辺境の元Sランク冒険者、夢のスローライフはのんびり宿経営!〜剣聖だった私に不可能はありません……なんて思ってたけどハプニングだらけの毎日です!〜
咲月ねむと
第1章 亡き妻に見せたかった景色
第1話 ようこそ、民宿『くれなゐ』へ
カタン、と軽やかな音を立てて、磨き上げたばかりの木製マグカップを棚に並べる。
朝日が大きな窓から差し込み、店内に綺麗な光の筋を作り出していた。空気中をきらきらと舞う埃ですら、今の私にとっては愛おしい日常の一コマだ。
「よし、今日も完璧」
私は一人満足げに頷くと、腰に手を当てて自分の城を見渡した。
ぢんまりとしているけれど、木の温もりと暖炉の優しい匂いが満ちた空間。
ここが私の夢だった、民宿『くれなゐ』。
「リリアナ、浮かれてないで掃き掃除の続きを」
「わかってるわよ、ルーナ」
厨房の奥から呆れたような、それでいて鈴の鳴るような声が聞こえる。声の主は、私の唯一の従業員であり、かけがえのない相棒であり……そして、この世界で私しかその正体を知らない元魔王様だ。
黒髪を揺らしながら顔を覗かせた彼女、ルーナは、どう見ても可憐な少女にしか見えない。
でもその実態は、かつて世界を恐怖に陥れた存在なのだから、世の中わからないものだ。
私の名前はリリアナ・クラエス。
かつてはSランク冒険者パーティーの一員として魔王を討伐し、史上最年少で『剣聖』なんて大層な称号をいただいたりもした。
そして、その時討伐したはずの魔王が、なぜか今、私の隣でエプロンをつけている。
色々、本当に色々あったのだ。
最終決戦で剣を交えた私たちは、なぜか意気投合してしまった。『世界征服なんて、やってみたら意外と面倒だった』と宣った彼女を、私はこっそり匿い「死んだこと」にして一緒にここまで連れてきてしまったのだ。
魔王討伐後、仲間たちはそれぞれの道に進んだ。
『リリアナ、君ほどの剣士がなぜ辺境で宿屋なんだ!』
『せめて王都で開くなら、私がお客をたくさん紹介してあげるわ!』
みんなの優しさは嬉しかったけど、私の決意は変わらなかった。
もう、剣を握るつもりはない。
これからは、私の隣で「退屈だ」と呟く元魔王様のお世話をしながら、包丁とフライパンを握って生きていくのだ。
そんなわけで元剣聖と元魔王の奇妙な第二の人生が始まって、早三ヶ月が過ぎた。
おかげさまで民宿『くれなゐ』は、近くの村人や、たまに訪れる冒険者たちの憩いの場として、なんとか軌道に乗り始めている。
「リリアナさーん! 今日のパン、焼きたてだよー!」
店の扉が勢いよく開かれ、パン屋の看板娘であるエマちゃんが顔を覗かせた。
「まあ、エマちゃん。いつもありがとう。すごくいい匂いね」
「えへへ。これ、新作の木の実パン!試作品だけど、よかったら食べてみて!」
「嬉しいわ。じゃあ、お返しに昨日の残りのスープがあるけど、持っていく?」
「やったー!ルーナさんが作る野菜スープ、だーいすき!」
エマちゃんが厨房の方をちらりと見て言うと、ルーナは少しだけ口角を上げて、こくりと頷いた。なんだかんだで子供には甘いのだ。
エマちゃんがスープの入った鍋を嬉しそうに抱えて帰っていくのを見送った後、私は「さて」と気合を入れ直して、カウンターの最終チェックを始めた。
今日も素敵なお客さまが来てくれるといいな。
チリン、とドアベルが優しい音を立てた。
「いらっしゃいま……」
言いかけて、私は少しだけ目を見開いた。
そこに立っていたのは、立派な白髭をたくわえた一人のおじいさんだった。
高価そうな生地の旅装束を身につけているけれど、その顔には深い疲労と、それ以上の悲しみが刻まれているように見えた。
長い旅をしてきたのだろう。背負ったリュックも年季が入っている。
「あの、一晩、泊めていただくことはできますかな」
穏やかだけれど、どこかか細い声だった。
「はい、もちろんです!ようこそお越しくださいました。民宿『くれなゐ』へ。どうぞ、こちらへ」
私は満面の笑みで彼を迎え入れ、一番景色の良い窓際の席へと案内した。
きっと、長旅でお疲れだろう。まずは温かいものでも飲んで、一息ついてほしい。
「長旅、お疲れでしょう。よろしければ温かいハーブティーでもいかがですか? 身体が安らぎますよ」
「おお、それはありがたい。では、お言葉に甘えさせてもらおうかの」
おじいさんは、ゆっくりと椅子に腰を下ろすと、ふぅ、と長い息を吐いた。
そして窓の外に広がる景色……燃えるような紅葉の森に目を細める。
「見事な……景色だ。噂には聞いていたが、これほどとは」
「ええ、この村の自慢なんです。一年中、この紅葉が楽しめるんですよ」
私が言うと、厨房からルーナがそっとお茶の準備をしてくれていた。彼女がブレンドするハーブティーは絶品なのだ。さすが、何百年も生きてきた元魔王は知識が違う。
すぐにルーナが美しい湯気の立つカップをトレイに乗せて運んできた。
「私の助手のルーナです」
「……どうも」
ルーナはぺこりとお辞儀をするだけ。
彼女は人見知り……というより、人間への興味が薄いので接客は基本的に私の役目だ。
おじいさんは、そんなルーナに優しく微笑みかけると、ハーブティーの香りを楽しみ、一口、ゆっくりと口に含んだ。
そして、また窓の外へ視線を戻す。その横顔は、美しい景色に感動しているというよりは何かを懐かしみ、誰かを想っているように見えた。
その瞳が少しだけ潤んでいることに気づいたのは偶然だった。
しばらくして、おじいさんぽつりと独り言のように呟いた。
「……あいつにも、見せてやりたかったなぁ」
その小さな声は店内の静寂に溶けて、私の胸にすとんと落ちてきた。
"あいつ"とは、一体誰なのだろう。
私は何も聞かず、ただ静かにおじいさんの隣に立ち、一緒に窓の外の紅葉を眺めた。ちらりと厨房に目をやると、ルーナもカウンターの隅から心配そうにこちらを見ていた。
この瞬間、私は確信した。
このおじいさんもまた、何かを抱えた「訳あり」のお客さまなのだと。
「どんなご要望でも、出来る範囲でお力添えいたします」
それが私と、私の大切な相棒が営む民宿のモットーなのだから。
私は心の中でそっと呟き、目の前のお客さまに最高の笑顔を向けたのだった。
――――
今作は女性主人公ファンタジーです。
現在、現ファンの『田舎おじさんのダンジョン民宿』がご好評で、皆様にもっと心温まる物語を届けたいと思い、今回、異世界ファンタジーバージョンに挑戦してみました!
笑いあり、涙あり、感動で心温まる物語をモットーに皆様を異世界民宿の世界へお連れします
皆様の応援こそが何よりも励みになります。
作品のフォロー、★の評価・レビュー
ぜひ、よろしくお願いします!
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