第23話
私は彼女と肩を並べて歩き出した。
いつも通りの道でも、気持ちが前と違うからか、前よりも輝いて見える。
恋というのは、不思議な感情だ。たまに苦しくもなるのに、心地いいような。でもこの気持ちは、ずっと抱き続けることができないものだ。叶わなければ恋する気持ちは萎んでいくし、叶ったとしてもそのうち薄れていくものなのだろう。
それでも今、私がどうしようもなく彼女に恋をしているということは確かで。
惠利沙も同じくらい、私にドキドキしてくれれば。
いつもそう思っているけれど。
……そういえば、この前平然としているのは演技だって言っていたけれど。あれってどういう意味なんだろう。本当は私に、いつもドキドキしているってことなのかな。でも、それを確かめる術はない。
すみませんあなたは私にいつもドキドキしているんですか?
なんて聞けないし。
「水葉ちゃん」
足早に歩いていると、不意に惠利沙に手を引っ張られた。体が後ろに傾いて、柔らかいものが背中に触れる。振り返ると、惠利沙に抱きしめられていた。
「え、惠利沙?」
「信号、赤だよ」
そう言われて初めて、目の前が交差点だったことに気づく。
私、ほんとに何してるんだろう。
いくらなんでも周りが見えてなさすぎる。でもでもだって、もう自分の心のことで精一杯っていうかどうすればいいのかわかんないっていうか。
……はぁ。
「あ、あはは……。全然気づかなかった。ありがと、惠利沙」
「ううん」
彼女は私をぎゅっと抱きしめてくる。
私が信号を全く見ていなかったのが悪いのはわかる。でも、そんなにぎゅってされると、私の胸もぎゅってなってしまう……! なんて思うのは、ちょっと馬鹿げているかもだけど。
止まらない。とにもかくにも恋心が止まらないのだ。
このままじゃ恋のスピード違反になってしまう。誰か私を止めてほしい。
そんな馬鹿みたいなことを考えていると、目の前の信号が青になる。
助かった。このまま彼女に抱きしめられていたら、私は溶けてしまっていたかもしれない。よし、歩き出そう。歩き出したい、のですが。あの、惠利沙さん?
「惠利沙。信号青になったよ。……惠利沙?」
「水葉ちゃん、怒ってる?」
「え?」
横断歩道を、スーツ姿の人とか知らない制服の人とかが渡っていく。信号が青になっているにもかかわらず止まったままの私たちを見て、何人かは不思議そうな顔をしていた。
「あの日のこと。色々、変なこと言っちゃったから。怒ってるんじゃないかって思って」
「怒ってないよ」
「引いてない?」
「引かない。惠利沙が何言っても、引いたりしないって」
「水葉ちゃんの肩甲骨舐めていい?」
「あ、すみません前言撤回してもいいですか?」
変態発言はお控えくださいお客様。私がちょっと呆れていると、彼女はくすくす笑った。
冗談、なのかなぁ。
声色がめっちゃ本気っぽくて怖かったんですけど。
「水葉ちゃんは、優しいね」
「別に、優しくはないと思うけど……」
「優しいよ。いつも、誰に対しても」
彼女はさらに強く、私を抱き寄せてくる。鼓動が速くなるのを止めることは、もうできなかった。私は彼女に与えられるもの全てに強く反応してしまう。
だって、好きだから。
これまで平然とできていたこともできなくなって、普通だったことへの感じ方も変わって。だけどこの胸を騒がせる感情の一つ一つが、相手への愛おしさと結びついていて心地いい。
胸は苦しいくらいに高鳴っていて、少し不安にもなるけれど。
ああ、でも、やっぱり。
私は、惠利沙のことが好きだ。恋人になりたいとかはまだわからないし、なりたいって思ってなれるかどうかはわからないけど。
「私、時々不安になるんだ。水葉ちゃんがどこか、私の手の届かないところに行っちゃうんじゃないかって」
信号が、再び赤に変わる。
いっそ学校なんてサボって、ずっとこうして惠利沙と触れ合っていられたらって思う。だけどこういう時間は、永遠じゃないからこそいいのかもしれないとも思って。
よくわからない。好きって気持ちだけははっきりしているのに、その周辺に渦巻く感情は不明瞭でめちゃくちゃだ。だから戸惑って、少し不安になって、でもやっぱり好きってなるのを繰り返してしまう。
世の中のカップルはすごいなぁ。
こんな不安定な感情を抱えたまま相手にアプローチして、付き合って。
それって受験に合格するよりもずっと難しいことじゃない? って思う。
自分の感情すらわからなくなる中で、人と想いを通わせるなんて難しすぎる。それでも繋がりたいって願うから、人は頑張るのかもだけど。私は、どうだろう。
「私の傍から、いなくならないで。誰かのものに、なったらやだ」
……あれ。
これって、もしかして。
好きって感情に浸っちゃってたけど、まずい気がする。
惠利沙がこうなる時って大体……!
「水葉ちゃんは私のものだよ。私だけの。……そうだ。水葉ちゃん専用のお家を建てるのはどうかな? そこでずーっと水葉ちゃんのこと……」
「ストーップ! 惠利沙、こっち来て!」
私は彼女の腕から抜け出して、その手を引いて歩き始めた。
信号はいつの間にか、青に変わっていた。
どうしよう。自分の気持ちに翻弄されていて気づかなかったけれど、よくよく考えたら最近惠利沙に精気をあげられていない。初めて精気に関して打ち明けられた時も、惠利沙はこんなふうにしなしなになっていた。
妙にどんよりしていて、自信がなさそうな感じになって、しかも考え方が過激になる。それが精気の欠乏によってもたらされることは明白である。
完全に忘れていた。サキュバスにとって精気は生きるために必須のエネルギーなのだ。それが枯渇したら、大変なことになる。でも今から惠利沙と一緒に眠って、夢で精気を分けるというのも現実的じゃない。
……それなら。
「うぅ……捨てられたくないよー。でも私なんて水葉ちゃんの隣にいるのがおかしいくらいの低級悪魔だし……私は雑草……」
ああ、惠利沙がとんでもない方向に!
私は意を決して、彼女を人通りの少ない路地まで連れて行った。
なんか悪いことをしている気分。でもこれは救命活動っていうか、そう。不可抗力的なやつ。だから仕方ない、よね?
「惠利沙。現実で精気を分け与えるのって、どうやればいいの?」
「おまじないと似た感じだよ。自分の生命力が一箇所に集まるのを想像して、その箇所で私に触れてくれればいい」
惠利沙は虚な目で言う。
私は深く深呼吸をした。
別に、ちょっと触れ合うだけでもいいってわかってる。これは応急処置なわけだから。でも、それじゃ結局何も変わらない。惠利沙のことが好きなら、少しでも仲を深めたいなら、これまでとは違う行動を取らないと。
私は彼女の手を引っ張って、少し屈ませた。
唇に、意識を集中する。
現実でも、何度かキスはしてきたけれど。今私がしようとしているキスは、ただのキスじゃない。
もっと、惠利沙の深くに——。
そっと、彼女の唇にキスをする。惠利沙は驚いたように体をこわばらせるけれど、私はさらに舌で彼女の唇に触れた。開いた唇に舌を差し入れると、熱さと柔らかさを感じた。
以前とは、また違った感覚。全身がぴりぴりして、鳥肌が立って、溶けてしまいそうだった。だけど止まらない。一度深くキスをしてしまうと、もう止めようなんて思えなかった。
水音が妙に頭に響く。
歯列をなぞり、彼女の舌に触れて、最後にちゅっと音を立てる。
甘くて、熱くて、これまでで一番心地いいキスだった。唇を離すと、全身がだるくなる。夢で精気を与える時よりもずっと、疲れている気がする。私は立っていられなくなって、その場にへたり込んだ。
「水葉ちゃん、大丈夫!?」
「うん、平気……」
「ごめん、ごめんね……! 私のせいで……!」
「惠利沙が夢に来なかったのは、私が避けてたからでしょ。惠利沙は悪くないよ」
「それは……!」
視界が回る。
どうしてこんなに、疲れているんだろう。
頬が冷たい。
地面に倒れ込んだんだって気づいた頃には、妙に眠たくなっていた。暗くなっていく視界の中で、ひどく焦った表情をした惠利沙の姿が目に映る。
「水葉ちゃん!」
最後に聞いたのは、悲鳴のような彼女の言葉だった。
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