16 疑惑のデート

「付き人?」


 私は眉を寄せる。

 付き人といえば、あの人か。

 昨日もずっとアルヴェインに張りついていた、真面目そうな好青年。


「疑われているって、何を?」


 当惑する私に、アルヴェインが呆れた様子で息を吸う。


『本当に、抜けているところは変わらないな。

 ――いいか、セドリックは……付き人は、四六時中俺についている』

「職務熱心だな」


『俺が目を通す書簡も、大体知っている』

「そりゃそうか」


『で、訊かれた。昨日だ。――そういえば、フィオレアナさまにはいつどのようにしてお呼びされたんですか、とな』


「――――」


 ぴしりと凍りつく私。


「――――!」


 ついで衝撃。

 まさに脳天が雷に打たれたよう。


「――や、やば……」


 本当にまずい。


 やってしまった。


 完全に頭から抜けていた。


 ――そりゃあそうだ、会ってもいない、手紙をやりとりしているわけでもない相手から、どうやって呼び出しを受けるというんだ。

 実際はこうして魔法を使っているわけだけれど、魔法を使っているなんてことがバレたら、我々は魔女として火刑台一直線。


 何より気をつけなければならないことを、こんなに疎かにしていたなんて。


 衝撃に声が出ない私の様子を、離れていても察したのか、アルヴェインが慌てたように言った。


『大丈夫だ、誤魔化した』


「ほ……ほんとう……?」


『本当だ。大丈夫だ。俺がおまえに嘘をつくと思うか?』


「思わない……」


『すまん、びっくりさせたな。大丈夫だから。――それで、』


 アルヴェインが話を続ける気配を見せる。

 私は知らないうちに浮かんでいた涙を拭って、傾聴の姿勢に入った。


『咄嗟に誤魔化した内容なんだが、おまえのご友人のご令嬢たちがいるだろう? その人たちが、夜会なんかで俺にこっそり伝言してくれていた、ということにしたんだ』


 まあ、それしかないか……。


『幸い、俺はつい一昨昨日、夜会に出ていたし……』


 そりゃ申し訳ない。

 私はアルヴェインの暴走求婚以来、シーズンだというのに実質的な夜会禁止令が出ている状態になっている。

 お父さまからしたら、私を修道院に叩き込むのはやめておいた、その次善の策というところなのだろう。

 なので最近の社交場といえば、お昼に執り行われる、上品なご夫人方とのお茶会くらいだ。


 さぞかし私とのことが噂になっている中、一人で戦わせて本当に申し訳ない。


『それで、このままだと、俺はおまえの交友関係を詳しくは知らないからな、何かの拍子にぼろが出ると困るだろう? だから一度会って、その辺りの口裏を合わせておきたいんだ』


 なるほど。なるほどなるほど!

 そういうことなら大賛成だ。


「わかった」

『来てくれるか』

「行く」

『空いている日は』

「明日でも明後日でも」

『では、悪いが明日。二時頃に個展会場の前で』


 お迎えには行けない間柄なので。


「大丈夫かな? いきなり明日会って、セドリックさんだっけ、彼にまた疑われたりしないだろうか」


 不安で窒息しそうになる私。

 アルヴェインは宥めるような声を出した。


『大丈夫だ。そもそも今日、俺が手紙を出したんだろうが』

「あ、そうか」


 頭がこんがらがっている私の様子を思い浮かべたのか、アルヴェインが低く笑う声。


『本当に抜けているな、おまえは。

 ――では明日会おう。おやすみ』


「うん。おやすみ」


 応じて、私は蝋燭の灯を吹き消した。


 寝台に横たわり、もぞもぞとシーツに包まりながら、深々と反省する。

 ――確かに私はものすごく抜けている。人生経験が泣きそうなくらいだ。


 アルヴェインがしっかりした人で、本当に助かった。



◇◇◇



「うーん、覚えられないな」


 と、アルヴェインは言った。

 私はがくっと前にのめった。


 ――約束通りの個展である。

 新進気鋭の古典派画家とのことで、この絵は私も見覚えがあった。

 二、三年前に、お母さまに連れられて画廊に行ったときによく見ていた絵だ。知らないうちに売れっ子画家になっていたのか。


 画家の後援者である富豪商人が商館の一部を個展会場にしているようだ。

 元が解放的な造りの建物だから、個展といっても静謐な空気になりづらい。

 というわけで密談にはもってこい。


 だと思って、頑張って私のお友だちを挙げられるだけ挙げたのに、冒頭のこの一言である。

 むかっとしてアルヴェインを見上げると、アルヴェインは目の前にある絵画ではなく、なぜか私を見ていた。


 私は目を細める。


「おい、私の顔にご友人がたの名前が書いてあったりはしないぞ」


 声をひそめて囁くと、「知っている」と頷きが返る。

 まあ、だろうね。


 絵から絵へゆっくりと進む。

 次の絵の前には老夫婦が佇んでいて、うっとりと絵に見惚れている。

 私も見たい気持ちはあるが、今は密談が優先なので次へ――と思っているとアルヴェインが足を止めた。

 見ていくのかよ。

 こいつ、絵画に興味なんてなかったはずだが?


 しかも間近に人がいるので、さすがに外面の仮面を被って会話せざるを得ない。

 満足するまで絵を眺めていると、老夫婦が先に進んでいった。


 そのタイミングで、アルヴェインが言った。


「――いつもと格好が違うな」


 そりゃあね! いつもの、伯爵令嬢全開のドレスではないよ。

 密談の内容が内容だし、ドレスで目を引くことは避けたいじゃないか。

 本日は私の手持ちの中で最も地味なドレスだ。


 ドレスを選んでくれたハンナはノリノリだった。「お忍びの逢瀬っぽいですね!」というわけだ。私は羞恥で死にそうだった。


 私は礼儀正しく微笑んだ。


「私の格好に言及するなんて、熱でもあるのか?」


 アルヴェインはにやっと意味深に笑った。


 この密談のきっかけになったセドリックさんは、不満全開の表情ながら、この部屋の隅の方に取り残されて佇んでいる。

 アルヴェインが、「野暮な見張りをするなよ」と言ってそこに留め置いたのだ。


 発熱の有無は答えず、アルヴェインは鮮やかに密談の続きを開始した。


「正直に言うと、覚えられる気がしないな。――俺が先日参加した夜会には、運よくおまえのご友人がいたとのことだな?」

「うん」


 さっき、くだんの夜会でアルヴェインが出会った令嬢の名前を聞いたところ、知人がいた。

 取り敢えずこの人が我々のメッセンジャーだったという設定でいこうか、という話はした。


 絵から絵へ渡り歩き、周囲の人の気配にも敏感になりながら、私はいっそう声をひそめる。


「私たちが会ったのは、最初と、その後のおまえが大暴走をかました夜会と、その次の日と、このあいだの――」

「狂気の沙汰」

「悪かったって。

 ――で、この中で私たちが会った理由に言い訳が必要なのは、このあいだの――」

「狂気の沙汰」

「うるさいな、もういいよそれで。――そのときと、その前――」

「画廊の前で待ち合わせたときだな」

「そう。そのとき。――この二回でいいんじゃないか?」


 アルヴェインが顎に手を当てる。

 悔しいが仕草としてキマっている。

 こいつはご両親に感謝した方がいい。


「最初に会ったときは――まあ、これは偶然だったものな」

「うん、心臓が止まるかと思った」

「二回目も――まあ、互いに招待を受けた夜会だった。確かに言い訳は要らんな」

「で、そのときに、『翌日も会いましょうね』って言っていたことにすれば」

「今に至るまでの、俺たちの不自然な待ち合わせは説明がつくな」


 頷き合う私たち。


 ちょうどそのとき、まだ若い貴族令嬢と見える女性が、父親と思しき男性に連れられて近付いてきた。

 即座に意識を切り替えて、当たり障りなく作品に触れて笑い合っている風を装う。


 父娘連れが十分に離れてから、私は力強くもう一度頷いた。


「ならば、もうセドリックさんから疑惑の目を向けられることもない」

「そうだな。問題はこれからだな」

「――これから?」

「今後も俺から手紙を出そうか?」

「――今後も? 待ってくれ、アルヴェイン、ちょっと落ち着け」


 あわわ、と声が大きくなりそうになったタイミングで、アルヴェインが私の手を取った。

 レースのグローブに包まれた私の手を持ち上げて、極めて上品に手の甲に口づける。


「――――!」


 心臓が止まった。

 お蔭で私の声は喉で雲散霧消した。


 騒ぐのを阻止してくれてありがとう、二度とやるな。


 ぱきん、と固まった私に、はっきりと揶揄の意図が透ける微笑を向けて、アルヴェインは軽やかに言った。


「フィオレアナ嬢、俺に会えずともいいと仰せか」


「名前呼ばないで……」


 切実な声が出た。

 どこで誰に聞かれるかわからないんだぞ。


 すーっと息を吸い込み、断固としてアルヴェインから自分の手を取り返し、私は二度と手を取られたりしないよう、両手でしっかりハンドバッグを抱えた。


「そうひょいひょい会っていられるか。外聞だってあるんだぞ」

「その割に、一昨日は俺を便利に使ったな?」

「あれは緊急事態だから!」

「――あのな、」


 アルヴェインは、聞き分けの悪い弟子を見るような目で私を見た。


「確かに、俺の家とおまえの家は仲が悪い。極めて遺憾ながらな。――だがな、俺は既に、おまえを相手に公開プロポーズにまで踏み切っているんだぞ」

「…………」

「社交界では専ら、仲の悪い家どうしに生まれたせいで一向に婚約話が進まない、気の毒な若い二人ということになっている」

「……殺してくれ……」

「俺が墓に入るときにな。――つまり、俺たちの顔と名前を一致させている人間が、たまたま俺たちの逢引を見たとして、」

「逢引じゃないっ!」

「逢引を見たとして、微笑ましいなと思うくらいが関の山なんだ。醜聞は求婚の時点で立った。もうこの上は立ちようがない」


「違うだろ……っ」


 絞り出すような声が出た。

 ハンドバッグを持つ手がぷるぷる震える。


「違うだろ……! そこで噂が火に油を注いでさ、おまえの父上が『まあ仕方ないし、あの家からでもいいから嫁に貰っとこう』ってなったらどうするんだよ……!」


「不満か」


 おまえと違って私は初婚なんだよ! という魂の叫びは、謎の意地と負けず嫌いによって喉の中で潰れ、私は項垂れた。


「不誠実だ……」


「は?」


 アルヴェインの声の温度が確実に下がった。

 何が気に障ったのかとびくついて目を上げれば、眉間に深い皺を刻んだ彼が私を睨みつけている。


「は? 不誠実? なんだそれは。

 おまえ、誠実を尽くしたい相手が他にいるのか」


 えぇ……なんでそうなる……。


「いや、おまえの父上と私のお父さまだよ」


 アルヴェインが瞬きした。

 眉間の皺がすっと消える。


「ああ、そういうことか」


 頷いて、アルヴェインは私を次の絵の前へ。


「まあ、どのみち、今は宙に浮いている俺たちの話が決着するまでは、俺たちは連絡を取る必要はあるだろう?」


「それは……うん」


 色々と不安だしね。


「いつものように済ませると、また会う用事が出来たときに、不自然だろう?」

「それは……そうかも」

「嘘はな、必ずぼろが出る。たとえば存在しない画家の話をしたときなんかに」

「もう忘れて……」

「というわけで、それならいっそ、人目を忍びつつ会ってしまった方が楽だし、安全なんだよ。そう思わないか?」


 うぅん、と唸ってしまう私。

 こうして理路整然と話されると、そんな気もするが。

 なんか途中で、話の筋の主導権を奪われている気がしないでもない。


「いやでも……会う必要があるときにだけ、手紙なりなんなりを出せば……」


「フィオレアナ」


 うだうだと言い募る私に、アルヴェインが溜息を吐く。

 そして、うんざりした目を私に向けた。


「この時代にこうして二人揃っているのは、俺たちどちらのせいだ?」


 うっ……。それを言われると痛い。


「私です……」


「俺がそうしたいと言っているんだ。どの面下げて拒否するんだ?」


「ごめんなさい……」


 過去の所業を振り翳され、もはや私には項垂れるより他はない。


 悄然と肩を落とす私に、しかしアルヴェインは微笑んだ。


「本当に気が進まないときはそう言ってくれ。無理強いをしたりはしないから。

 ――だが、フィオレアナ、俺から会いたいというからには、必ずおまえを楽しませてみせるから、安心してくれ」


「…………」


 私は瞬きした。

 心臓が変な音を立てた。


 なんだこれ――こんなアルヴェインの微笑は見たことがない。

 優しそうで自信満々な、こんな笑顔は。


 そして何より。


「……今回の話が宙に浮いている間は、連絡を取り合う必要があるから……だから会うんだよな?」


 私は念を押すように尋ねた。


「おまえの言い振りだと……」


 私に会いたいみたいじゃないか。


 そう思うが言えない。

 こいつには――これまでの全人生を、明るくて充実したものにしてきた、こいつには。

 こいつを呪っちゃった後悔と羞恥に常に悶々としてきた私が、そんなことを言えるわけがない。


 そして大体、そんなことがあるわけがないのだ。



 ――今さら。

 転生を重ねて十何回、もう百年以上の付き合いをしてきて、今さら。



「…………」


 私は息を吸い込んだ。

 もっとありそうな可能性に、やっと気づいたのだ。


 ――私からすれば、セドリックさんの疑惑は、「アルヴェインの付き人に不審に思われている」というだけのことだ。

 だが、アルヴェインからすればどうか。


 恐らく今生の幼少期からの付き合いであろうセドリックさんに疑惑の目で見られたとなれば、不安も心細さも、私の比ではなく大きいに違いない。

 その中で、なお信憑性のある言い訳を考えついてくれたのだから、本当にこいつには頭が下がる。


 つまり、不安や心細さがある中で、事情を全て知っている私と、ある程度顔の見える距離にいたいと思うのは、至極当然なことなのだ。


 一応、蝋燭の灯を使う魔法の他に、水晶玉や鏡や水面を通して、相手の様子を見ることの出来る魔法というのもあるし、私やアルヴェインともなれば、それを応用してある程度、姿を見ながら話すことも出来るけれど、やっぱり生身で会うのとは違うだろう。


「……うん」


 私は呟いた。


「うん、そうだな、会った方がいいな」


 ぱっ、と、アルヴェインの顔が明るくなる。

 私は何度も頷く。


「そうだよな。セドリックさんだもんな。疑う目で見られたらつらいよな」


「……フィオレアナ?」


 訝しそうに名前を呼ばれる。

 皆まで言うな、私にはわかる、という意味を籠めて、私はゆっくりと首を振る。


「うん、落ち着くまではちゃんと会おうな」

「……何かこう、なんだろう、すごく誤解を受けている気がするんだが……」


 アルヴェインが呟く。

 いやいや、親しい人に疑われれば落ち込むよ! 恥じることはないよ! 私だって、ハンナに何か疑われたらすごくつらいもん!


 そういう意味を籠めて彼を見つめると、アルヴェインはふっと短く息をついた。


「……まあ、いいか……」


 うんうん、と頷き、私は少しだけアルヴェインに身を寄せて、囁く。


「――気が回らなくて、本当に悪かった」


「いや、俺もだから」


「おまえの言う通りだ。私はとんだ間抜けだった。

 同じだけ生きているのに、恥ずかしい」


 そう囁くと、アルヴェインは微かに目を見開いた。

 そしてすぐに眉を寄せ、私たちの身長差を埋めるように、ほんの少しだけ前屈みになる。


「フィオレアナ、それは違う」

「だけど、」

「おまえ、これまでに、今熱中しているものほど熱を上げたものはあるか」


 私は記憶を手繰った。


「ない……気がする」


 いつもは解呪の方法を探しまくるだけで一生を終えていたような。


 アルヴェインは淡く微笑んだ。


「だろう? どれだけ生きてきたかは関係ないんだ。おまえにとっては初めてのことなんだから、それが全てだ」


「――――」


「それに、」


 アルヴェインが悪戯っぽく首を傾げる。


「頼み事の相手は俺だったろう? ――気を許してもらっているんだろうな、俺も。

 気を許した相手と、初めての状況だ。気が回らなくても、何も恥ずかしいことはないんだ」


「――――」


 私は無言でアルヴェインを見つめた。



 私が彼を慰めているつもりだったのに、いつの間に逆転したんだろう。



 それに――


 ――片手で胸を押さえる。



 また、胸の奥が、微かにきゅん、と、ときめいていた。



 本当に、一体なんなんだ、これは。


 私も病気なのかもしれない。











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