第10話「2018年8月2日①」

 朝六時。アラームを止めると、外はもう明るく、鳥のさえずりが聞こえてきた。詩乃は隣で寝ていた梨帆を起こして一緒に廊下に出る。すると、二〇五号室の水樹と真由も一緒のタイミングで出てきた。

「あ、二人ともおはよー!」と水樹が太陽のような笑顔を見せる。

「おはよ。朝から元気だね」と詩乃が返す。

「うん! そりゃあそうでしょ!」

「昨日の晩からこの調子。修学旅行じゃないんだからさ」と真由が愚痴を溢す。

「へへ、ごめんごめん」

 そして四人は自然な流れで一緒に玄関へと向かうことになった。

 外に出ると少しひんやりとした空気を射すかのよに太陽が照りつけていた。空は雲ひとつない快晴。体育館で試合をすることもあるが、基本的に外で試合をするので絶好のハンドボール日和となった。

 数分待っていると二年生が外に出てきた。部長である知佳先輩を除いては、皆眠そうに瞼を手で擦っていた。

「はい、人数数えるよー。いち、にー、さん……よし、全員いるね! 体調不良の人とかはいる?」

 互いに顔を見合わせて沈黙が訪れる。それが全員元気という答えでもあった。

「じゃあ問題ないっていうことで! じゃあ出発するよ」

「あれ? 吉原先生はどうしたんですか?」

 水樹がそう言うと、一年生が周りを見渡した。生徒は全員揃っているが、吉原先生だけはいなかった。

「先生なら走ってるさ」と紗央莉が言う。

「「走ってる?」」と一年生四人が聞き返す。

「私たちが起きる前からこの辺走っているらしいの。先に神社に行っておくからそこで合流だって」と知佳が答える。

「毎朝走ってるんだってさ。去年もそうだったけど合宿の朝でも欠かさず五キロくらい走るんだよ」と萌華が補足する。

 それに加えて無言で頷く結衣子。

「私たちとの散歩はクールダウンみたいなものなんですね」と梨帆が言った。

「そういうこと。多分もう先生着いていると思うから行こっか」

 駐車場を通り抜けると、木で作られた階段があった。階段は山肌に沿うように右往左往しながら上の方に向かっている。

 知佳を先頭にし、二年生、一年生の並びで登り始めた。一段一段が特別高く造り上げられている訳でもないが、中には腐敗していて使えない階段があったり、雑草が膝下まで伸びていたりして決して歩きやい階段とは呼べなかった。登れば登るほど傾斜がキツくなり、詩乃の額には汗が滲む。

「ねえ詩乃。徒歩五分ってこんなにキツかったっけ」と梨帆が振り向いて言った。

「はあはあ。私の体感だともう十分くらい歩いている気がする」

「二人とも頑張って! ほらもう石段が見えてきたよ」

 水樹が指差す先には確かに鳥居と石段があった。詩乃はようやくかと思い、昨日の筋肉痛がまだ効いている太ももをよいしょと持ち上げた。

 石段の下に着くと、詩乃たちの頭上を鳥居が跨いでいた。しかし、全く整備されていないのか赤い鳥居は全体的に黒ずんでいて、柱のところどころには熊か何かに引っ掻かれたような跡があった。詩乃からすると、まるで自分たちが歓迎されていないかのようで少し気味が悪かった。

 念の為に礼をしてから、苔の生えた石段を登って鳥居をくぐった。すると、ハンドボールコートくらいはある境内には拝殿があるだけで、庫裡など他の建物は見当たらなかった。拝殿は、屋根の所々にバスケットボールくらいの穴が空き、周りには雑草が脛の辺りまで生えていて、誰かが管理している様子は見受けられない。

 詩乃は神社というよりは廃墟だと思った。

「ワクワクするね詩乃! こういう曰く付きの神社なんて初めて入ったよ!」

「そ、そうだね」

「神社の後ろには何があるんだろ」

「あ、こら水樹勝手に行かないで!」

 知佳の注意も虚しく、水樹は拝殿の裏へと回った。他の七人も仕方なく付いていくことにした。

 拝殿の裏には、家庭の庭にあるような物置小屋がぽつりと置かれているだけだった。

「なーんだ何もないのか」と紗央莉が言った。

「はい。残念ながら……流石に開けるのはまずいですよね……?」

「それはダメ」と知佳が頬を膨らませる。

「はーい」

 そして八人はまた拝殿の正面へと移動する。

 しかし、五分、十分と待っても吉原先生が現れることは無かった。

「これ、隠れんぼしようってことじゃない?」と知佳が呟いた。

「あーそういえば、去年の合宿でも同じようなことあった気がするな」と紗央莉が言った。

「でしょ? だから探してみよっか」

 はぐれたらいけないということで八人が一緒になって境内を歩いて探すも、吉原先生はどこにも見当たらない。

 境内を一周回って拝殿の前に戻ってくると「あとは拝殿の中だね」と萌華が言った。

 拝殿の襖は拳一個分くらいの隙間が空いていた。境内を一周する前、水樹が「あの中を最初に調べましょうよ」と提案したが、「ああいう神聖な場所に先生が入るわけがないよ」と知佳が否定した場所だ。

「で、誰が開けんのよ」

 紗央莉が尋ねるも誰も手を挙げる生徒はいなかった。しかし、詩乃も含め生徒たちの視線は自然と水樹の方に向かれていた。

「え? 私ですか?」

「逆に違うのか?」と紗央莉が訊いた。

「いやあ別にいいんですけど、なーんかあそこ開けたら本格的にヤバいの出てきそうな予感がしているんですよ。私の第六感が危険だと囁いているんです」

「珍しくビビってんじゃん」と紗央莉が鼻で笑う。

「べ、別にビビってなんかないですよ。ただこういう手が付けられていない神社とかお寺ってヤバいってよく聞くので」

「ふーん。で、どうするよ知佳」

「私も流石に気が引けるんだけど、開けてみよっか。実際さっき拝殿の裏に行ったときさ、何か中で物音が聞こえたんだよね」

 その後も二年生で話し合った結果、襖を開けることとなった。襖を開ける決め手となったのが、先生のものと思わしき足跡だった。地面には足でラインを書いたように境内の中心から拝殿に向かって二本の線が伸びていたのだ。先生はヒントとして地面に線を書いたのではないかと推察するようにした。

 じゃあ行こうかと表情に真剣さがある知佳を先頭にし、木製の階段を軋ませながら登って襖の前まで着いた。全員が僅かに空いた襖から覗いて中を確認するも、真っ暗な空間と神棚があるだけで吉原先生はいなかった。

「本当にいるんですかね?」と真由が知佳に向かって訊く。

「さあ? でもほら、聞いてみて。何か音が聞こえない?」

 詩乃が襖に耳を近づけてみると、確かにクチャクチャとした行儀の悪い咀嚼音のような音が聞こえてきた。

 詩乃が本当だと呟くと、全員も同じように頷く。

「おーい先生。そこにいるのは分かっているからさ、観念して早く出てきてくれよ」と紗央莉が言った。

 すると中からの咀嚼音は止んだ。

「仕方ない。開けるか。先生、開けるよー」

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