07..金星の硫酸雲でサーフィンっ!《15日目、金星》

 母船のハッチから七機のマンタが、加速しながら次々に金星の雲に飛び出していく。

 各機に寄り添うように二つの球体、フグが追随する。


 フグは、マンタと相対速度を合わせているため、船内からは翼の先に、ただ、ふよふよと浮かんでいるように見えている。


 ツアー支援AIの声が船内に響く。


「マンタ-1号から7号、全機、ベクトル同期良好。雲に乗る高度六十キロまで降下する。このまま高度七十キロまでは進入角度維持、以後1号機に追随」


 マンタの編隊が縦一列になって、高速で流れる雲の向きに順行するよう微調整しながら降下していく。

 ソルとルナの乗るマンタ-4号機の船内では、歓声や悲鳴が混ざり合っていた。


 二人の耳につけた骨伝導ヘッドセットから、<オリオン>の声が聞こえた。


「ソル、ルナ、お二人のバイタルは正常です。脈拍が早いものの想定範囲内です。ルナ、先ほどの悲鳴、一番乗りでしたね。いい感じでしたよ」


「…う、やっぱり!聞こえて!たよね!」船内が騒がしいため、大声でルナが返す。

「あたしが!叫ぼうとしたら!先!越されちゃったしね!」

「はい。ルナもソルも、このまま十分にはっちゃけてください」


 マンタの乗客席は、横に四席が並び、その配列が後方に向かって階段のように高くなり、全部で六列、合計二十四席が配置されている。各席の目の前には、横長の大型モニターがあり、加えて船内の前面と天井は、船外の景色を映しだす大型壁面モニターになっている。

 一見すると、まるで外殻が透明になっているかのように錯覚する。


 その外の景色が丸見えの状態で、マンタは白金色の雲に向かって降下している。

 ふとした雲の切れ目から、さらに下に濃い雲の海も見え隠れする。


 マンタが雲に近づく。やがて視界いっぱいに広がった白金色の雲が、うねりながらこちらへ迫る。


 雲との最初の接触で、一瞬、機体がふわりと持ち上がった。まるで雲の上を滑り、その表面の流れに乗るみたいに。


 「わ、わ、わ! うそ、波乗り、いや雲乗りだ!ルナ!今すべってる、わたしたち、雲の上をすべってる!」


 ルナは座席の安全バーを握りしめ、前方を凝視したまま、コクコクとうなずいている。

 誰かの「雲のサーフィンだー!」が重なって、客室が一層にぎやかになる。


 外の雲は淡い白金、オレンジなど様々な濃淡の層になっている。

 時折、船体の電磁シールドと、周囲の帯電した雲との間でスパークが走り回る。

 進路前方には、雲間から飛び出した数本の雷光が暴れまわっているのが見えた。


 縦一列になって雲を滑る編隊が位置取りを変える。


 マンタ-1号から7号までの縦列状態から、全機が横一列に広がり、鮮やかな水平飛行で雲の上をサーフィンのように滑っていく。まるで海を泳ぐエイの群れだ。


 フグたちがそれを上方の前方、後方から撮影している。

 「フグ、がんばれ! 置いてかれるな!」

 すぐ前の乗客が声を飛ばす。


 そのとき、前方を進む一体のフグに雷が直撃した。

 まばゆい閃光と、ものすごい音量の雷鳴が船内にも響く。

 船内の乗客たちが一斉に悲鳴を上げる。


「いま、あのフグに雷がっ!」とルナ。


 光と音が収まると…雷の直撃を受けたフグは何事もなかったかのように、マンタの横一列の編隊の前をふよふよと飛んでいた。


 支援AIの声が響く。

「各機、縦列編隊に移行。右前方、雷雲の渦穴から風速三〇〇キロの雲に突入」


「え、あの渦に突っ込むの!? 穴の周り、雷だらけじゃんっ?」

「はい。突っ込みます。あの中は意外と気流の影響が少ないのですよ」と<オリオン>。


 マンタ-1号を先頭に、頭を下に姿勢を変えて、雲の渦穴へ飛び込んでいく。2号、3号と続き、次は、二人の乗る4号。


 渦穴が荒々しい雷光で形どられている。もはや”光の網目”といえるそれが正面から迫って、いきなり世界が真っ白になる。


 思わず目をつぶるが、まぶたの裏まで雷光が届く。

 調整されているはずの雷鳴音も船内に響きつづける。


「うひゃーーーーー!」「すげぇーーーー!」「あはははーーーーー!」「ひゃっはーーー!」「きゃぁぁぁーーーー!」


 もう、自分の叫び声か、誰かの叫び声なのかも分からない。


 にぎやかな時間が数分くらい続いただろうか。


 急に雲が切れて、薄暗い景色が見えてくる。

 すぐにモニターの明度が調整され、赤っぽい地表と巨大な山がはっきりと見えた。


 目の前には、金星の最高峰、標高十一キロメートルのマクスウェル山。

 山頂は雲に覆われて見えないが、雄大な稜線が山の大きさを物語る。


 熱気でゆらいで、その輪郭はところどころで歪んでいるようにも見えた。

 広大な裾野が、地平線の向こうまで続いている。


 「地表近接、標高三キロメートルまで下降。全機散開して、個別コースを飛行」

 「きたー! みんな、好きに泳げー!」後ろの乗客が叫ぶ声が聞こえる。


 マンタ-1号が山の稜線に沿って左へ向かい、2号は谷筋に沿って右へ抜ける。

 3号はやや上昇しながらスラロームして左へ。


 二人の乗る4号は正面の山に突っ込み、ぎりぎりで右に旋回した。

 旋回した先に、中腹からの熱噴気が見える。


 機体が噴気ぎりぎりを突っ切り、後方に噴気の幕がぶわっと広がる。

 乗客たちの弾けた声と雷鳴が合唱のように一つになった。


 気が付くと、機体の左右にフグがついてきている。時に先行し、時に後ろへ。

 スラロームのときには、機体の翼の影に潜り込み、姿勢がもどると翼の前からひょこっと顔をのぞかせる。


 ときどき雷がフグを直撃すると、その外殻を構成する導電メッシュの格子状模様が一瞬浮かび上がる。


 「フグ、いいぞ!」と誰かが叫んだ瞬間、前方の谷間からまっすぐに稲妻がこちらに向かってくる。


 稲妻はマンタ-4号を直撃し、船体シールド全体が激しく発光した。とんでもない雷鳴が船内に響く。

 ルナが少しだけ上ずった声で話しかけてくる。


「怖いけど!いまの、すごかった!こんなの見たことない!すごくきれい!」

「その激しさが、金星の美の正体かもしれませんね」と<オリオン>。


「全機、再編成。7号を先頭に扇形陣形、のち横一列へ」


 マクスウェル山を抜けて、上に見える雲に戻る段階で、七機が息を合わせる。

 7号が先頭中央、6号と5号がその左右、4号は右列の二番手へ。


「いいね、入れ替え戦!」

「後ろばかりでは退屈でしょうから」<オリオン>がさらりと答える。

「美は、平等に配分されるべきです」


 先頭が尖った扇形陣形の編隊が、上方の薄い雲に下から飛び込み、一気に雲を突き抜け、白金色の粒子を跳ね上げる。


 やがて、各機が横一列に並ぶ。

 FUGUたちが2グループに分かれて、編隊の上・下からぴったりと並走してくる。


 上層は相変わらず時速三〇〇キロの暴風の嵐だ。

「最上層の雲の上に抜けます」と<オリオン>。


 七機が横一列で上昇角度を合わせ、白金色の上層雲を一斉に突き抜ける。


 雲上。

 先ほどまでの薄暗かった暴風と雷の世界に比べると、上から見る雲は乳白に黄金を流し込んだような穏やかな輝きに見えた。


 叫び声と雷鳴でにぎやかだった船内も、一息つくように静まり返っている。

 過酷だった景色も遠ざってみると、かえって美しさが際立っているような気がした。


「……雲がとってもきれい。神々しいって、こういうのを言うのかな…」とルナ。


「これでスリルのある区間は終了です。お二人とも、心拍かなり高めでしたが、現在は落ち着いてきています」 <オリオン>の声が響いた。


「各機、再編成。4号を先頭に最後尾は1号と7号で扇型へ。先頭を順次入れ替えながら、母船の軌道まで金星を半周移動」

 今度はソルたちの4号機が先頭に編隊を組む。


「いいねぇ、ちゃんと中間にも先頭をまわすんだ」

「公平は重要です。それに、この方が後で映像再生数が伸びるようですよ」

「<オリオン>、それ、ぶっちゃけすぎ…」


「母船に帰還します」と支援AIの声。

 《セレスティアル・ホエール》の姿が肉眼でも見えてきた。巨大な白銀の船体に、尾びれから波打つ推進光……私たちのクジラ。


「……すごかったね、ルナ。六十分があっという間だった」

「…ええ、ソル。金星そのものを、自分の五感でしっかり感じられたわ」


 七機の編隊は扇型から縦列へ収束して、母船の後部デッキに吸い込まれていく。

 フグたちも各機に連れ添って、デッキ内に流れ込んでくる。


 デッキに入ると硫酸成分を洗い流すため高圧で機体洗浄を行い、その後、気圧を戻して乗客の下船を促す。


 誰かが大声で「すごかった」と言い、誰かが「またやりたい!」と笑う。

 <オリオン>が、ふたりに話しかける。

 「ソル、ルナ、すばらしい、はっちゃけぶりでしたよ」


 マンタから降りても、耳の奥にはまだ雷鳴が、目の奥には雷光が残っている。

 デッキから船内に入ると、第2巡目の参加者たちのざわめきが聞こえてくる。


 ソルが、ふとデッキの方を振り返る。

「あたしたち、いい波乗りこなしたんじゃない? <オリオン>も楽しかった?」

「はい。素晴らしい体験でした。それから、お二人に約束した金星の音、しっかり記録しましたよ」と<オリオン>。


 まだ頬に熱さが残っている気がする。

 足元が少しふわふわしたままではあったが、二人は満足げな、とてもいい笑顔を見せたまま居室に向かっていった。





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