無才剣士と、偽りの友人
ブヒ太郎
序章
第1話
僕の名はアルス。
このトカット村の、丘の上にある孤児院の先生に拾われてから、もうすぐ十二年の月日が経とうとしていた。
この世界には、「スキル」と呼ばれる、神々から与えられた奇跡の力がある。
誰もが十二歳になる年に、教会で「覚醒の儀式」を受けることで、その身に秘められた、たった一つのスキルに目覚めるのだ。
(できれば、風の魔術がいいな…)
僕のささやかな、しかし切実な願いだった。
風の魔術は、この孤児院の先生が使う、得意なスキル。先生がその優しい手から柔らかな風を生み出し、僕たちの擦り傷を癒し、汚れた服を瞬く間に乾かしてくれるのを、僕は子供の頃から、ずっと憧れの目で見つめてきた。
尊敬する先生と同じスキルを、もし僕も授かることができたなら。
それは、なんて素晴らしいことだろう。
そして、運命の日。僕は、村の小さな教会で、厳かな雰囲気の中、覚醒の儀式を受けていた。
ステンドグラスから差し込む光が、床に色とりどりの模様を描いている。水晶に手をかざし、祈りを捧げると、それは内側から淡い光を放ち始めた。
「…キミのスキルが判明しました」
祭壇の奥から響く、神父様の静かな声。
僕は、期待に胸を膨らませ、ゴクリと唾を飲み込んだ。
「ど、どんなスキルですかっ!?」
「『剣士』のようですね」
その言葉に、僕の心は、一瞬で歓喜に満たされた。
「つまり、魔剣士ですか!?」
魔術と剣、その両方を巧みに操ることができる、万能のジョブ。子供の頃に読んだ絵本に出てくる、国を救った勇者も、同じジョブだったと言われている。これなら、先生と同じ魔術も使えるし、みんなを守るための剣も振える!
しかし、神父様は、そんな僕の期待を打ち砕くように、静かに首を横に振った。
「…残念ながら…魔剣士ではなく、ただの『剣士』のようです」
「…ただの、剣士…?魔術の適性は…?」
「無属性系統の、ごく初歩的なものであれば、多少は…。ですが、系統だった魔術のような、正当な力は…」
「そ、そんな…そんなの、ただの…ちょっと剣が振れるだけの、農夫と変わらないじゃないか…」
「…神は、時に、我々に試練をお与えになる…ということでしょうか…。親もいない、キミのような子に対してまで…」
神父様の同情するような言葉が、やけに遠くに聞こえる。
目の前が、真っ暗になった。
ずっと夢見てきた未来が、音を立てて崩れ落ちていく。
その日、僕は、鉛のように重い足取りで、憂鬱な気持ちのまま教会を去り、孤児院への長い坂道を、一人、とぼとぼと帰るのだった。
坂の上にある孤児院に、いつの間にか辿り着いていた。
扉を開けると、いつもと変わらない、優しい笑顔で先生が迎えてくれる。その笑顔が、今はやけに胸に痛かった。
「どうじゃった、アルス。どんな適性だったかい?」
先生は、きっと僕が自分と同じ風の魔術師になることを、心のどこかで期待してくれていたはずだ。その期待を裏切ってしまった。落胆させてしまうだろう。そう思うと、僕は恐る恐る答えることしかできなかった。
「…ただの剣士だって…魔術適性がないって…」
先生の目が、一瞬、大きく見開かれる。
しかし、その表情はすぐに、いつもの温かいものに戻った。
「そうかい。…いいじゃないか。これでお前が、将来、魔人族との危険な戦闘に巻き込まれることもない。そうと分かって、ワシは少し安心したよ」
違うんだ、先生。僕は、先生に楽をさせてあげたかった。この孤児院に、恩返しがしたかった。でも、魔術の才能がない僕では、その夢も叶えられそうにないんだ…
ごめん、先生…育ててくれた恩を、僕では返せそうにないんだ…
堪えきれなくなった涙が、瞳から溢れ出す。僕は、嗚咽交じりに、ただ一言、先生に呟いた。
「…ごめんなさい」
「何を謝ることがあるんじゃ…おぬしは、昔も今も、ワシの誇りじゃよ」
そう言って、先生は僕の小さな体を、優しく、力強く抱きしめてくれた。その温もりが、嬉しくて、そして、あまりにも申し訳なくて、僕は声を上げて泣いた。
翌日
アルスは、村の中を歩いていた。
学校へ向かうためだった。昨日の先生の温かい言葉で、少しだけ前を向けるようになった、そんな気がしていた。
その道すがら、村の同年代の少年、グレンに声をかけられた。
「よぉ!アルス!」
「おはよう、グレン」
グレンは、ニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべながら、聞いてきた。
「残念だったなぁ、スキルが『能無し』だったらしいじゃないかっ!」
その言葉に、アルスの胸は、冷たい水でも浴びせられたかのようにざわめいた。
「…なぜ、それを知ってるんだ…」
「神父様が、村の寄り合いで言ってたぜ。『アルスは、親もいないのに、スキルにも恵まれず、なんて可哀そうなことを…』ってさぁ!」
アハハハ、と腹を抱えて笑いが止まらないグレン。
神父の同情が、村人たちの娯楽になり、そして、子供たちの悪意に変わるのに、一日もかからなかった。
僕は、その日から、学校の知人たちから、まるで汚いものでも見るかのような目で見られ、仲間外れにされてしまった。
昨日まで交わしていた挨拶も、笑顔も、全てが嘘だったかのように、僕の世界から消えてなくなった。
僕は次第に、学校へ向かう足取りが、日を追うごとに重くなっていくのを感じていた。
教室に響く、悪意に満ちた囁き声。向けられる、侮蔑の視線。昨日まで友人だったはずの彼らの態度は、まるで手のひらを返したように冷たかった。
それでも、先生との約束があったから、僕は必死で通い続けた。
だが、そんな日々にも、ついに限界が来てしまった。僕は、授業が終わった後、一人残って講師に相談を持ちかけた。
教本を貸して欲しい、と。勉強なら、孤児院でも一人でできるから、と。
講師は、何も言わずに俯く僕の姿を、どう思ったのだろうか。哀れに思ったのか、あるいは、僕の瞳の奥に宿る、消えない光のようなものに何かを感じたのか。彼は一冊の、分厚い教本を、黙って貸してくれた。
その日、孤児院に帰った僕は、先生に全てを話した。
学校でのこと。もう、通うのが辛いこと。これからは、この家で勉強したいこと。
「そうかい…。そうだね。勉強なら、この我が家でも、立派に出来るだろう」
先生は、僕を責めなかった。ただ、いつもと同じように、優しく笑いかけてくれる。その笑顔が、今は少しだけ、寂しそうに見えた。
僕は、その日から孤児院に籠り、ひたすら勉強をする日々を送った。
朝、日が昇ると同時に起き、夜、ロウソクの火が尽きるまで、貪るように教本を読んだ。それは、辛い現実から目を背けるための、唯一の逃げ道だったのかもしれない。
そんな生活が1か月も続く頃には、僕は、いつの間にかスキルの鍛錬も、勉強と平行して行っていた。
村の大人たちに譲ってもらった、刃こぼれのした古い剣。それを、毎日、毎日、日が暮れるまで、ただ無心に振り続けた。
なぜ、そんなことを始めたのか。
きっと、昔、先生に読んでもらった、絵本の中の勇者様の物語。その中に登場する、なんの特別なスキルも持たず、ただ己の剣技だけで、仲間たちと共に戦った、一人の名もなき戦士。
その彼の姿に、僕は今の自分を、重ねていたのかもしれない。
魔術の才能もなく、皆から「能無し」と笑われる、今の僕なら。
特別な力を持たず、それでも諦めなかった『彼』の気持ちが、少しだけ、分かるかもしれない、と。
それは、絶望の中で見つけた、僕だけの、小さな希望だった。
そんな、何かに必死に縋るような気持ちで、ただひたすらに教本を読み、剣を振り続ける毎日。
誰と話すでもなく、誰に笑いかけるでもなく。孤児院という小さな世界の中で、ただ静かに時間が過ぎていく。永久に続くかのように感じられた、その孤独な生活が、一年続いた。
ある日の昼下がりのことだ。
僕は、日課になっていた薪割りを、黙々とこなしていた。
「先生。薪割り終わったよ」
「ありがとうや、アルス。いつも助かるよ。…ついでと言ってはなんだが、その薪を、村の集積場まで運んでやってはくれないか?」
僕は、先生の頼みを、当然のように引き受けた。
孤児院の仕事を手伝うこと。それが、今の僕にできる、先生への精一杯の恩返しだったから。
背負子に薪を積み上げ、僕は一年ぶりに、村の中へと足を踏み出した。
その道すがら、道の向こうから、見知った顔が歩いてくるのが見えた。
僕を、この孤独な生活に追いやった元凶。グレンたちと、久々に出会ってしまった。
「よぉ!アルス!久々じゃないか!」
「久しぶり。元気にしてた?」
「俺は元気だぜ。お前は…相変わらず、無才のまま、薪割りなんぞでなんとかしようってか?」
見下しきった、侮蔑の態度。その瞳は、一年ぶりに会う旧友に向けるものではなく、道端の石ころを見るような、冷たい色をしていた。
僕は、さっさとこの場を離れたかった。頼まれた薪を集積場に運び、一刻も早く、あの静かな孤児院に帰りたかった。
「なぁ、久々に会ったんだから、付き合ってくれよ。俺の『魔術師』としての才能を、確かめたいんだ」
「やだよ、そんなの」
「なんだよ?臆病者かよ」
その一言が、まるで引き金だった。
僕の中で、一年間、必死に押し殺してきた何かが、プツリと切れる音がした。
臆病者?違う。僕は、スキルがないなりに、毎日、毎日、血が滲むほど剣を振ってきたんだ。お前なんかに、そんなことを言われる筋合いは…。
なぜだろうか。無性に、腹が立ってしまった。
気づけば僕は、村はずれの河川敷で、薪の背負子を降ろし、グレンと対峙していた。
川のせせらぎだけが、やけに大きく聞こえていた。
グレンの後ろでは、いつも彼にくっついているジョンとヤンが、囃し立てるように応援していた。
「やっちまえー!グレーン!」
「やんすっ!」
その下品な応援を受けてか、グレンはますますやる気をみなぎらせ、自信に満ちた笑みを浮かべている。
僕は、足元に転がっていた、手頃な長さの棒っ切れを一本拾う。
一年間、毎日振り続けた剣の、代用品。しかし、その手触りは、あまりにも頼りなかった。
「へへっ、いいのか?そんな棒っ切れで、この天才魔術師様相手に、敵うとでも思ってんのか?」
「そ、そんなの…やってみないと、わからないだろ…」
自信がない…確かに、グレンの言う通りだ…
ただの木の棒で、魔術に勝てるわけがない。
(何故、僕は、こんな喧嘩を受けてしまったんだろうか…)
後悔が、胸の奥から込み上げてくる。
「じゃぁー、3・2・」
「やんすっ!」
ジョンのカウントダウンと共に、グレンが威勢よく右手を前に突き出し、詠唱を始めた。
「いっくぜー!フレイム――」
その言葉に、僕の全身の血の気が引いた。
(フレイム…?まさか、教本に書いてあった、あのフレイム・ボルトを、こんなところで使う気なのか?)
あれは、初級魔術とはいえ、当たり所が悪ければ、人を殺すことだってできる、本物の攻撃魔術だ。
(グレンは…僕を、殺す気なのか?)
殺される。
そう思った、瞬間だった。
僕の中で、一年間、ずっと張り詰めていた糸のような何かが、プツン、と大きな音を立てて、弾け飛んだ。
グレン「――ボルッ!」
気がつけば、僕は動いていた。
恐怖で竦んでいたはずの足が、地面を蹴っていた。
グレンとの間にあったはずの数メートルの間合いが、一瞬で消え失せていた。
そして、僕が握りしめていた棒っ切れは、詠唱を終えたグレンの鳩尾に、深く、めり込んでいた。
「……!」
その場で膝から崩れ落ち、胃の中のものを激しく嘔吐するグレン。
「…ごめん…でも、なんで、フレイム・ボルトなんて…」
僕の呟きは、怒声によってかき消された。
「ふっざけんな!グレンを殺す気だったのか!?」
ジョンが、顔を真っ赤にして駆けつけてくる。
(それは、僕の台詞だ…)
心の中で、冷たく、静かに、そう呟いているのは、果たして、本当に僕自身だったのだろうか。
自分でも、もう、分からなかった。
僕は、その場にぐったりとうずくまるグレンを冷たく一瞥すると、何も言わずにその場を離れ、目的地の集積場へと足を急がせた。
(なぜ、僕がこんな目に合うんだろうか…)
薪を背負いながら、涙が滲んだ。ただ、毎日を静かに、真面目に生きていただけなのに。
僕は孤児院に帰宅後、先生に今日あった出来事を、正直に話した。
「…そうかい。お前さんが、魔術師相手に拮抗するどころか、倒してしまうとは…大したものじゃ。グレンの親御さんには、私から上手く伝えておくから、もう安心しなさい」
先生は、僕が誰かを傷つけたことを、一切責めなかった。ただ、いつもと同じように、優しく僕の頭を撫でてくれた。
しかし、その日から、僕を取り巻く状況は、さらに悪化していくのを感じていた。
グレンたちは、僕が村で薪運びの仕事をしているのを見かけるたび、執拗に勝負を挑んでくるようになった。
そして、そのたびに、僕の中の「もう一人の僕」が目を覚まし、彼らを、棒で、あるいは素手で、完膚なきまでに叩きのめした。
その実績は、僕に「やればできる」という、確かな自信を与えてくれた。
だが、同時に、グレンたちは村中に言いふらし始めた。
**「アルスは、無抵抗なグレンを、棒で面白半分に叩いている、乱暴者だ」**と。
ただの剣士が、魔術師に何度も勝つなど、僕らの村では聞いたことがない。だから、村の大人たちは、グレンたちの流した、その分かりやすい嘘の方を信じた。
僕の弁明に、耳を貸してくれる者など、誰もいなかった。
どんなに打ち消そうとしても、その汚名のような噂が、消えることはなかった。
僕は仕方なく、再び孤離院に籠り、誰とも会わずに、独りで勉強と鍛錬に勤しむ日々に戻った。
そうして、あっという間に、二年の歳月が流れようとしていた。
僕が十六になった、ある日のこと。先生が、改まった様子で僕に話を持ち掛けてきた。
「のう、アルスや…お前さんも、あと二年とすれば、もう成人じゃ。そろそろ、真っ当な学校に行ってみる気はないかえ?」
「行ってみたいけど…村の学校には、もう行けないよ。グレンたちの件もあるし…」
二年もの間、僕が仕事で村に出れば、当然のように勝負を挑んでくるグレン。そのたびに、彼を叩きのめしてしまう僕。
乱暴者というレッテルを貼られた僕に、もう、この村での居場所はなかった。僕はただ、降りかかる火の粉を、必死で払っているだけなのに…。
「…お前さんが、決して不本意に暴力を振るわない、心優しい子だということは、このワシが、誰よりもよく知っておるよ。…だからな。ワシの伝手で、お前さんを、王都の魔術学院に送ってやろうと思うのじゃ」
「え…!?」
僕は、あまりに突拍子のない提案に、ただただびっくりした。なんでも先生は、昔、その魔術学院で講師をしていたのだという。その伝手を使い、現学院の理事長に、すでに話をつけてくれたのだと…。
「魔術を行使せずに、魔術師をいとも簡単に倒せる、面白い技能を持った子がいるから、その才能を鍛えてやってほしい」と。
「でも、僕がいなくなったら、誰が薪割りや、薪運びを…?」
僕の心配に、先生は悪戯っぽく笑った。
確かに、僕と同じ年の子はもういないが、孤児院の弟たちも、もう十三歳だ。彼らには魔術の才能もある。薪割りや薪運びくらい、彼らにとっては、立派な戦術魔術の訓練になるだろう、と。
僕は、先生の誘いを、受けることにした。
出発の朝
僕は、王都行きの馬車の前で、先生と二人、向かい合っていた。
「先生…この御恩は、決して忘れません。いつか必ず、立それに、なって、お返しにあがります」
「大丈夫じゃよ。ワシは、お前が、こんな理不尽な世界でも、自分を見失わずに、明るく生きてくれれば、それで十分じゃ」
僕は、先生に深々と頭を下げ、涙を堪えて馬車に乗り込む。
僕の物語は、ここから始まるんだ。
この村で、静かに一生を終えるのも、悪くはなかったのかもしれない。でも、今の僕は、それを受け入れることができなかった。
僕を「能無し」と笑った奴らを、「乱暴者」と蔑んだ奴らを、いつか必ず見返すために。
僕は、魔術学院で、もっともっと、力をつけるんだ。
この先、何があろうとも…。
(第一話 完)
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