第二十八章
「こんにちは、えつやです」
「春樹です」
「はい、お久ぶりです。今日はいつもと違う背景なんですけど、実は俺入院していまして、ここ病室です」
竜胆は本当の事を話した。23時までレッスンしていたこと、竜胆はサインを書いていて別件で事務所に居た事を話した。そして帰宅途中警察に職務質問を受けて、時間が時間で家出を疑われているのか警察がなかなか開放してくれず、マネージャーを呼んで証明してもらったことを話した。後になって職務質問は任意だから拒否してもいいらしいんだけど、拒否したら後ろめたいことあると思われるらしく、警察も意地になって職務質問掛けるらしいから、実質は強制らしい。
「その後はマネージャーの家で少しだけお休みさせていただきましたが、報道のような関係では一切ありません。酔ったマネージャ―の介抱したまでです。これが本当のマスコミが報道してくれなかった「真実です」受け止め方はそれぞれだと思いますが、事実しか話していません。信じてくれとも言いませんが、これ以上の憶測報道は迷惑ですので、雨てください。最後にファンのみんなに、心配かけてごめんね。ついてきてなんて言わないけど、みんなの事大好きだよ」
えつやと春樹はそうして手を振り動画を切った。
動画はすぐに編集なしで上げた。数分経ってアップロードされたとあった。もう200回再生されていた。コメントはもちろんまだないが、いいね、が押されていた。5分以内の短い動画だ。コメント欄にはまだ何もないが既に2000回再生されている。いいね、も1400もついている。やがて一件のコメントが着いた。
『マネージャーの家に行く経緯は理解したけど、介抱するまで必要かなって思うところもあるけど、でも本当の事言ってくれてありがとう』
『マネージャーも所属アイドル連れてくるべきじゃなかった気がするけど、仲いいかったってこともあってハードル下がってたのかも』
『はるぅ、大好きだよ』
多くのコメントは擁護的だった。ただマネージャーの家に上がることには批判的なコメントが多かったが、確かにそうかもなと思ったから、反省している。
「結構印象良い方じゃない」
「うん、もう少し炎上するかと思った」
「で、はるぅってのは春樹の事?」
「うん、みんな愛称で呼ぶ」
「シロセのターニャみたいなものか」
「竜胆もえっちゃんとか呼ばれたい?」
「居酒屋みたいだな。えつやのままでいいよ。てか竜胆呼びは春樹だけなんだよ。社長だってえつやって呼んでるんだから名前呼びにして欲しい」
「え、そんな急に恥ずかしいな」
「セックスしといて何が恥ずかしィだ」
そんな会話をしていたら金属を落とす大きな音が聞こえた。
見ると看護師が器具を落としていた。
「あ、ごめんなさい!」
そう言って器具を拾い上げ、入りかけた病室をあとにした。
明らかに動揺している。多分さっきの会話を聞かれたんだと思う。
「やばいかな」
「大丈夫だと思うよ。多分」
春樹が自信なさげに言う。
Youtubeの動画で多くのファンは安堵した。だがひとりだけ納得していない人がいた。MMテレビアナウンサーだ。彼女は熱狂的な春樹ファンだ。春樹の女の子のような可愛さは女性ファンにも人気ではるぅと愛称で呼ばれている。そしてえつやと非公式で付き合って居るんじゃないか説が流れている。ふたりでチャンネル持っているし、グループ内で一番仲がいいからそう言う憶測が流れているが、本人たちからは何もない。ただ仲がいいのは絶対確かだ。
彼女youtubeを閉じるとノートPCを鞄に入れて車を走らせた。場所は八王子病院。えつやが入院している場所だ。殺せと言ったのに失敗した“飼い犬”の後始末をしないといけない。警察はまだ逮捕していないが、まさか有名アナウンサーの家に匿われているなんて思いもしないだろう。
彼女は車のトランクを開けた。
そこにはえつやを刺した男がいる。裸で身体を縛られている。
「そこで待っていなさい。あなたの愛した竜胆えつやは私が殺してあげる」
「んーんー!」
「なに? 何が言いたいの?」
彼女は男の口からガムテープを取る。
「殺さないであげて」
「はぁ!? てめぇが失敗したから私が出たんだろ!? 自分で刺しておいて私が殺しに行くのが嫌なのかよ!?」
「違う。えつやは幸せに生きるべきだって気づいた。俺が間違っていたんだ」
男は泣いた。女々しく泣いている。
「てめぇふざけんな! 失敗ばかりしやがって! 私が抜いてやった恩を仇で返しやがって、これ終わったらてめぇなんて豚箱にぶち込んでやる!」
そう言って乱暴にトランクをしまう。そして鞄から春樹のチェキブックを取り出した。そこには数十枚の春樹との写真が収まっている。
「待っててね春樹、私が解放してあげるから」
そう言ってキスして、抱きしめた。
躊躇せず家からナイフを持ち出して病院の敷地内に踏み入る。職員玄関から裏サイトで購入した暗証番号を入力した。4000円で買える程度の値段だった。臓器に比べると圧倒的に安いのはこの国の情報セキュリティが甘い証拠だ。
病院内は消灯時間で暗かった。十時半、巡視の時間が過ぎているはずだが患者の点滴で看護師が巡回している可能性がある。大体2時間の点滴が多いはずだから時間的には終わっているか微妙だ。
早くしないと。
病室の場所は知っている。503号室だ。
部屋から話し声が聞こえる。
「じゃあ、僕は帰るね」
「ああ、遅くまでありがとう。タクシーは?」
「予約してあるからもう着いてるかも」
「そっか、なら安心だな」
えつやと春樹の声だ。
女の手に緊張がにじむ。この子を殺したらアナウンサーとしても人としても終わる。人生の終了だ。でも、春樹が誰かのモノになるならやるしかない。
病室の引き戸が開いた。
とっさにナイフを振る。
「うわぁ!?」
反射でよろけた春樹が床に倒れる。
「春樹!?」
えつやがベッドから起き上がおうとしたがお腹の痛みで体勢を崩したのか、そのまま床に落ちた。
「春樹逃げろ!!」
女は両手を広げてドアを塞ぐ。
「逃がさない! 絶対に」
「狭山さん!?」
春樹が名前を呼んでくれた。
「嬉しい! また名前呼んでくれた。新人の頃から応援してるもんね。最初の仕事があなたへのインタビューだった。新人はニュース読ませてもらえなかったけど、最初の仕事があなたで本当に良かったよ。大好き」
「チェキも握手会もずっと参加してくれたもんね。公私ともに僕の応援嬉しかったよ」
「あれ、おかしいな。なんで過去形なの?」
「僕を殺そうとする人をファンだとは思わない」
女はハッとしてナイフを見る。
「これは………あなたが裏切ったから」
「youtubeでも言ったけど僕らは報道のようなことはしていない」
「そんなの証拠もないじゃん!」
「ないよ、言葉だけ。でも、推しの言葉を信じられないの?」
「女の部屋に上がるだけで裏切りなんだよ! それに………なんでメンズ同士で……私が一番応援してるのに!!」
「知られていたのか」
えつやが言う。
「誰からのリークだ」
「貴方を刺した飼い犬よ。アイツは私のペットだから何でも言うことを聞くわ」
「あの男か」
「どこで知り合ったの?」
春樹が聞く。
女は春樹に話しかけられて嬉しいのか少し笑顔になってこたえる。
「マチアプ。って言いたいけど身分証提出でチャットするとこが多くなってきたから〇〇〇ってアプリ、最近流行ってるでしょ」
まだマイナーだが新しいSNSって謳い文句で友達作りとしてはやっている。内容は自撮り界隈や歌配信、恋の悩みが多く、グループチャットも出来る。Xやインスタにも出せない悩みをさらけ出す場所として人気だ。裏垢まではいかないが、サブ垢に近い扱いだ。個人チャットもあるが運営AIが巡回しているから、こういう殺人依頼みたいなものは出来ないはずだが。
「出会いがきっかけですぐに個チャから移動したわ。いまだにLINEの個人チャットは監視ないから楽よ」
「そう言う事か」
「あなた愛されてるわよ。あの男、刺したこと後悔してる」
出所したらアイドルとしてまた迎えてあげてねと女は言った。
「あんたはどうなんだ。ここで春樹を刺して後悔しないのか?」
「……」
女は迷っている。復讐の炎で我を忘れていたがえつやが冷静に話しかけたおかげなのか理性を取り戻しかけている。
一度は愛した推しだ。本当に殺したいわけがない。名前まで憶えられているならファンなら何よりも嬉しい。
「今なら全然引き返せるし、警察にも通報しない。あんたの人生に何の傷もない。悪くないだろ」
「無理な話よ。あなたを刺した男と私は共犯よ。取り調べで私の影が出てくるし、LINEのトーク消しても一定期間は保存されてるから、裁判所と押して開示請求すれば私とのやり取りは明らかになる」
「それでも殺人実行犯の未遂と計画犯じゃ罪の重さは違ってくる。頼むから春樹は見逃してくれないか」
「じゃあ、あなたの命で見逃してあげる」
「ああ、構わない」
「竜胆!!」
春樹が叫ぶ。
「良いんだ! 俺を刺せ狭山」
女はナイフを握りしめた。
「ごめんね」
それは最期に寄り添ってくれたえつやへの感謝と労りだった。
女はナイフを振りかざす。えつやは覚悟を決めたのか目を閉じた。今少しでえつやの首にナイフが刺さろうとするその瞬間、春樹が女の前に出た。そしてあろうことか春樹の喉にナイフが刺さった。本意ではなかった。春樹の事を本気で殺すつもりはなかった。
春樹の首から血が大量にあふれた。
「いやああああああああああ!!」
春樹は自分の首を押さえながら倒れていく。その様子に過呼吸になった女は自分の罪を抑えきれなくなったのか、過呼吸のまま手に持ったナイフで自分の首を切った。
「春樹! はるきぃぃぃぃぃいい!!」
薄れる女の意識の中でえつやの叫びが聞こえる。
ごめんね春樹、ちゃんとファンで居られなくて、あの世で会えたら謝るから、ちゃんと地獄に堕ちるから、本当にごめんね、ファンで居られなくてごめんね、大好き、愛してる。
女は後悔に苛まれながら静かにゆっくりとこの世から息を引き取った。
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