第10話 3度目の求婚



 王子と交際しだして3カ月ほど過ぎた。


 私的に二人きりになる機会もあり、幾度か、肌も合わせた。仲は深まったと感じる。


 けれど、自分に王子妃の役目が務まるとはどうしても思えなかった。このままずるずると、この腕の中にいてはいけないと、分かっているのに。


 珍しく王子よりも先に目を覚まし、寝顔を見つめながらジェシカは思った。


 寝ている王子の顔はまだあどけなさが残っている。


 こうして見ている分には穏やかだが、肌を合わせるときは一変する。今日もしつこい程求められた。


 しかも回を重ねる毎に激しくなってる気がする…。自分の身体も、指先や唇が軽く肌に触れるだけで甘い疼きすら感じるようになってしまった。


 与えられる快楽はいつも想像を軽く超えてきて、このまま堕落するのではないかと不安すら覚える。


 では…今更王子を忘れられるのか?


 彼は世継ぎの王子だ。


 いつかは妃を迎えなければならないだろう。それは………。

 想像するだけで不快な気持ちになった。


 結局何も選べないまま時間だけが過ぎていく。


 ジェシカは再び目を伏せた。






 春風が優しく吹き、一斉に花が咲きだす命の芽吹く季節が巡ってきた。


 隣国クーイの王女が輿入れしてくる事になり、今日、婚姻の儀が行われた。


 蜂蜜色の流れる髪。青空を映したような水色の瞳。王子とお似合いの美しい姫だった。


 姫は精緻な刺繍を施した婚礼の衣装に身を包んでいる。


 対を成すように美しい王子が差し出す手に、そっとその手を重ねた姫は愛らしく微笑み、国中から熱狂的に迎えられた。 


 王子と王女が視線を交わし、幸せそうに歓声に答えている。


 それが、どこか遠く聞こえた。




 王子の馬車の後ろを ルーフェに乗ったジェシカと、シルビィに乗ったアンソニーが続く。今日は二人とも騎士団の正礼装に身を包んでいた。


 シルビィは王子の馬だがこの晴れ舞台をシルビィにも見せたいとの配慮だった。


 馬車に乗る初々しい二人が微笑ましい。 

 その時。


「あれ、雨かな…?」




 ぽとりと手綱を握る手袋に雫が落ち、濡れジミが広がった。


 そして、頬に水滴が流れ落ちた。何度も。何度も。


 涙?


 その水滴を拭いぼんやりと眺める。




「やあねえジェス。感動しちゃった?」




 アンソニーがシルビィの馬上から声をかけた。




「……ああ、そっか。うん。感動した。僕たちの王子が幸せそうで、本当に良かったね」




 ……ああ、そうだよな。嬉しいんだ。 


 王子はあんなに幸せそうだ。


 今まで苦労したんだもの。


 …やっと、報われるんだね。おめでとう。グレン。


 心の中で、出会った頃の少年に話しかける。


 けれど心はひどく切なかった。




 初めて出会ったとき、二人でルーフェに乗り、オニクセルの街を眺めたっけ。


 楽しかったなぁ。


 あの小さな少年が、今は遠く旅立ってしまった。


 どうか、幸せになってほしい。


 ジェシカは青い空を見上げる。




「幸せに…」




 そう、心に言い聞かせた。






 ふっと目を開けると、柔らかい温もりと感触。


 それは先程から何一つ変わっていないというのに。




「うっ…あぁ…」




 ジェシカは両手を顔で覆い、声を殺して泣いた。


 指の間から次々と涙が溢れ、こぼれ落ちる。


 胸が、締め付けられた。


 今まで自分のものだった温もりが、別の誰かのものになるなんて…。




「嫌だ…嫌だ!いかないで!」




 顔を覆ったまま知らず言葉が漏れ出す。




「……ん……?ジェシカ?どうしたの?」




 横で眠っていた王子が目を覚ましたようで、泣きじゃくるジェシカを戸惑いながらも優しく抱きしめた。




「どうしたの?怖い夢でもみた?僕はここにいるよ?」




 優しく髪を撫でる仕草に、その温もりに、ジェシカはさらに気持ちが高ぶる。




「お…王子が…!隣国の姫を王子妃に迎えて…」


 


 グレンは一瞬ポカンとして、そして苦笑しながらなぜか嬉しそうにジェシカの前髪をかきあげ、額に口づけを落とした。背中をポンポンとたたき、落ち着かせてくれる。




「大丈夫。夢だよ。そんな事あるわけ無いだろう?それで悲しくなって泣いていたの?」




 昔よりも少し低い、心地よい響きの声が優しく降り注ぐ。


 その温かさに、ジェシカはいっそう切なくなった。


 僕は、何を迷っていたのだろうか。


 この温かさがあるのは、当たり前のことじゃ無いのに。


 この温かさを失って、平気なわけ無いのに。


 ジェシカは深く重苦しい息をついた。




「王子…」




 ジェシカは顔を上げ、王子の紫色の瞳を見上げる。




「何だい?」




「僕は…あなたがいないともう駄目みたいだ…」




 混乱し、素の口調のまま呟いてしまった。王子がわずかに目を見開く。




「お願いします。王子妃にして下さい!私を、お側に置いて下さい!」




 それは求婚の返事ではなく…ジェシカからの求婚だった。




「え…っ」




 王子の動きが、ぴたりと止まった。


 鳩が豆鉄砲を食ったように、一瞬、時が止まったかのように固まっている。


 そして、その驚きの表情が、じわじわ顔が赤く染まっていった。抱きしめられた腕の力が強くなる。


 堪えきれずふっと息を漏らすように笑い、最後には顔を手で覆った。




「…まったく、君には敵わないな。僕は振り回されてばかりだ」




 幸せを噛みしめるように呟いた。








 少し落ち着きを取り戻したあと、王子とジェシカは城壁に登った。


 辺りはしんと静寂が包み、星空を映す湖が見える。


 水面には、満天の星が鏡のように映り込み、どこからが空で、どこからが湖なのか、境界線も曖昧になるほどの幻想的な光景が広がっていた。


 王子と湖で再会したあの日が酷く懐かしい。


 いま思えば、あの頃から王子に向かう気持ちは芽吹いていたのだ。




 もうすぐ夜明けだろうか。逆三日月が地上すれすれに見える。




「3度目の求婚は色々考えていたのに、まさか君から言われるとはね…」




 そう王子に苦笑された。


 それは壮大な計画を色々と立てていたそうだ。


 計画が台無しになったのに、どこか吹っ切れたような清々しい顔をしている。




「もう、離してあげないからね?」



 グレンは優しくジェシカの肩を抱き寄せる。


 昔もここで星空を眺めた。あの時そっと触れあった手は、今、しっかりと繋がれている。




「はい…。離さないで…」




 ジェシカはそっと目を閉じた。


 そうしたら、王子が口づけをくれるのがわかっていたから。


 ふっと吐息とともに優しい口づけが降りてくる…。


 そして、星空だけが見届ける中、二人は空が白み茜色の朝焼けが見えるまで幸せを噛み締めた。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る