第40話:夜明けの戴冠

 偽りの王は、塵となって消えた。

 玉座の間には、完全な静寂が訪れる。

 黒い雪を生み出していた禍々しい魔力は、その源を失い、霧散していく。

 破壊された天井の隙間から、夜明けの、柔らかな光が、一条、差し込んできた。


 俺は、ただ、静かに佇んでいた。


 終わった。

 父の代から続いた、因縁も。

 俺たちの、長すぎた、戦いも。


 だが、心に、歓喜はなかった。

 達成感も、なかった。

 そこにあるのは、ただ、空っぽの、がらんどうの、虚無だけだった。


「……終わった……のですね……」


 声は、セレスティアのものだった。

 彼女は、ジェラール卿の肩を借り、傷ついた体で、ゆっくりと立ち上がっていた。

 その青い瞳は、憎しみの連鎖が終わったことに、安堵の色を浮かべている。

 だが、その安堵は、すぐに、絶望へと、変わった。


 玉座の、その裏の、隠し扉が、ゆっくりと、開いた。

 そこに立っていたのは、国王ウーサー三世だった。

 しかし、その姿は、異常だった。

 生気のない、蝋人形のような肌。虚ろで、焦点の合わない瞳。

 そして、その首筋には、紫色の、禍々しい痣が、浮かび上がっていた。


「……おお……オルティス……。騒がしいのが……終わったのか……?」


 国王は、まるで、夢遊病者のように、ふらふらと、玉座へと歩み寄る。

 その姿を見て、駆け寄ってきたジェラール卿が、絶句した。

「へ、陛下……!? その、お姿は……まさか……!」


 国王は、ジェラールの声にも、気づかない。

 彼は、砕け散った玉座の残骸に、それでも、王のように、深く、腰掛けた。

 そして、満足げに、息をつく。


「……これで……また……静かに……眠れる……。……オルティスが、全て……うまく、やってくれる……」


 その瞬間、国王の体が、急速に、塵となって、崩れ始めた。

 オルティスの魔力が、この城から、消え去った。

 それによって、彼を「生かしていた」禁断の魔術が、効力を失ったのだ。


 セレスティアは、その光景を、ただ、呆然と見つめていた。

 彼女の、父。

 彼は、とうの昔に、オルティスによって、その命を奪われていた。

 そして、その魂さえも、弄ばれ、ただ、宰相の傀儡として、玉座に座らされ続けていただけだったのだ。


「―――お父様……!」


 彼女の、悲痛な叫びが、がらんとした、玉座の間に、虚しく、響き渡った。

 塵となって消えていく父の亡骸に、彼女は、すがりつくことさえ、できなかった。


 俺は、何も言わなかった。

 ただ、その光景を、静かに、その眼窩に、焼き付けていた。

 これが、あの男が、作り上げようとした、理想郷の、成れの果て。

 勝利の、代償として、残されたのは、あまりにも、空虚な、玉座だけだった。


 ――亡国。


 ふと、その言葉が、頭をよぎった。

 この国は、今、この瞬間、滅んだのだ。

 王を失い、多くの民と貴族と騎士を失い、そして、偽りの平和の、土台そのものが、崩れ去ったのだから。

 俺は、亡国の騎士。

 その言葉が、今、本当の、意味を持った。


 やがて、セレスティアは、涙を拭い、ゆっくりと、立ち上がった。

 その瞳には、もはや、悲しみの色だけではなかった。

 一つの国を、その背に、負う覚悟を決めた、女王の、光が、宿っていた。


 彼女は、まっすぐに、俺の、元へと、歩いてきた。

 そして、俺の、黒曜石の、骨の手に、そっと、自らの手を、重ねた。

 温かい、感触。


「……アレン」

 彼女は、言った。

「……ありがとう。……貴方が、この国を、救ってくれた」


「……俺は、何も、救ってなどいない」

 俺は、静かに、答えた。

「……ただ、壊しただけだ」


「いいえ」

 彼女は、首を振った。

「貴方が、壊してくれたのは、偽りの平和です。……これからは、わたくしが、本当の国を、築きます。……だから、どうか、傍にいて……。貴方の、力が必要なのです」


 その言葉は、あまりにも、魅力的だった。

 だが、俺は、静かに、彼女の手を、振りほどいた。

 俺の手は、あまりにも、冷たすぎた。


「……俺の、居場所は、ここにはない」


 朝日が、完全に、昇った。

 その光は、セレスティアの、金色の髪を、美しく、照らし出す。

 だが、その光は、俺の、骨の体を、この世ならざる、異形の、怪物として、無慈悲に、照らし出した。


 生き残った、民の目に、俺は、どう映るだろうか。

 救世主か。

 それとも、宰相の次に、討伐されるべき、新たな、魔王か。

 答えは、分かりきっていた。


 俺の戦いは、まだ、終わってはいないのだ。


第3部 黒曜の戴冠編・完

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