第14話
砂だらけでじゃりじゃりの手が、私の背中に触れる。全身砂まみれにして帰ったら、お母さんに怒られそうだけど。夢だからそれも許されるだろう。
大きくなった彼女とはまた違った温もりに、思わず笑ってしまう。
こうして彼女と一緒に過ごすうちに、私は子供好きになったのだ。困っている子がいたら、力になりたいって思う。その理由は、惠利沙の力になれて嬉しかったってことを忘れられないから、なんだろうな。
「水葉ちゃんは、私とずっと一緒にいてくれる?」
耳元で囁かれても、今はドキドキしない。少しくすぐったいけど、心地よかった。
惠利沙だなぁって思う。
どんな感想だって話だけど。
「惠利沙が私と一緒にいたいって、望んでくれるなら」
「そっか。なら……」
ばさ、と音がした。
いつの間にか、惠利沙の背中からは翼が生えてきている。それは幼い頃の惠利沙に生えていた、小さな翼ではない。私の体をすっぽりと包み込めるほど大きなその翼は、私のよく知る惠利沙のものだ。
目を丸くしていると、私の背中に触れる彼女の手が大きくなっていくのを感じた。
あっと思った時には、惠利沙はいつも通りに戻っていた。
はだけたブラウス。ボタンが全部開いたブレザー。行方不明になったネクタイ。
今の私が、一番よく知っている惠利沙だ。
私はため息をついた。
「……これ、私の夢じゃなかったんだ」
「水葉ちゃんの夢だよ? 途中からちょっと、入り込ませてもらっただけで」
「……はああぁ」
「どうしたの?」
「別に。ちっちゃい頃の惠利沙、可愛かったなぁって思って」
「やっぱりロリコ……」
「違うからね!? 人聞き悪いこと言わないでくれる!?」
私は純粋に子供が好きなだけだというのに。こちとら純粋な気持ちで子供たちに接しているが?
「今の私のことも愛してくれなきゃやだよ」
「……はぁ。昔も今も、惠利沙は惠利沙でしょ。別に変わんないって」
「えー。でもちっちゃい私の方が、優しくしてもらってた気がするけど」
「それはまあ、小さい頃は純粋に可愛かったし」
「今は違うの?」
「今も可愛い……けど。昔とは違うじゃん!」
彼女はくすくす笑う。
私にとって惠利沙は変わらない存在ではある。今も昔も大事な友達で、元気でいてほしい相手で。でもやっぱり成長しているから、見た目とか諸々が違うわけで。
最近ほんと前よりもっと魅力的になったし、何かと意味深だしスキンシップもとってくるし無防備だしでドキドキしてしまうのだ。
しょうがないじゃん、私だって人なんだから。そりゃこんな可愛い子に思わせぶりな態度取られたらドキドキしちゃうよね、うん。
……なんて開き直ってみるけれど。
私だって一応、わかっているのだ。友達をこういう目で見るのがあんまりよくないってことくらい。でも、現実でキスされたあの日から、私のドキドキは加速する一方なのである。もう止まれないってくらいに。
……はぁ。
「ていうか、昼間にこうして夢で会うのって初めてだよね」
「うん。今日は特別な日だねー」
「精気、欲しいの?」
「そうだねー。でも、それはまた後で。今は……ちょっと探検しない?」
「……探検?」
私は首を傾げた。
景色はいつの間にか公園から、小学校に移り変わっている。見れば、私の手はさっきよりも少し大きくなっていた。どうやら、小学生の頃の私になっているらしい。ちらと見てみると、惠利沙も小学生の頃の姿になっている。
さっきよりも少し成長した姿だけど、それでも高校生の姿を見たばかりだからひどく幼く見える。
そういえば、この頃だっけ。
彼女が私とお揃いの髪型をするようになったのは。
「懐かしいよねー、小学校。二年と四年で別々のクラスになったときは、死んじゃうかと思ったよー」
「そこまで?」
「そこまでだよ。あの頃の私にとっては、水葉ちゃんが世界の全てだったから」
彼女はふわりと笑いながら言う。
私は少し、どんな顔をすればいいのかわからなかった。
いや、嬉しいよ? 嬉しいんだけど……。あんまりにやけるわけにもいかないのだ。だってそんな顔したら、私の気持ちが惠利沙にバレてしまう。いやいや気持ちて。別に変な気持ちなんて一切なくて……。
ああもう!
変だ。変だぞ私。
いつになく、心がふらふらになっている。
「そこまで思われるほどのこと、してたかな」
「……ふふ。水葉ちゃんはまあ、覚えてないよね。さっきみたいに色んな約束、私としてくれたのに」
「約束?」
「そ。幼稚園の頃は、私の望みを全部叶えるって約束してくれた。で、小学生の頃は……」
彼女は廊下を歩く。
足音は軽く、懐かしい。見れば、彼女の靴は上履きに変わっていた。そういえば、小中学校の頃は上履きなんてものがあったっけ。高校では上履きがなくなったから、すっかり忘れていた。
私は彼女の背中を追いながら、窓の外を眺めた。桜が咲いている。
満開の桜は風に揺れて、心地良さそうにしていた。それを眺めていると、不意に彼女の足音が聞こえなくなる。前に目線を戻すと、彼女はある教室の前で立ち止まっていた。2-3と書かれた教室には、見覚えがある。それは、かつての彼女の教室だ。
惠利沙はがらりと教室の扉を開けて、中に歩いていく。
教卓に座った彼女の後ろで、尻尾がゆらりと揺れる。
「私、水葉ちゃんがいないと生きていけないよ。……私は、人じゃないから。皆と一緒に生きていくことなんて、できない」
彼女は言う。
私は目を見開いた。
その言葉には、聞き覚えがある。教室に差し込む光は、茜色に変わっていた。
放課後の教室。不安そうな彼女の顔。少し震えた声。それは、私の記憶を呼び起こすには十分すぎる光景だった。
「大丈夫だよ、惠利沙」
私は、ぽつりと言う。記憶を辿る必要はなかった。だって、今同じことを言われても、きっとあの日と同じことを返すだろうから。
「人でも人じゃなくても、惠利沙は惠利沙だから。胸を張って自分を好きでいれば……どんな人たちとだって仲良くなれるって信じてる」
「仲良くなれなかったら?」
「その時は、私がずーっと傍で惠利沙のこと励まして、一緒にいてあげる」
「約束だよ?」
「うん。……約束」
「……ふふ。正解」
ぴょんと、彼女は教卓から降りる。その様子があまりにも無邪気で、私は思わず笑ってしまった。
「嬉しかったよ。水葉ちゃんがまっすぐそう言ってくれたから、私も胸を張ろうって思ったの。実際、大丈夫だって信じたらほんとに大丈夫だったし」
「でしょ? 惠利沙は心配性だったからなぁ。何も心配することなんてないのに」
くすくす笑うと、彼女は私を見つめてきた。
「そうやって、いつも私のことを無邪気に信じてくれる。……どうして? これでも私、悪いサキュバスなんだけど?」
試すように、彼女は問う。
茜色の光が、彼女を照らしていた。大きな影が、教室を埋めている。硬そうな翼、ゆらゆらと動く尻尾。そのどちらも、私にはないものだ。
「そうやって、言葉で確かめようとせずにはいられないところ。……そういうところがあるから、惠利沙は可愛いって思う」
「答えになってないよ、ばか」
「あはは。悪いサキュバスは、そんなこと言わないよ」
確かに、惠利沙には何かとドキドキさせられるけど。
でも悪いサキュバスかって聞かれたら、そんなことはないって自信を持って答えられる。惠利沙は他の子とちょっと違うかもだけど、それは私も同じだ。人と違うところがあって、同じところもある。そんなの当たり前だって思う。
その違うところというのが、惠利沙はほんの少しだけ特殊ってだけだ。
それ以外は、私たち人間と全く変わらない。
「もしかして、まだ怖かったりする? だったら、私——」
「大丈夫だよ。もう嫌になるくらい、励まされてきたから。今は私、自分のこと大好き。水葉ちゃんと同じくらい」
「そっか。なら安心だ」
惠利沙はふわふわした笑みを浮かべて、私の手をぎゅっと握ってくる。いつもと違う感触だった。その懐かしさに目を細めていると、彼女は窓に向かって駆け出す。
え、ちょ……。
嘘でしょ?
思わず目を瞑った瞬間、がしゃん、という音が響く。目を開けると、割れた窓ガラスに茜色の光が反射して、現実のものとは思えない光景が広がっていた。いや、実際現実のものではないんだけど。
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