じてしまう。
「たまに怪我する奴もいるからな。気を遣いすぎるくらいが丁度良い」
本来なら魔物と戦うための武器が、戦う前に人を傷つける。笑えない話である。
「傷が付いたら価値も下がるからな。いわゆる曰くつき商品ってやつだよ。切れ味が落ちてなくても嫌がる奴はいるのさ」
店頭へ並ぶ前に他人の血で汚してしまう。何かにぶつけて傷ができる。武器の性能に影響がなかったとしても、やはり印象は良くない。
「そういう商品はどうなるんですか?」
「値段を下げて売るか、他の店に回すか。どうするかは業者次第だな。ただ捨てるのも勿体ないだろ」
前の持ち主が使用していた物や、傷だらけの装備品を専門に売っている店がある。大抵は元値よりも安くなっていた。
たまに新品に近い状態で売っているときもあるが、こんな事情があったのだ。
「気にせず元値で売っちまう店もあるけどな。そんで後からクレームが入るんだ」
「当たり前ですよ」
傷があるのに黙って販売するのは、明らかに店側の問題な気がした。客を騙しているようなものである。
「そうとも言いきれないケースもあるから厄介なのさ。まぁこのあたりのことは追々話してやるよ」
苦笑を浮かべる様を見る限り、色々と複雑そうだ。どの業界にも問題というものは起きるらしい。
それ以上は深く問いかけず、作業を再開する。
大吉はナイフを掴むと布で包み、紐でぐっと縛り上げた。ごつごつとした手からは想像もできないほど手際が良い。
「最初は手袋つけて作業した方が良いぞ。紐で手をやっちまうこともあるからな」
触ってみると思った以上に紐がしっかりしていた。こうして触っていても特に痛みなどはないが、伸ばしたときに擦れるときがあるらしい。気づかないうちに痣になったり、強く摩擦した際に火傷みたいな痛みが出るのだ。
「縦と横でしっかりと押さえられれば、巻き方は好きにしていいぞ。一番やりやすい方法は・・・・・・」
結び方を教わりながら、さっそくやってみる。ゆっくりやれば失敗することもない。しっかりと商品を包むことができた。
「できましたよ、だいき」
意気揚々と紐を持ち上げたが、ナイフが下からずり落ちた。声をあげる暇もない。落ちていく商品を見ているしかできなかった。
「ギリギリセーフだ。縛りが甘かったみたいだな」
慌てて下から手を入れる。何とか床に落とさずにすんだ。布の部分を掴んだので、大吉の手も傷一つない。
無事だとわかってから、ようやく心臓が激しく動き始める。全身を悪寒が包んでおり、氷を背中に入れられたような気分だった。
「武器の形は均整じゃないことが多いからな。大丈夫だと思っても、ちゃんと巻けてないことがあるのさ」
わかりやすい三角形や四角形をしておらず、中には特殊な形をしている物もある。気を遣えとはそういうことだ。
「刃と柄の部分で長さも違うし、思ってもいない方向に重量が掛かるときがあるんだよ。天井や床にぶつける原因の一つだな」
包んだだけで安心してはいけない。強くぶつけたら運んでいるときに破損することもあるのだ。
「運ぶときは周囲を確認しておけよ。他人にぶつけたら取り返しがつかないからな」
何となく怪我する原因がわかった気がした。
あのときもし布が取れていたら。もし刃の部分を握ってしまったら。もしナイフが足に落ちていたら。
今はたまたま大丈夫だったが、どれかが起きてもおかしくなかった。自分ではなく、大吉を怪我させたかもしれないのだ。
運動能力など関係ない。咄嗟の事では身体が反応しないこともある。
「失敗を忘れんなよ。同じことをしないようすりゃいいさ」
これは完全に己の不注意で起きたことだ。
柄の部分をちゃんと掴んでいれば、落ちることはなかったはずだ。
では、どうして紐の部分を掴んでしまったのか。
横着したのか。ちゃんと結べたのが嬉しかったのか。あるいは何も考えず、反射的だったのか。剣や槍ではないだけに、心のどこかで油断していたのか。
はっきりした原因はわからない。正確にはそのどれもが当て嵌まるように思えるのだ。
「何か起きてもまずは落ち着け。俺たちの仕事は時間に追われることが多いからな。慌てると碌な事にならないぞ」
焦りは判断力を低下させる。普段じゃしないミスをしてしまうのだ。それがパニックを呼び、ますますトラブルを助長してしまう。
「最初は難しいだろうけどな。気にせずやればいいさ」
ぽんと頭を叩かれる。無骨な手から優しさが伝わってきた。
「す、すいません」
泣きそうな声で頭を下げる。ついさっき言われたばかりでこれである。
話はちゃんと聞いていた。頭でも理解していた。
それでも完全には入っていなかった。
申し訳ないという気持ちもあるが、情けなくて仕方なかった。できるのなら、この瞬間を世界から消してしまいたくなる。
「昔は俺も色々とやらかしたからな。こいつは俺の指導力不足ってやつだ」
軽く笑い飛ばし、仕事を再開する。まったくスピードが落ちておらず、商品を木箱に入れていく。
ラキも慌てて手伝い始めるが、気にするなという方が無理だった。自分がここまで役に立たないとは思わなかった。
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