君を裏切る。それが、僕のメフレグ。~裏切れば裏切るほど強くなる~

探空

第一章

第1話   交差点の向こう1

「もしも、この世界が捨てられた赤ん坊のような存在だったらどうする?」

 

 放課後の教室で、赤井あかい先輩はいつもの間延びした声で呟いた。

 ずれた赤フレームのめがねを直そうともせず、真っ赤に染めた髪の毛をぐりぐりと指に巻きつけて、窓際の机に腰掛けて赤井先輩は他人事のように窓の外の景色を眺めている。


「もともとは生むつもりなんてなかった世界だけど、神様同士がうっかり一夜を過ごしてできちゃって、捨てられてしまった子供、みたいな感じだったらどうする?」


 教室には、僕と先輩以外の誰もいなかった。ここは生徒が激減したおかげで空き部屋になり、それを都合して貸してもらってる部室だった。先輩の気の抜けた声は、この殺風景な部室の天井でシャボン玉みたいに割れて消えた。僕は何も答えずに、隣の机に腰掛けて、同じように外の景色を見た。

 ちょうど、窓を大きな影がよぎった。

 男だった。同じ学校の制服を着ていた。悲鳴のような、歓喜のようなよくわからない調子で絶叫しながら、彼は頭から学校のグラウンドに落ちた。

 真っ赤な血の花が、そこに咲いた。

 グランドを囲んでいた生徒たちは、みんな歓声を上げた。何人かの手には、「自己破壊せよ」との見慣れた決まり文句が刻まれた垂れ幕が掲げられていた。

 この状況を作り出した先輩は、悪魔のように冷静に、静かに、気ままに、この景色を眺めている。


「ねぇ、せつ


 先輩が僕の耳元で、僕の名前を呼んだ。


「この世界が。そんな世界だったら、どうする?」


 吐息が耳にかかる。僕は目を閉じて小さく答えた。


「別に、ただ」

「ただ?」

「それでも生きるだけですよ」


 くすっと微笑んで、それからこらえきれなくなったのか、先輩は大笑いした。


「あははははは。それで、メフレグ研究会の副部長なんだから笑っちゃうわ」

「副部長になった覚えないんですけどね。それに、僕を選んだのは、部長である先輩ですよ」

「ああ、そうだった」

「忘れてたんですか? あれほどしつこくねだってきたのに」

「良いのよ」


 先輩はへらへらと笑う。


「それもまた、メフレグよ」


 空を仰ぐ。そこには、太陽と、それを突き刺そうとする十字の巨大な剣が浮かんでいた。

 世界が壊れてから、もう二年が経とうとしている。

 ふと、外の歓声が突然やんだ。

 見ると、一人の女子生徒が集会の中に割り込んでいった。ものすごい剣幕で怒鳴り散らすわけでもなく、何か祈るように彼女が語り始めたその瞬間に、それがたった一人の女の子にも関わらず、連中はたじろいで散り散りになり始める。

 さながら一騎当千の彼女の姿に、言葉に、僕は嘆息する。

 まさに、福音ゴスペル

 その様子を見て出て行こうとすると、背中に温かい重みを感じた。


「……何ですか?」

「行かないで。彼女はやめておきなさい」


 僕を後ろから抱きしめて、先輩は甘ったるい声で言った。


「どうして?」

「私が、あなたを好きだからよ」


 茶番のような告白と、その言葉の軽さにうんざりして、僕は言い返した。


「それも、メフレグですか?」


 ははっと、先輩は笑ってひらひら手を振った。


「かもね」


 僕は何も言わずに教室を出た。

 駆け足で階段を降りてグランドに飛び出すと、もう彼女によって集会が解散させられたところだった。

 黒い、長い髪をかきあげて振り返った彼女の顔を見て、息が止まった。

 全ての人をとりこぼすまいと開かれた大きな瞳、長いまつげ、言葉だけで連中を退けたとはとても思えない小さな唇。全てがきれいで、尊くて、僕は思わずその名をこぼした。


理恵りえ

「雪……」


 彼女が泣きそうになっているのが分かる。それと同時に、とても怒っているのを。

 理恵は落下した男子生徒のそばに行って、屈みこんだ。そのまま、そっとその頭をなでる。手に血がつくのもお構いなしに。


「また、死んじゃった……」


 自分が殺してしまったかのように呟く理恵に、僕は淡々と一言。


「そうだね」

「また、守れなかった」

「やめろよ」


 僕は理恵のそばに行って、その頭に手を置く。


「彼は自分から望んだんだ」


 自殺、そういうことだろう。今時の流行じゃないか。


「メフレグは伝染する。だから……」

「それでも、」


 理恵は立ち上がって、僕を見据えた。その指先からゆっくりと血のしずくが滴り落ちる。


「私は、守れなかった」


 大きな瞳には涙がたまっている。もしも、君が彼を守ったとしても、それが『救い』にはならないかもしれないというのに。一切を捻じ曲げてでも、君は。


「帰ろう」 


 僕はできるだけせいいっぱい笑った。僕にできることなんて、それくらいのものだ。


「そうだ、帰りにアイスおごるよ」


 壊れた世界の、狂った季節の、崩れた国の、腐った街の、歪んだ日常である。

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