第22話「2018年8月4日④」

 詩乃は非常階段から屋根に登り、紗央莉と見張りを交代した。初めて屋根の上から一帯を見渡してみたが、山に囲まれているのであまり景色というのは楽しめなかった。景色の先には街が見えそうな開けた場所もあるが、濃霧が掛かっていて、双眼鏡で覗いても何も確認できなかった。お飾りの双眼鏡を持った見張りができることと言えば、死角が無いように結衣子と背中合わせで異変がないか周りを確認するくらいだった。

 代わり映えのしない茜色の景色をしばらく見渡していると、結衣子が声を掛けてきた。

「詩乃。さっきは、ごめん」

 詩乃は食堂でのことだろうと思い返す。唯一の親友を狼に食われるという形で亡くなったというのは一人で耐えられることではない。むしろ、自分を信用して胸の内を明かしてくれたことが詩乃にとっては少し嬉しかった。

「大丈夫ですよ。私で良かったら話聞きますので」

「ありがとう。なんか、紗央莉でもなく、知佳でもなく詩乃に話したくなったんだよね」

「それって、どうしてですか?」

「私にもよく分からない。多分、詩乃と、私は、似ていたから話しやすかったんだと思う」

 詩乃は結衣子と似ているという自覚は無かった。

「え、私と結衣子先輩がですか?」

「うん。似てる」

「大人しめなところとかですか?」

「それも、あるけど、一番は優柔不断なところ。シュート打つとき、自販機でジュース買うとき、迷い過ぎ」

 これは見事に当てられたと詩乃は照れるように自分の頭を撫でる。

「あはは、なんかこう、ちゃんと言われると恥ずかしいですね」

「詩乃には申し訳ないけど、勝手に仲間意識持っていた。だから、信頼した」

「そう思ってくれていたんですね。正直、嬉しいです」

 結衣子は詩乃と似ていると言ってくれたが、詩乃からしてみれば少し違うように見えた。詩乃から見れば、ハンドボールのプレーを見る限り、結衣子は決断力のある先輩だと思っていた。

「でも、ハンドボールの話になりますけど、結衣子先輩は自分のこと優柔不断っていうのに、どうしてあんなにシュートを決められるんです?」

「全然決められてないよ」

 結衣子は謙遜するが、詩乃に比べれば結衣子はシュートを決める機会も回数も多い。

「そんなことないですよ。初日の試合だって相当決めていたじゃないですか」

 結衣子は首を横に振り「他の人に比べてば全然」と変わらず謙遜する。

「私、シュートするとき決断ができないんです。ギリギリまでどこに打とうか考えるんですけど、最終的に打つところ決められなくて。結衣子先輩はどうしているのかなって」

「詩乃は、何が怖いの?」

「何が怖い……シュートを外すこと、仲間から信用を失うことですかね」

「詩乃は、後悔することを恐れているんだね」

「結衣子先輩は怖くないんですか? 自分で決めた先が悪い方向になってしまうこと」

「私も怖いよ。でも、どんな決断をしても、私は後悔しないようにしてる。だって、決断って自分の意志だから。それを後悔するって、自分自身を非難することになるから。たとえシュートを外しても、勇気を持って選択を決めることができたなら、私は後悔しない」

 詩乃は中学での最後の試合から自分自身を非難し続けてきた。自分のシュートが入るわけがない、という思いから迷いを生じさせてきた。

「その点は詩乃と違うところ。私は、自分を、自分の決断を信じている」

「自分を信じる……」

「さて、お喋りはここまで。ちゃんと、見張りしようか」

 それから三十分ほど辺りを見渡し続けた。その間の変化と言えば、地上にいる三人が石や槍になりそうな木を探しに、こちらが見える範囲で山の中に入ったくらいで、言うなれば暇を持て余していた。

 立ち姿勢が疲れて屋根の棟板金に腰を掛け、茜色の空を見上げたときのことだった。

「……何あれ」

 詩乃の視線の先には、イチョウ型の何か、半月を更に半分にしたような月が詩乃の頭上の空に浮かんでいた。

「詩乃も気づいたんだ。あの変な月」と背後にいた結衣子も空を見上げる。

「え、ええ。月なんですか、あれは」

「気味が悪いよね。月が四分の一になっているって」

「昨日はどうだったんでしょうか」

「月そのものが無かったはず」

 どうりで今日は空が明るい気がした。あのイチョウ型の月が照らしていたのだろう。

「じゃあ、どうして今日は……まさか狼が来る前兆とか」

「分からない。でも、昨日との違いは、萌華が死んだこと」

「ああ、まあ……そうですが……あの月と萌華先輩の死、関係あるんですかね」

「どうだろうね。水樹に聞いてみないと分からない、かも」

 ガサリ。

 そのとき、詩乃は物音がした方向を振り向いた。

 階段がある方の森から何かが動く音が聞こえてきた。

 石拾いをしている三人はその音と反対側の国道の方にいるので、音の正体は石拾いをする三人組ではない。

 ガサガサと草木を掻き分ける音は確かに建物の方に近づいてくる。

「結衣子先輩!」

 結衣子は一つ頷くと、おたまをフライパンに何度も打ちつけた。カンカンカン、と甲高い音が山中にこだまする。フライパンを鳴らす音に気づいた紗央莉たちも気づき、ペンションに走って近づいてくる。

 森の中の茂みが揺れる。

 来る。戦わないと。

 すると、茂みの中から飛び出してきたのはリュックを二つ背負った知佳の姿だった。結衣子は知佳の姿を確認してフライパンを鳴らすのを止める。

「知佳先輩、どうしたんですか?」

「あの狼から逃げてきた!」

 そう言って知佳は玄関へと飛び込んだ。石拾いの三人組も駐車場まで戻ってくると、屋根の上にいた詩乃と結衣子に何があったのかと尋ねる。

「狼です! 早く中に!」

 知佳が来た方を詩乃が指差したが、まだ狼が来る様子は無かった。

 詩乃の指示を聞いた三人は走って建物の中へと入っていった。

 狼と対峙するときはなるべく室内で戦おうという話になっていた。素早い狼の動きを室内戦なら抑えられ、槍の攻撃も有効に使えるだろうという算段だ。

 詩乃と結衣子も非常階段を降り、二階から一階の玄関へと向かう。詩乃と結衣子が談話室に着くと、息を切らした知佳が談話室の畳に倒れていた。その知佳を囲むようにして、紗央莉、梨帆、真由が立っている。

「何があったの?」

 紗央莉が聞くと、知佳は切らした息を整えてからむくりと身体を起こした。

「えっとね……昨日の外周回ったときみたいに最初は道路沿いを歩いてたの。でも、マスターも歪みも見つけられなくて、昨日と同じことをしてもダメだと思って山の中入ってみたけど、それでもやっぱり無くって」

 知佳が言葉に詰まる中、「それで?」と紗央莉が訊く。

「時空の歪みを探すならもしかしたら神社がいいんじゃないかって話になって、二人で神社に行ったの。そしたら……そしたら、狼が現れて、襲われたの」

「それで逃げて来たってわけか」

「うん」

「そういえば、水樹は?」と結衣子が訊く。

「……ごめん。水樹は私の代わりに……、私の前に出て、連れ去られた」

「もしかして、その血は水樹の血……」

 真由がそう言うと、知佳は首を縦に静かに振った。

 知佳の頬や白いシャツ、ナイフが付いた槍先には血飛沫がべっとりと付いていた。

「私も抵抗はしたの、ほら槍の先に血だって付いてるでしょ。刺しはしたんだけど、水樹を咥えて逃げられちゃって」

 言わずとも分かっていたが詩乃は思わず訊いてしまった。

「じゃあ、水樹は死んじゃったんですか?」

 その場にいた全員が沈黙し、視線を地面や天井に向けた。

「ごめん詩乃。私、一人で生きて帰ってきちゃった」

 知佳は畳に置いてあった槍を持って立ち上がった。

「謝りきれないから、私、死ぬね」

 知佳は血で塗られたナイフの付いた矛先を自分の喉元に向けた。

「おい。知佳やめろ!」

 紗央莉と結衣子が知佳の腕に掴んで下ろさせるよう力を込める。詩乃たち一年生も慌てて知佳の腕を掴む。

「し、死なせてよ! 私は後輩を殺したんだよ?」

 自分の喉を突こうとする知佳の力は抜こうとしない。詩乃たちがふっと力を抜けば、そのまま矛先が喉を刺して貫通しそうな勢いだ。

「お願い……お願いだから! やめてよ知佳!」

 結衣子の声が談話室に響くと、知佳は力むのを止めた。その隙に紗央莉が槍を知佳の手から抜き取り、玄関の方へと投げ捨てた。槍が地面に落ちたと同時に、カランカランと乾いた音が鳴る。

「なあ知佳。水樹が死んだのは知佳のせいじゃない。殺したのは誰かっていうのは履き違えないでくれ」

「でも、でも、水樹はもう帰ってこない。神社に行こうっていう私の判断は間違ってた」

「ちがうよ知佳。リスクはあったけど、確かにマスターも時空の歪みも神社の近くならありそうだろ?」

「誰かが死ぬっていうリスクまで背負ってやるべきだった?」

「それは……」

 紗央莉と同じように誰もが口籠もる。あくまで結果論だ。もし犠牲なく時空の歪みを見つけられたら良いチャレンジだったと言えるだろう。だが、結果的に水樹が死んでしまったのだ。

「ごめん……ちょっと一人にさせて……」

「知佳。シャワーでないけど、水浴びなよ。厨房に水あるからさ、血流しな」

 結衣子の言葉に頷いた知佳は、食堂へと向かっていった。

「そういえば知佳! 狼は?」

「私も必死に逃げてきたから、狼がどこまで追ってきたのか分からない。でも、きっと水樹を持ってどこかに行ったと思う」と知佳は空な目をして答える。

「なら……大丈夫か。知佳、ありがとう」

 それから紗央莉の指示のもと、屋根での見張り係と待機組に分かれてペンションで狼を迎え撃つようにした。しかし、何時間経っても狼がペンションに姿を現すことはなく。午後六時が過ぎていった。

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