黎明の市場 ― 交易のはじまり

 朝焼けの中、村の中心で小さな鐘が鳴った。

 市場の幕が上がる合図――

 それは、グレイアの新しい朝を告げる音だった。


 


「レオン様、今日も朝から人が多いですね。」


「うん、いいことだ。賑やかなのは、何より健康の証だ。」


 テラスから見下ろす景色は、かつての荒廃が嘘のようだった。

 石畳が新しく敷かれ、木の屋根には煙がのぼる。

 人の声が絶えず響き、笑顔が行き交う。


 


 屋敷前ではリィナが腕に帳簿を抱え、走り回っていた。


「えっと、パン屋さんは六個、薬草屋さんは三十束……あれ? 木工屋さん、場所ずれてませんか!?」


「おお、すまんすまん! 風が気持ちよくてな!」


「もーう! お客さん来ちゃいますよ!」


「はははっ!」


 村の大人たちが笑いながら動く。

 その中心で、小さな少女が誰よりも真剣に指示を出していた。


 


「リィナの統率力、すごいですね。」


「だな。……俺より頼りになる。」


「お言葉ですが、レオン様が一番、頑張っておられます。」


「それはお前の評価が甘いだけだ。」


「いえ、事実です。」


「またそれか……。」


 ミリアの微笑みは、いつものように静かで温かかった。


 


 やがて、広場の端に商会の馬車が数台並ぶ。

 金色の紋章――アリステレス商会。

 その先頭で、ゼノ・ヴァルグレアが軽く帽子を傾けた。


「おはようございます、領主殿。」


「ゼノか。ずいぶんと早いな。」


「ええ、今日から“定期交易”を始めようと思いましてね。

 グレイアの産物が市場に出れば、連鎖的に発展します。」


「交易……か。」


 レオンは少し空を見上げた。

 穏やかな青空が広がり、遠くで白い帆船が見える。


「まだ小さな村だが、道が繋がるだけで、景色は変わるな。」


「ええ。リステリア王都まで物資を運ぶルートも確保済みです。

 ……ただ、少々厄介な問題もありまして。」


「問題?」


「エルドランドの一部で、盗賊崩れの集団が活動しているとの報告です。

 商隊を狙っているようで。」


「ふむ……。」


 ロイドたち“灰翼の灯”がその場に加わる。


「俺たちが護衛に出よう。

 盗賊退治は慣れてる。」


「助かる。だが無理はするなよ。」


「任せておけ。……おい、カイン!」


「了解。獣道の方からも調べておく。」


「リサ、火力は控えめに。」


「わかってるわよ! ……たぶん!」


「“たぶん”が怖いんだって!」


 笑いながら出発の準備をする四人。

 その背中を見つめ、リィナがぽつりと言った。


 


「ロイドさんたち、ほんと頼もしいですね。」


「ああ。彼らがいるだけで、領地が“守られてる”気がする。」


「でも……」


「でも?」


「戦いがない日が続くといいなって。」


 リィナの声は小さく、けれど確かに届いた。

 レオンは静かに頷く。


「そうだな。

 戦うために力を持つんじゃない。

 “守るため”に使えるなら、それが本物だ。」


 ミリアが横で穏やかに目を細める。


「……それが、レオン様の強さなのですね。」


「強さじゃないさ。せめてもの願い、だよ。」


 


 ◇◇◇


 


 昼下がり。

 市場には香ばしい匂いが広がっていた。

 焼きたてのパン、煮込みスープ、笑い声、歌声。

 村人たちが歌いながら働く姿に、遠方の商人も足を止める。


「ここが……あのグレイア領か。」


「噂よりずっと明るいな。まるで新しい国みたいだ。」


 ゼノは口元をゆるめた。


「そうでなくては困ります。

 この地こそ、リステリアの“希望”になる。」


 


 その言葉を聞きながら、レオンはふと、静かに息をついた。

 陽光が差し込み、彼の瞳に淡い金色が宿る。


「……引き篭もりたいな。」


「無理です。」


「即答すぎる。」


「すでに人の波の中心ですから。」


「俺の静寂、どこいった……。」


「たぶん、リィナが帳簿に書き込みました。」


「どういうこと!?」


「“領主様の静寂、売約済み”と。」


「誰が買ったんだ……。」


「村人全員です。」


「…………。」


 レオンは額を押さえたが、

 その口元には小さな笑みが浮かんでいた。


 


 ◇◇◇


 


 夕暮れ。

 帰還したロイドたちが馬車から降りてきた。

 背中には小さな包み。


「終わったぞ。盗賊崩れは逃げたが、被害はなし。」


「ご苦労。……その包みは?」


「お土産だ。途中の子どもがくれた。『王子様に渡して』ってな。」


 レオンが包みを開けると、そこには干した花が入っていた。

 小さく、儚い、けれど確かに生きていた。


 


「……いい香りだな。」


「リィナ、どんな花だ?」


「たぶん、“黎明花(れいめいか)”です。

 夜に咲いて、朝に散る、短命な花。でも――」


「“再び咲く”んだろ?」


「はい。何度でも。」


 


 レオンは花を屋敷の窓辺に飾った。

 沈む陽の光が花弁を照らし、淡く輝く。


「この村も同じだ。何度でも、立ち上がる。」


 


 ミリアがそっと微笑む。


「それでも……やっぱり引き篭もりたいんですよね?」


「もちろん。」


「もう無理ですよ。」


「……だよな。」


 笑い合う二人の背後で、

 村の灯がひとつ、またひとつと灯っていった。


 黎明は、確かに始まっている。

 ――この静かな、賑やかな村から。

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