第9話 罪人

 魔物とヴァンパイアは違う。ヴァンパイアと人間は似ている。命の価値とは何なのか。

 長い階段を下りた先の四方を壁に囲まれた牢のような部屋。アリョーシャの目の前に、目隠しをされ、手を後ろで縛られた薄汚れたヴァンパイアが座らされている。罪を犯したヴァンパイアだと、アナスタシアがいう。

 この場には自分と罪人とアナスタシアがいるだけだ。アナスタシアの声が反響する。


「あれは二十数年前に3人の同胞を殺した罪人です。アリョーシャ、あなたがあれに最後の罰を与えなさい」


 かつて屈強だった罪人の肉体は、肋骨が浮き彫りになり、太ももは骨の太さしかない。アリョーシャには見えないが、目隠しを取れば、目は飛び出、頬骨が張った顔があらわになる。過酷な環境におかれ続けてもなお生きている。生かされている。

 ヴァンパイアがヴァンパイアを殺すということ。人間が人間を殺すということ。超えてはならない一線がある。まずは死ぬべくして死ぬヴァンパイアを。どんなきれいごとを並べようとも、人は慣れる。

 表面上、王は関与しない。アリョーシャはとことんアナスタシアを恨むといい。アナスタシアを恨んだ分だけ、王に泣きつけ。

 アリョーシャは過酷な試練を乗り越えてきた。強いとされる者たちに引けを取らない程度には強くなった。偏に、王の期待に応えるために。しかし、ナイフを持つ手が震える。自分が死んでもいいと思うことと人を殺すということはこんなにも違うことなのかと。本能が拒絶している。


「アリョーシャ」


 名前を呼ばれる。アナスタシアは容赦がない。王に生を捧げた者であり、王の思考を驚くほどに読んでいる。時に、王の思考の範疇を越えていると思うことがある。今がまさにそれだ。行き着く結果が同じであろうとも、私の王は、こんなことはしない。そう信じるが、アナスタシアは王の陰だ。アナスタシアの命令は、王の命令でもある。殺しができるようになることを期待、いや、必要とされている。

 呻く。手の震えを押さえつける。ぶつけようのない怒りが湧いてくる。呻きは悲痛な叫びとなり、ナイフは罪人の心臓に一直線に突き刺さる。アリョーシャの叫びが、罪人の絶叫にかき消される。心臓を、貫いた。……死んでいない。悲鳴を上げながらのたうち回る。手足を縛りつけた鎖が激しく鳴る。ナイフから手が離れない。罪人がもがくほどに傷は抉れる。

 アリョーシャはその光景に耐えきれず、土魔法で罪人を囲み、一息に押しつぶした。

 胃の中のものが逆流する。顔はもうひどいことになっているだろう。手にかけた命の重さに押しつぶされそうになる。


「よくやりました、アリョーシャ。初めにしては上出来ですよ。ヴァンパイアの中には、急所である心臓や脳を守るように血魔法を使えるものがいると教えましたね。今回の罪人は、相当な手練れでした。案外、技術は体が覚えているものです。生きているから、反射的に身を守ってしまった、ということです。想定通りにいかなかった時の対処法はよく考えることです」


 アナスタシアの声がただの音として通り過ぎる。王がこの事実を知ったなら、どう思われるだろうか。褒めて、くれるだろうか。思考は殺害から逃れるように良い景色を求める。王への期待が膨らんでいく。その腕で抱きしめてほしい。

 部屋に戻る途中、王とばったり出くわした。アリョーシャの泣きはらした顔は滑稽に見えるに違いない。思わず下を向く。


「どうした、アナスタシアにいじめられたか」


 いつもの優し気な声が聞こえる。やはり、王は何も知らないのか。

 頬に手を当てられる。火照った体に冷たい手が心地よい。顔が自然に上を向き、目があう。それだけで心の苦しみが王と共有されるような気持になる。王は私のすべてを分かってくれる、というような。


「苦しいか。立ち向かうんだ。本当にダメなときは私が守ってやる。アリョーシャ、おまえには私を守る力があることを忘れるな」


 心の底まで響く。私が、王を守る。なんと甘美な響きだろうか。それさえあれば、私は私を認めることができる。そして、絶対に果たさなければならないと決心する。言葉のままで終わらせることは、死ぬよりも苦しい思いがする。

 ベッドにもぐりこむ。いつからか、部屋を与えられ、王とは別行動をするようになった。なんとか寝ようとする。心を支える王の言葉、仕草、眼差しを思い浮かべてみても、殺したヴァンパイアの叫び声や苦悶する姿がアリョーシャを掴んで離さない。瞼の裏に鮮やかに映るそれは、死者の呪いか。ひょっとしたら、あの土の中でまだ生きて、苦しんでいるのではないかという錯覚にとらわれる。

 ベッドから這うように出て、王の執務室のほうへ祈りをささげる。この時間もペンを動かしているはずだった。どうか亡霊から守ってください。苦しくも静かな日常を続けさせてください。

 気づけば朝を迎えていた。日光は一瞬たりとて姿を見せないが、闇の中にも明暗がある。祈りの姿勢のまま、突っ伏すように寝ていたようだ。背中と首が痛い。頭も痛い。やっぱりうまく寝られなかった。

 結局、アナスタシアがアリョーシャを休ませる判断をした。休みは7日に1度だから、今回は特別の処置だ。彼女にも優しさがあるのかと思った。祈りが届いて、王が一言添えてくれたのかもしれない。しかし、ベッドの上で休むのは、かえって頭を悩ませるばかり。居たたまれなくなり、城を飛び出して走る。無心で走って、とにかく疲れ果てて、寝てしまおう。


 王は顎に手を当てる。走り続ける姿を空から眺める。どうやら、アリョーシャには命を奪うという行為が重すぎたようだ。

 王には葛藤などなかった。奪われたから、奪い返す。それは、敵が最も嫌がる方法でなければならない。それでアリョーシャが壊れてしまっては残念だが、人を殺せない勇者に何の価値もない。

 ヴァンパイアの中にも戦闘を好むもの、耐えられるものがいれば、血を見るのも嫌だというものもいる。アリョーシャは耐えられる部類とみていたが、戦うことが決して得意ではないらしい。


「優しさがどうでるか」

「王よ、勇者が守るということの象徴であるならば、アリョーシャの苦しみは、守りたいという思いの強さであり、適正の高さとも言えます」

「アナスタシアにしては珍しく庇うのか。そんなに可愛いか、アリョーシャが」

「否定はしません」

「気持ちはわかる。人間であろうと、同じ目標に向かう異常、愛着は湧いてしまう。あれにも、気分転換が必要かもしれない。人間は日光に当たらないといけないようだぞ?」

「王が連れて行ってはいかがですか。日の当たるところへ」

「本当に機嫌がいいじゃないか。アリョーシャは、こちらから提示しなければ、何も言わずに耐えてしまうだろう。取り返しがつかなくなる時まで」

「ご安心ください。王が寝ていても国は回ります。王の小さな時も国が回っていたように」

「……そうか。では、私もたまには陰気臭い地下室から抜け出して、日光でも浴びるとしよう。少しはこの性格も治るかもしれない」


 ヴァンパイアが日光浴などと言うことほど滑稽なことはない。防護服を重ねても、鎖につながれたような、身動きのできない状態になる。

 襲われなければ、死ぬことはない。町中に、それも日中に、ヴァンパイアが出没するなどと考える人間は絶無だ。王は慎重すぎる。

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