03 プロポーズは突然に
「ほんっと、呪われてるな……」
『呪ったのはおまえだけどな』
「すみません……」
そんなやり取りをする夜半。
私はネグリジェを着て髪を下ろし、完全に就寝スタイル。
とはいえ目はぎんぎんに冴えている。
社交界デビューで疲れ切っていてもいいこの夜この時間帯、どうして目がぎんぎんなのかは説明するまでもない。
私は寝台に腰掛け、サイドテーブルでゆらゆらと炎を揺らす蝋燭を眺めている。
蝋燭の炎は風がなくともゆらゆら揺れる。
聞こえてくるのは
がっくり項垂れ、私は蝋燭の炎に向かって呻く。
「なんでおまえ、そんな家に生まれてるんだよ……!」
『いやこっちの科白だよ』
「嫌な予感で絞め殺されそうだった私の気持ち、わかるか……!」
『おまえはいい、覚悟が出来ていたわけだろう。俺は違うぞ、唐突に引き合わされた今夜デビューのご令嬢がおまえだったんだぞ。一瞬気絶したんじゃないかと思う。俺の気持ちがわかるか』
「だって今夜がデビューだった……」
『十五歳か。俺は十八歳だ』
「そうか」
『俺の方が先に生まれているんだぞ、生まれに文句をつける権利はおまえにはないからな』
炎がゆらゆらと揺れる。
今、アルヴェインも私室で、同じく蝋燭の炎を見つめているはずだ。
蝋燭の灯を媒介にして会話できる大昔の魔法、私にとってもアルヴェインにとっても造作ない魔法だが、バレたらその瞬間魔女狩りに遭ってしまうな。
だが、それでも、未婚の若い身空の男と女が内密に話せる唯一の手段。
「文句をつけるかどうかは別として……」
私はうんざりと呟く。
「最近は上手くやってきたのに、また犬猿の仲の一族か……」
『既視感……』
「また、墓の場所が気に入らないだの上座だの下座だの、どの夜会に誰が呼ばれただの論功行賞の結果が気に喰わないだので揉めて、葬儀で血みどろの刃傷沙汰が起きるのか……」
『それは何回か前の人生での話だろう』
「そうなりそうで胃が痛い……」
海だ。海に向かって叫びたい。
昔から、私は現実逃避をするときは海に縋りがちだった。
だがしかし、ここから海までは四マイル。箱入り令嬢には厳しい距離だ。
『待て、落ち着け。俺の把握している範囲では、当家とそちらはまだ殺し殺されの域には至っていない』
「そうなんだよ」
私は思わず、ぐい、と蝋燭に顔を寄せる。
微かな熱に炙られる頬。
「両家に何があったのか、私は詳しくは知らないんだ。おまえは知ってるのか?」
沈黙。
の後、アルヴェインは小声で答えた。
『詳しくは知らないが……』
「おまえもかい」
『……数代前、戦争のときの論功行賞で揉めた、という話は聞いたことが……』
がっくり。
私は項垂れる。
「もう嫌だ……」
思わず呟く。
寝台の上に下がって膝を抱える。
「生きてる限り、敵がいないのは無理っていうのはわかるよ。わかるけど、どうしておまえなんだ……トラウマ過ぎる……」
何しろ、何回も何回も生まれることになっちゃった、原因といっても差支えのない関係性なもので。
あの悪夢の関係性再びかと思うと泣けてくる。
『俺も嫌だよ』
思いのほか切実な声が返ってきた。
『また呪われるのもごめんだ。次はどんなひどい目に遭うか、わかったものではない』
「もう呪ったりしないもん……」
『すまん。それはわかってる』
「じゃあ言うなよ……」
抱えた膝に額をつける。瞑目。
しばし沈黙。
ややあって、蝋燭の炎がふわっと揺れた。
『……寝た?』
「寝つけるかっ!」
言葉を失っていただけだ。
がばっと顔を上げ、私はめそめそと呟く。
「どんなに気をつけてても、家と家とのことじゃないか。気がつくと敵対してるものじゃないか。なんとなく刷り込まれていくものじゃないか」
『うん、あの、全部、俺を呪った言い訳として聞いたような言い回しだが』
「……。とにかく、何がどう転ぶか、わかったものじゃないじゃないか」
『だからといって、一朝一夕で両家の関係が回復するはずも』
私は掌で額を押さえた。
「何かこう、流星が落ちてくるような出来事が起こったり」
『流星』
そう、流星だ。流星が落ちてくればいいのだ。
何か煌めくようなものが輝かしく落ちてきて、他の全てを薙ぎ倒すような破壊力で、連綿と続いてきたらしき、両家の理由なき反目を終わらせてしまえばいいのだ。
「流星……」
呟き、――私ははっと顔を上げた。
蝋燭の炎が強く揺れて煌めく。
そうだ、両家の間を取り持つといえば、昔から常套の手段があるじゃないか。
「おまえ……」
囁く。
うん? と返ってくる声に、私は真面目に尋ねていた。
「おまえ、婚約者はいるか」
『は?』
面喰らったような声。
私は思いつきに囚われて話していた。
「仲の悪い家の仲が回復するとなれば、両家の結婚が昔からの常套手段じゃないか!」
――〝戦争は他のものに任せておけ、幸いなる英雄よ、汝は結婚せよ〟。
『――――』
素敵な思いつきだと思ったのに、蝋燭の向こうでアルヴェインは沈黙した。
長く、長く沈黙した。
私が、「寝た?」と尋ねかけたそのとき、アルヴェインは呻くように言っていた。
『気づいていないかもしれないが……』
「なんだ」
『おまえの家系で未婚の娘は、おまえしかいないと思うんだが』
「あ」
『もっというと、家柄の困難を乗り越えて結婚するのは並大抵のことではないから、強い意思で突き進むしかないんだが、それをする動機は、俺たち以外の誰も持ち合わせてはいないんだが』
いやあ、盲点。
そうだった。
私には弟がいるが姉はいない。妹もいない。
叔父のモールド男爵にはご令嬢がいるが――つまり、私から見れば従妹に当たるが――まだ九歳だ。縁談に差し出すには忍びない。
「あー……」
思わず声を漏らす。
炎の向こうとこちら側で、今や心は困惑で一つになっていた。
『結婚……する……?』
いやいやいやいやいや。まさかまさかまさかまさか。
私は思わずふっと笑い、蝋燭に向かって囁いた。
「……よし、もう寝ようか。おやすみ」
蝋燭の灯を吹き消して寝台に横たわり、馬鹿なことを言ったなと、反省しながら目を閉じる。
意識を切り替える。
呪ってしまったアルウィリスが、また姿を変えて現れたことについて、出会ってしまったことについて、お互いの立場がまた望ましくない対立構造の中に置かれていることについては、また今度考えよう。
明日はあの日だ。
一週間に一度のあの日。
ハンナは、「お手紙はとっておきますね」と言ってくれた。
そちらに意識を向けて、もう眠ろう。
――そして実際のところ、数日の間、私は甦ってきた因縁を頭の中から消去することに成功していた。
なんならこのまま安穏として、今回の人生は終わってくれないかなと思っていた。
それら全てが崩れたのは、数日後、私がまたいそいそと参加した夜会、デビュー二戦目のそこで、イヴンアロー侯爵家の嫡男アルヴェインから、堂々たる公開プロポーズを受けてしまったときだった。
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