第13話  今日より良い日が来ないとしても3

 どういうわけかネブロとは和解ができた。拍子抜けのような、騙されているような。僕は警戒しつつ、ネブロと行動を共にすることにした。


「っていうか、近い」


 休み時間、トイレに行こうとする僕にすかさずついてきたネブロは、がっつり肩を組んでくる。


「何言ってんだ、ブラザー。俺たちの仲じゃねぇか」


 周囲の男子たちからは悲鳴が、女子たちからはなぜか嬉しそうな声が聞こえてくる。


「うげぇ、なんだあいつら……」

「きゃあ、見て見て。河水くんと編入生。なんかお似合いじゃない?」


 耐え難い勝手な噂っぷりに僕はネブロに懇願する。


「お願いだから、少し距離を取ってくれよ、ネブロ」


 行動を見張りたいからできるだけ共にいたいというのは本音なのだが、こんなに近づかれてあらぬ誤解を招いたら最悪だ。


「のん、のん。俺とお前は一緒にいなきゃいけないんだよディスティニー」

「でぃすてぃにーじゃねぇよ、このくそ外人が」


 げんなりしながらトイレに行き、抱いていた懸念を口にしてみる。


「おい、まさか同じ便器で……」

「……ワット? そんなわけないだろう、ブラザー。お前、なんか気持ち悪いな……」

「お前が言うな!」


 ネブロは、授業中でも、大暴れだった。


「ティーチャー、そこの英語間違ってんぜ?」


 英語の先生を散々ネイティブスピーキングでいじめた挙句、


「いいか、エブリワン」


 しまいには、教壇に出てきて授業まで仕切りだした。


「通常がびっち、比較級がさのばびっち、最上級がふぁっきんさのばびっちで……」


 放送禁止用語をでっちあげ文法で板書しているネブロに、シャーペンが矢のごとく飛んできた。

 危機一髪でかわしたネブロは、投げつけてきた相手をにらむ。なんとなく予想できたが、僕は彼女を見てああと嘆く。

 羽田弥生。学級委員長は、怒り狂う猛獣のような目でネブロをにらみつけ、次のシャーペンを握り締めてしっかり次弾装填している。

 これは血を見るかもしれない……。


「や、弥生……、落ち着いて」


 理恵がなだめにかかるが、羽田さんは猛然と首を振る。


「もう限界よ、このおちゃらけ外人が……。その存在そのものをジョークにしてあげるわ」


 ネブロはその反応を楽しむように教壇から見下ろし、べーっと舌を出して中指を立てる。


「面白いレディがいたもんだぜ。何をそんなにむきになるんだ?」

「あんたが……、この教室の規律を乱すからよ」


 羽田さんにとっては、当然の理由だろう。けれど、まずいことに、反逆のネブロはこう答えてしまう。


「この教室の規律に、意味があるのかい?」


 やっちゃったよ。

 これはもう収拾つかないかもな。


「あんた……、今、なんて言ったの?」

「この世界自体に意味がないんだぜ? ファーザーがそう言ったろ? だったら、こんな狭い教室のちっぽけな規律なんかに何の意味があんだ?」

「……もういいわ。あんた、そこを動くんじゃないわよ」


 かつてなくどすのきいた羽田さんの声とチャイムが響くのは同時だった。

 僕は猛ダッシュでネブロのもとへ行った。


「よぉし、ネブロ。トイレ行こう、トイレ。な?」

「はっ、いや、トイレはさっき……」


 有無を言わさず、ネブロを引っ張り出す。横目で理恵が羽田さんをどーどーと落ち着かせているのが見えた。理恵にかかれば、恐怖の学級委員長も馬になってしまう。


「ったく、馬鹿かお前は!」


 屋上に連れ出して、怒鳴りつける。


「もうちょい空気を読めよ。ここは救世主がいるからメフレグ自体の浸透が……」

「あのレディも、サッドだな」

「さっきからそればっかりだな、反逆の」

「あの子も結局はスレイブさ。間違っているから壊さなきゃいけない世界の小さな島の小さな街の小さな学校のそのまた小さな教室のルールを守るために必死になって。間違ったルールの奴隷としか思えねぇ」

「そう、かな」


 僕は分からない。ネブロはメフレグを心から信じている。だからこそのソフィアなのだろうが、僕のような異端者はメフレグ、反メフレグのどちらが正しいのか。それが分からないという立場なのだ。

 もし、本当にメフレグが正しいとしても、僕は理恵の行いを決して間違っているとは思わない。悲しいと、そう思うことはあるけれども。

 誰かのために必死に祈る彼女を見ていると心が洗われる。守りたいと思う。この感情が悪魔の手先を守る間違った感情だって言われたって、どうでも良かった。

 だって、今、僕が、心から、そう望んだのだから。

 それが全てで、それが基準で、それ以下でも以上でもないのだ。

 そんなことを考えていた僕のことをじっと見ていたネブロが、日没が近づいて黄色がかった空を見上げながらぼんやりと呟いた。


「知ってるか、ブラザー?」


 それこそ悲しそうに、ネブロは言った。


「パナリオンに選ばれた奴らはみんな、罪を犯しているんだぜ?」


 金属音が聞こえる。さっきよりももっと激しい。駄目だ、これ以上抑えきれない。


「みな、この世界の道徳に反した行為を、罪を犯してるんだ」


 そして、僕はその声を確かに聞いた。


「雪、私……、私……、お母さんを殺しちゃった」


 脳裏で瞬いたのは、あまりに悲しい親殺しの物語。


「詐欺、暴行、殺人。道徳に反する行為を行い、それを悔やんでいる者がパナリオンに選ばれる。なぜだか、分かるか?」


 何も言えない僕に、ネブロは告げる。


「自分の罪に怯えてるやつは、簡単にスレイブになるからさ。道徳のな。その罪悪感が強ければ強いほど。だから、パナリオンを見ると、俺はサッドになる」


 道徳の奴隷。罪の意識に縛られて異常なほどこの世界のルールを守ることにこだわる。この世界を守ろうとする。もし、それが本当だとしたら、なんて悲しい存在なのだろう、パナリオンって。

 理恵も?

 よぎった考えに、目を閉じる。いいや、違う。過程がどうだったにしても、理恵は僕を救い、今でも救い続けている。

 僕の、かけがえのない救世主。


「随分と、パナリオンについて詳しいな」


 話題を変えたくて、質問を投げて矛先をネブロに向ける。

 パナリオンとソフィアは殺しあうことが常であり、お互いの情報を共有することはないため、ソフィアにとってパナリオンは敵だということ以外、バルベーロで情報を持ち寄って分析しても謎に包まれた部分が多い存在だった。

 理恵のそばにいて、自分の正体を隠しているからこそ、パナリオンの神についての情報を聞きだせる。そういう意味で、むしろ僕が一番詳しいのだと思っていたが。


「なぜ、そんなに知ってる?」

「決まってんだろー?」


 ネブロは、悲しいくらいさわやかに笑った。


「米国落としたときに殺したパナリオン、俺の恋人だったからじゃねぇか」


 

 放課後になっても、今日は赤井先輩がメフレグ研究会の部会に誘ってくることはなかった。昨日部員のほとんどが殺されてしまったので、部会どころではないのだろう。赤井先輩もそれなりにショックだったのかもしれない。

 今日は、静かに理恵と一緒に帰ることが……。


「へいへい、帰るぞ、ブラザーアンドシスター」


 できない。


「レディ」


 帰り道、僕と理恵の前を後ろ歩きで歩きながら、ネブロは言った。


「なに、ネブロ君?」


 夕方になって、風が出てきた。理恵は髪を押さえながら聞き返す。


「お前、雪のこと、好きか?」

「ぶっ殺すぞ!」


 最近使ったことのない乱暴な言葉が思わず口をつくほどに激昂した。

 なんてことを聞いてくれるんだ、こいつは。

 これで理恵がイエスだと言ったら、死ぬほど嬉しくて、けれど死ぬほど辛い。もうこれ以上裏切ることができなくなるかもしれない。力を得るためには、また裏切らなければならないというのに。 

 これで理恵がノーだと言ったら、死ぬほど辛くて、けれど、死ぬほど楽になる。もう明日からどんな顔して生きていったらよいのか分からなくなるけれど、理恵が僕のこと好きでないなら楽に裏切ることができる。躊躇いなく神との契約を更新し、理恵を守るためのさらなる力を得られる。

 でも、どちらにせよ味わわなければならない死ぬほどの辛さが、情けないくらい怖くて、僕は理恵が何も答えないことを祈りながら彼女の顔を見た。

 唖然とした。

 理恵は、真っ赤だった。

 耳の先から頬まで顔を真っ赤に染め上げて、目に涙をためて、うつむいている。うぬぼれかもしれない。けれど、僕にはそれがどんな意味なのか、分かったような気がした。

 心臓が狂ったように鼓動を早める。

 理恵の顔が赤を超えてもはや火山のように爆発寸前となり、


「きゅぅ」


 気体が抜ける風船のような声を出して、理恵はそのまま後ろに倒れこんだ。

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