衝動
ああ、いい天気だ。
今日は一段と空が高く、青く見える。
朝一番乗りの公園、ブランコを独り占めできる。私のほかには誰も……。
「ほれ、食え」
やっちゃんの声で、我に返る。
「あ、どうもありがとう」と、差し出されたコンビニの袋を受け取る。
中身は、照り焼きチキンのサンドイッチといちご牛乳。
「なぜ、これをチョイスした?」
どちらも私が好きなやつだ。
「それしかねえんだよ。文句言わずに食えし」
ブツブツ文句を言いながら、やっちゃんはブランコにドカッと座った。
照り焼きのタレがしょっぱいと思ったが、それを言うのもなんだか気が引ける。でも、いちご牛乳うまい。甘ったるいが体に染み渡っていくようだ。
ふたりとも食べ終わったころ、突然「あーっ」という子供の声が聞こえてきた。
その声のする方を見ると、歩道からこちらを見ている小学生の集団登校の軍団がいた。
「わ~、デートだ~。エッチだぁ~」
その中の男の子が、私たちを指差して連呼していたが、やっちゃんは「ちげーよ、バーカ」と、大きな声で返す。その声に「逃げろ~!」と言って、軍団は走り去った。
「私たちにも、あんな時代があった」
「ああ、俺はいつも鼻を垂らしていた。そして、いつも転んでは、ひざをぐちゃぐちゃにしていたもんだ」
やっちゃんは深いため息をつき、遠い目をした。
「俺、健康ランドに行くわ」
「急にどうした?」
「そこで住み込みでバイトの募集がある。おまえも来ないか?」
私は少し間をおいて「考えとく」と返した。
住み込みは体に堪える。今まで、簡易ベッドで仮眠する程度だったから、そろそろ暖かい布団で横になりたい気分だ。
「おまえ、貯金あるんか? 今さっき無職になったばっかだぜ。部屋借りるったって、難しいんでないか」
「それは、そうなんだけど……運よく、ルームシェアとかできないかと」
「ルームシェア? おまえが? せめて間借りの方がいいだろ。人見知りのくせに、他の住人と仲良くできんのかよ」
やっちゃんは呆れたように笑ったが、否定もできなかった。
自分の人見知りは小さい頃から直らず、今でも付き合いのある性格であることは重々承知している。
だけど、ほぼ同期のやっちゃんとは案外すんなり仲良くできた。年が近いことと、性格や考え方のくだけたような人柄のところが良かったのかもしれない。
そして、中性的なひとであり、人を『性』で判断しなかった。
「とにかく、今日は不動産屋さんに行くと決めたの。やっちゃんとはここでお別れね」
「なにその言い方。永遠の別れみたいな言い方しおって」
「まあ、落ち着いたら電話するから」
私はブランコから根の生えた重たい腰を上げて、よっちゃんに手を振りながら公園を後にした。
9時前、不動産屋はすでに開いていた。
中に入ると、新聞を読んでいるメガネのおっさんがひとり。「いらっしゃい」の声に、私は一礼して受付の椅子に座った。
「あの、アパート借りたいんですけど。なるべく安いところで」
「学生さん? 安いとこって言うと、風呂無しでトイレは共同のところがあるけど」
おっさんのメガネが怪しく光った。
「いえ、学生ではないのですが、その……ルームシェアできるようなとこってないですか」
「う~ん、ルームシェアねぇ。ところで、あなた働いているの?」
「昨日までアルバイトしていました。今は、理由があって無職ですけど……」
話の最中、後ろで気配を感じた。
「あ、お客さん。そこ座って、ちょっと待ってて」
月曜日の朝なのに、私のほかにも来る人いるんだ。
「あんた働いてないんでしょう? ちょっと難しいな~」
「昨日までは働いていたんです。なんとかなりませんか?」
何度か押し問答が続き、おっさんの「お客さん、どうぞ。おまたせしました」の声に、私はテーブルに顔を伏せた。こんな顔、誰にも見られたくない。
隣に座った男性の声。低くて、落ち着いた声に私は急に眠くなった。
しばらくして「お客さん、ちょっと店番よろしく」というおっさんの声で目が覚めた。私は置いてけぼりか……。
久しぶりに夢を見た。知らない部屋で、誰かと暮らしている奇妙な夢だ。
相手は私を見て笑っていた。声はそう、さっきまで隣にいた男性のような優しい声だった。
20分、30分と待っていたが、店番と言ったって誰も来やしない。
なんだかいたたまれなくなって、店の外に出ることにした。
出たはいいが、することも行くところもない。仕方なく、二段しかない階段に腰を下ろした。空は快晴なのに、私の気分はどんよりしている。
おっさん早く来ないかな。あの人きっと、さっき言ってたとこに住むんだろうな。
やっぱり、やっちゃんについて行けばよかったのか。
このリュックとキャリーケースが今の私の全財産。これっぽちかと思うと悲しくなる。うわあ、と大きなため息をついて、私は顔を伏せた。
しばらくして、おっさんとさっきの男性の話し声が聞こえてきた。たぶん、契約するんだろう。雰囲気でわかるのが嫌になる。
その数分後、店から誰かが出てくる気配がした。
「気が向いたら、ここに電話して。部屋、空いてっから」
その声に顔を上げると、おっさんではない、さっきの男性。
彼は、若くも見えるし中年にも見える。よれよれのシャツに腕まくりをしているが、その前腕が太くたくましく感じた。
私はなぜか躊躇することなく、彼の手から紙切れを受け取り、軽く会釈をした。
荷物を持ち、その場から離れた時、足取りは軽かった。
分からないが、恥ずかしさなど微塵もなかった。この紙切れ一枚で、何かが変わるような気がする。そして、ほんの少し胸の高鳴りを感じた。
特別、勘が鋭いわけでもないが、これは私に与えられた試練なのだと、なんとなく思ってしまった。
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