第23話 新約3
「あなたが住む極東の地の、新首都を落としてください」
カインは僕にそう言った。
それが、理恵の命の保証の代償だった。
結局は、こうなるのだ。
僕は、これまで以上に大勢の人々を裏切ることになる。最悪、この手で殺すことになるかもしれない。
理恵を守るその代わりに。
それを、僕はカインに言わせたのだ。
どこかでそうならないことを願ってはいたが、こんな世界でそうならないはずはなく。
甘いのではない、卑怯なのだ、僕は。
僕は、ただ、黙ってカインを見つめた。
理恵と同じ世界で息をしていたかった。その望みは、こんなにも多くの犠牲を生む。
僕は理恵以外の誰かが不幸になっても、気の毒だとは思うが大きな支障なくそれを受け入れられた。だからといって無害な他の人々に自分から危害を加えることを僕は望んではいなかった。だが、状況はそう甘くはなく。
僕がやらなくても僕以外のソフィアが任務について同じことをするだけなのかもしれない。
だから、自分を責めるなとは、僕は自分に言えなかった。
僕は結果的に、選んだのだ。これまでとは違う。
理恵の敵にならないかもしれない大勢の命と、引き換えに。
理恵をこの手で守り、同じ世界で生きることを。
僕は、僕は。
そんなに途方もないことを望んでしまったのか。
「裏切りの、お前、今日のニュース全然見てないだろ」
ネブロが僕の気持ちを知ってか知らずか、割って入るように声を上げた。
「……ああ、見てない」
意図が分からず、僕はネブロをじっと見る。今日はただ、黙って電車に揺られ、その後テレビをつけずにホテルの部屋にいただけだった。周囲が何か騒がしかったかもしれないが、僕はこの状況を切り抜ける方法を考えるのに必死で、注意がそちらにいかなかった。
「だから、知らないだろ」
「何を?」
「俺が、新首都をファックしてきたのをな。不完全ではあるが」
また。
米国を落としたときといい、この男には驚かされる。
ネブロが指を鳴らす。すると、僕らの頭上に、映像が出現した。
「映像記憶能力のアイオーンに撮影してもらったもんだ」
現れた映像には、無敗の盾、オーロイアエールを両腕に装備したネブロがいた。都会の街並みをかなりの速度で走っていく。それを追いかけているのは。
「鳥……」
思わず呟いた。なんていう数だ。空から分厚い雲が落ちてきたかのように、あたりを埋め尽くす勢いで、白い鳥たちがネブロめがけて飛んでいる。
聞いたことがある。新首都に、鳥を操るパナリオンがいて、新首都を守護していると。
確か呼び名は。
「鳥使いだ。他のパナリオンとは違い、その正体を隠している新首都を守護するパナリオン」
ネブロが映像を見上げながら説明した。
「想定以上の鳥の数だったぜ。恐らく、反メフレグ側のゴッドと契約の更新を密かに続けて数を増やしていたんだろうな。バードウォッチングでもエンジョイしようと思っていたが、そういうわけにはいかなかった」
理恵に対する二度目の裏切りで僕がさらに力を得たように、パナリオンも反メフレグ側の神との契約を更新してさらに力を得ることが可能なはずだ。理恵も誰かを救うたびに、力を増していっていた。
「爆発するんだろう、この鳥」
かつてニュースで見たことがある。新首都でテロを起こそうとした人物に鳥が飛びかかり、自爆してその人物を殺した映像を。
「イエス。だが、そこはオーロイアエールの見せ所だぜ」
映像に視線を戻すと、ネブロにもっとも近い距離にいた鳥が何かに弾かれたかのように方向転換し、他の鳥たちを巻きこみながら爆発した。
「俺の盾は、相手の攻撃を事前に察知して、事前にカウンターする。相手が攻撃を開始する前にな」
ぞっとした。相手の攻撃を予知して、攻撃が繰り出される前にカウンターするのか。どうやったら、そんな奴に傷を負わすことができるのだろう。
ネブロに攻撃をした者は必ず死ぬ。
その情報は、正しかったようだ。
何度も何度も鳥の群れは攻撃をしかけようとするが、オーロイアエールの能力であらぬ方向へと自爆し、その数を減らしていく。
しかし、別の場所にいた大きな群れが、ネブロの眼前に迫ってきた。ネブロは方向転換して、二つの群れから逃げ続ける。
「さすがにこれ以上他の群れが合流すれば、俺も本気出さなくてはいけなかったし、新首都に潜伏しているアイオーンたちにも損害が出ただろう。それはスマートじゃない、分かるだろう、裏切りの」
ネブロがウインクする。
「逃げ回って何とか振り切ってきた。そこで、お前の出番だ」
「つまりは、僕に、新首都に行って鳥使いを見つけて無力化しろってことか、実力を発揮させることなく、救世主のときのように」
「その通りです」
カインが平坦な声を響かせる。
「ネブロが鳥たちに追われながら新首都中を走り回ってくれたので、鳥に関する情報が多く得られました。その中で、もっとも有力な情報は、鳥たちがある場所で攻撃するのを躊躇ったことです」
「都立第三高校」
映像がネブロの戦闘場面から切り替わる。映し出されたのは、大きな校舎だ。ブレザーを着た生徒たちが開け放たれた門を通って、中に入っていく様子が見える。
「生徒か、教師か分からないが、この中の誰かが鳥使いである可能性は高そうだ。少なくとも、その手がかりはあるだろう。そこでうまく情報収集して、鳥使いを見つけ出せ、裏切りの」
ネブロがこちらに親指を立ててみせた。
「これは、キラーパスだ」
僕は、少しだけ目を閉じて、それから覚悟を決めた。
理恵の命を狙わない者を殺したくない。だから、新首都の被害を最小限に抑えたい。
だが、鳥使いを無力化すれば、新首都は落ちたも同然だ。僕がやらなくても、他のソフィアが、無抵抗になった新首都の被害を甚大にするだろう。
選ぶしかないのだ。僕の望みのために、僕の手を血で汚すことを。
鳥使いを無力化すると、最悪、殺すと、新首都を陥落させるのだと。
「了解しました」
淡泊に答えた。
選んだ。僕は、選んだのだ。
今ここで、ソフィア全員を相手に独りで戦争をしかけて、勝てる見込みはなかった。
だから。
食うか、食われるなら、僕は、食うほうを選ぶ。
けだものそのものだ。そのおぞましい生存本能。自分でも、醜いと思う。
許してくださいと思ったところで、そもそも神は世界の破壊さえ許していて。
それなのに。
好きな人と同じ世界で生きていたいと願った。
それは。
こんなにも、許されない。
「あなた以外の戦力はそんなにここに割けません。豪州、ヨーロッパの制圧にかなり手こずっていますので」
カインがきっぱりとそう言った。
「潜伏場所と、学校への転校ルートは、用意されていますか? 今、同行している女の子が一緒でも問題ないかどうかも知りたいです」
僕はすかさずそう言った。さすがに、明菜を連れながら、それを一人で開拓するのはきつい。
「ありますし、同行者が一緒でも問題ありません」
カインは、頷いた。
「この家の家族の親戚、甥として振る舞ってください」
映像がまた、切り替わる。新しい映像には大きな庭付きの家が映し出され、住所と思われる情報も、上側に表示されていた。
「ここに、『紅の翼の天使』がいます」
えっ、と僕は思わず声を上げた。
「今まで姿を見せなかったバルベーロの聖人候補じゃないですか。新首都にいたんですね」
「ですが、その覚醒は、不完全なものであり、バルベーロに接続できたのも、一度だけです」
僕は、怪訝な表情を浮かべて、言った。
「どういうことです? 不完全とは……」
「契約違反をしたのです。能力を失っています」
「その契約内容とは、何ですか?」
「父殺し」
カインの声が、耳に冷たく張り付く。
「それが、彼女にはできないのです」
「マッドサイエンティストでな、こいつの父親は」
ネブロが、鼻を鳴らしながら言った。
「勤めている大学で非公式に、娘を実験体にして、人工的にソフィアやパナリオンをクリエイトしようとしているんだ。だが、ゴッドの域に到達できるわけもなくて、な。娘は、ただ、ひたすら血を抜かれたり、薬物を投与されたりしているんだ」
「惨い話ですね」
僕は、映像を見たまま、唇を噛んだ。
「されるがまま、なのですか?」
「そのようです」
カインも、映像を見たまま、呟くように言った。
「なぜです?」
「父親を愛している、だとよ。接触したアイオーンが、そう聞いたそうだ」
ネブロが皮肉げに笑った。
僕は、小さく息を吐いた。
「救われない話だ」
「だからこそ、我らがファーザー、メフレグのゴッドに見込まれてんだよ」
「父親は、パナリオン、ソフィアに関する情報を研究のために欲しています。我々は、この男に、自分たちはパナリオンだと嘘をついて、接触し、密かに能力を見せて信じさせ、関係を構築しました。この家の父親には、本物のパナリオンを家に滞在させて、こちら側の情報を提供する予定だと伝えています」
「それが、僕だと」
「その通りです」
段々と、僕は自分の振る舞い方が分かってきた。
「こちらが情報提供する見返りに、大学教授である父親が、知り合いに頼み込んで、都立第三高校には嘘の書類が送付され、あなたは
「うらがつかさ……」
それが、僕の新首都での名前。
「他に、何か聞きたいことはありますか?」
カインが仮面の奥から声を出して言う。僕は、少し考えてから、懸念を口にした。
「僕の顔は、眼鏡をかけて髪形を変えるなどして、ごまかしますが、それでもパナリオンや体制側に素性がばれる可能性があります」
これまで聞いていた理恵の話からバルベーロのような特殊な空間をパナリオンが所有しているとは思えないし、バルベーロでもそのような報告は上がっていない。
パナリオンは、互いの情報共有はできず、複数で連携して戦うことはないが、その代わり単一個体の特殊能力がソフィアよりも平均して高いというのが、バルベーロでの分析結果となっている。
それでも、今も生きていて僕の素性を知っている理恵が、もしも、僕がソフィアだと警察に通報しているなら、ニュースなどで指名手配をされてしまい、名前や髪形を変えて、眼鏡をかけたところで、すぐに見破られる可能性がある。そうでなければ、二つの事件で警察は僕を疑い始めていたものの、それでも指名手配されるようなことはなく、ただの明菜と僕というカップルの失踪事件ですむ可能性は残されているはずだ。
「僕の素性がばれているような情報は、今のところ入ってきていますか?」
「ありません。あなたの裏切りの成果ですよ」
僕は、少しだけ俯いた。
そうか、それほどまで、理恵は。
「それでは、任務に当たってきます」
僕は、踵を返して、カインに背を向けた。取り囲んでいたアイオーンたちが僕が進む道を開ける。未だに、彼らの表情は厳しい。
「裏切りの子よ」
歩き始めた僕を、カインの平坦な声が追いかけてきた。
「まさか、本当に救世主に恋していたわけではありませんよね?」
仮面の奥で、一体、どんな表情をしているのか。
僕は立ち止まって、振り向かずに答えた。
「ありえませんよ」
再び、歩き始めた僕のことを、誰の声も追ってこなかった。
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