第13話 戦乱への序章
新婚甘々の数日が終わると、それからの日々はめまぐるしく過ぎて行った。
ジェシカは王子の妃となってから側近としての執務から離された為、ここ半年近くの状況といえば、アンソニーと王子から直接聞く情報がすべてだった。
…が、この一月ほど二人の多忙さゆえ、会うことすらまま成らぬ日々が続いていた。
自分は、少しでも王子の側にいたいから妃となったはずなのに、これでは以前のほうがよほど近しかったのではないかと思えてくる。
「ねぇキャロル。僕は何の為にここにいるのかなぁ…。前のほうがよっぽど楽しかったよ」
キャロルは王子付きの侍女だったが、ジェシカと昔馴染みのため、王子の配慮でジェシカのお付きも兼ねていてくれた。
「僕じゃなく私でしょう。わたくし!」
間髪入れずに指摘され、うんざりする。
「良いじゃないか。二人のときくらい。もうこっちのほうが楽なんだから」
「そんなだから普段ボロが出るのよ。恥をおかきになるのは殿下なのよ?ちゃんとなさい」
「はいはい。わたくしは、何の為にここにいるのでしょうねぇ…。キャロル」
「お世継を産むため、でしょ」
「え!?」
ジェシカは自分がまったく考えていなかったほうに話が飛んだので、酷く狼狽してしまった。
いや、考えてみれば当然の話なのか。
お世継…子供、か…。
自分の子供。想像もつかない…。
「まさか考えてもいなかったの?呑気過ぎるわよ」
察しのいいキャロルは、痛いところをついてきた。
キャロルは心底呆れ顔でため息をついた。
「あなた、いったいなんの為にここにいるの?」
自分が投げ掛けた疑問を、そのまま返されてしまった。
しかし数日後、事態は一変する。
今日の閣議でブレイグへの王子出兵が決まったというのだ。
その夜、ジェシカはグレンの執務室を尋ねた。
尋ねた理由がわかっているのだろう。グレンは黙って部屋に招いてくれた。
促されるまま椅子にかけるが、しばらく言葉が出て来なかった。
言いたい事は山ほどある。
だが、すべての気持ちを表現できるとはとても思えなかった。
色々考えると、涙が溢れてくる。
それでもこれだけは、と意を決して重い口を開いた。
「行かないで下さい…」
必死に涙を堪え見上げる様子は、少なからずグレンを驚かせたようだ。
「なぜあなたが最前線にでる必要があるのですか?本当にやめて下さい」
なおも、ジェシカは続ける。
本当は初期にこの計画の立案に携わった者として、最前線に指揮官が赴く事がいかに有効な策であるか、重々承知していた。
今までの敗戦の数々は指揮系統の悪さによるものが大きかったからだ。
だが、実戦経験が皆無のグレンが総大将につくなど、想定外だ。無謀もいいところだ。
「僕は、この戦争を終わらせたい。どうしてもだ。今までは食い止める事に力を尽くしてきたけど…このまま平行線では犠牲ばかりが増えていくだけだ」
「それは…」
事実この5年間で若者の3人に1人が徴兵され、多くの兵士が帰らぬ人となっていた。犠牲になるのは国民ばかりだ。
それでも、平地が多く、収穫が安定しているワーズウェントはまだ良いほうかもしれない。
隣国、ブレイグは北方に位置しているが、荒野が広がり国土の多くが山々に囲まれている。
これという産業もなく、国として大変貧しい。
だからこそ、ワーズウェントに侵攻してきたとも言える。
「それでは、私も一緒にお連れ下さい。なぜ、兄だけなのです?一人残るなんて、耐えられません」
もしグレンが敵方に捕えられれば、確実に処刑されるだろう…。
せめて、側で守りたい。
「…僕の指揮で、これからたくさんの人が命を落とす事になる。僕の手も血に染まることになるだろう。その覚悟はあるつもりだけど…その姿を君に見せるのは正直、辛いんだ」
「あなたは、ずるい…。私の気持ちは考えて下さらないのですか?」
いつも、いつもいつも、控え目なくせにこの時ばかりはまったく譲ってくれなかった。
「…うん、僕のわがままだよね。でも、君が目の前で命を落とす事になったら、僕はどうすればいい?それこそ僕はすべてを失う事になる…」
グレンはジェシカをまっすぐ見つめ、寂しそうに笑った。
この前、話してくれたブレイグの王弟の事か。
二人は親友だったという。
ブレイグの制圧は、彼との決別を意味する事は明白だった。
グレンがずっと和平路線を国王に説いていたのは、その事が多分に影響していたのだろう。
しかし、当のブレイグが和平に応じないままでは、どうしようもなかった。
ブレイグの王弟はどうなのだろう…。
やはり、苦しんでいるのか、それとも彼自身が侵攻を望んでいるのか…。
「自分の身は、自分で守れます。ですから…」
「君は自分よりも僕を守ろうとするだろう?」
グレンは苦笑して指摘した。
「…そんなの、当たり前です」
嘘はつけない。その為に行きたいのだから。ジェシカは眉根に皺を寄せ憤慨する。
「じゃあ、駄目だよ」
「連れて行って下さらないなら、勝手について行きますよ!」
グレンはため息を一つつくと、ジェシカを力一杯抱きしめた。なだめるように頭を優しくなでる…。
「…駄目だって。僕が帰るのところは君しかいないんだ。待っていて欲しい」
本当に、ずるい…。
こんな風に言われたら、もう何も言えない。
ジェシカはグレンの腕の中でポロポロと涙を流した…。
グレンを引き止める事はかなわない。
供に行く事に、同意は得られない。
ならば、これ以上訴える事は何もない…。
「もう…。貴方は、どうして、聞いてるほうが恥ずかしくなるような事を、平気で言うんですか…?」
ジェシカは大きなため息をつき、呟いた。
「素直に気持ちを伝えているだけだよ」
グレンは至ってマジメに返答した、が、自分でも多少恥ずかしいらしく顔が赤い。
ジェシカはしばらくグレンを見つめたあと、両手で顔を引き寄せ唇を重ねた…。
グレンが驚いているのが、唇越しに感じられた。
が、それも一瞬の事。
競うように何度も口付けを交し、二人はそのままソファに崩れ落ちた。
いずれくる別れなど、今は考えたくない。ただお互いだけを感じていたかった…。
ひとしきりの熱情を交わしたあと、ジェシカはグレンの胸に抱かれながら、溢れ出る涙をまだ止めることができずにいた。
最近は会うこともままならなかったので、気持ちは余計に高ぶっていた。
「泣かないで、ジェシカ」
グレンはジェシカのまなじりの涙を唇で拭う。
そうはいっても、もしグレンが無事に帰る事ができなければこれが最後になると思ったら、あとからあとから涙が溢れ出てきた。
「む、無理、です…」
しゃくりあげながらそう答えると、ジェシカは身体をグレンに押し付けた。
グレンの心音が早い。夜伽のなごりか。
「必ず帰ってくる。少しの間離れているだけだから。これじゃ離れてる間、泣き顔しか思い出せなくなっちゃうじゃないか。ほら、笑って。」
ジェシカはグシャグシャの顔で何とか笑みを作ろうとしたがうまくいかなかった。
「絶対に、無事で帰ると約束して下さい」
「ああ、少しでも早く帰ってくるから」
ジェシカはグレンの腕の中で、いつの間にか眠りについていた。温かい腕の中はとても幸せだった。
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