第5話「帰り道」

「せっかくなんだし、一緒に帰らない?」


「はい、大丈夫、だけど」


 突然の誘いに僕は動揺しながらも頷いた。

 恵麻とは別々に帰る予定だったので、廣冨さんと一緒に帰るのは問題無い。

 寧ろ、誘ってもらえたのが嬉しくて気を抜いたら頬が緩んじゃいそう。


「廣冨さんのお家はどっち方面?」

「私は西の方だけど、谷塚君は?」

「僕もそっちだ。良かった、長くお話できるね」

「ふふ、そうだね。ちなみに普段は徒歩で来てるの?それとも電車?」

「僕はすぐそこだから徒歩だなー」

「そっか、私も実はすぐそこなんだ〜。偶然だけどお家は近いのかもね」


 ふむ、西側で徒歩となると、僕が住んでいるのと同じ住宅地に引っ越してきたのかな。

 春休みに買い出しで外出することはあったけれど、引っ越しの様子を見てないから家同士に距離はありそう。


「もしかして紅葉台だったり?」

「そうだね、もしかして谷塚君も?」

「実は僕も紅葉台なんだ」


 やっぱり正解だったみたい。紅葉台は僕が住んでいる住宅地で、小高い丘の上にある。

 僕の家はその入口付近で、丘の麓にあるスーパーからとても近くて便利なのだ。


「家近いみたいだし、お互いの家の場所確認しておかない?」

「そうだね。確かに、もし病気で休んだりした時に配布物とか届けられるもんね」


 廣冨さんの提案に僕は二つ返事で了承する。

 その後は学校の話をしながらゆっくりと歩いた。家族以外とこうやって談笑するのは実に小学生のとき以来だなぁ……なんて悲しいことを考えてしまった。

 けれど今は廣冨さんと仲良く話せている。だから過去はどうでも良くて、今を大切にしよう。

 そんな決意をしたところで、僕の家の前についた。


「ここが僕の家だよ」

「…………」


 僕が家を教えると、廣冨さんは言葉を失った。どうしたんだろうか。

 廣冨さんはすぐに再起動して、コホンと咳払いした。

 どうしてか、緊迫した雰囲気が醸し出されている。

 そして――今更、どういう事かに気付いた。


 僕は『廣冨』という苗字を見たのは初めてではない。向かいの家のお兄さんの苗字がそれだからだ。

 廣冨さんは引っ越してきたのは間違いない。僕は勝手に家族全員で引っ越してきたものだと勘違いしていたが、そんな事は一言も言っていない。もしもその引っ越しの理由が再婚だったとしたら――


「えっと……私の家はあれ」


 そう言って廣冨さんは目の前の家を指さした。

 予想は的中してしまった。

 廣冨さんの家が向かいであることに僕は動揺を全くもって隠せなかった。


「へ、へぇ、向かいなんだね、よろしくね」

「……こちらこそよろしく」


 なんだか硬い雰囲気になってしまった。

 だって、向かいの家に引っ越してきたのにちっとも気付かなかったし、向こうも予想外だったっぽいし。

 何はともあれ、お互いの家を確認するという目的は果たしたんだ。止まってても仕方がないので今日はここで解散となる。


「じゃあ、今日はありがとう。明日からもよろしくね」

「こちらこそ。また明日」


 廣冨さんは片手を僕に振り、微笑みながら背中を向けた。そのスマイルと仕草、イケメンすぎませんか?




 扉を開けて家に入った瞬間、緊張が解き放たれたかのように脚から力が抜け、玄関に座り込んだ。

 まさか、廣冨さんが引っ越してきたという家が目の前とは思わなかった。

 そして、廣冨のお兄さんはいつの間に結婚してたんだ。後でケーキ買いに行かなくちゃ。

 余裕が無いはずなのにそんな事を考えながら座り込んでいると、スマホの通知が鳴った。


『帰り遅くなります』


 お父さんからその一言とペコペコするクマのスタンプが送られてきた。

 僕は大丈夫とサムズアップするウサギのスタンプで返して、力が抜けてしまった腰になんとか力を入れ直して、リビングに入った。

 父とのこのやりとりは日常茶飯事で、父は朝早くから出勤するのに帰ってくるのがよく遅くなり、晩御飯の支度に間に合わない事がある。

 その時にはこうして連絡をして、僕が食卓の準備をする時に迷惑が掛からないようにしてくれている。


 洗面所で手を洗い、制服を着替える。久しぶりに着た制服は、やはり少し重たいと思ってしまった。けれどそれは今までと違って、心地の良い重さとも思えた。


 今日は入学式だった事もあり、いつもよりも早めに帰ってきている。かと言って、課題がある訳でもないので、少し暇を持て余している。


「久しぶりに編み物しようかな」


 小さい頃は祖母によく編み物を教えて貰っていた。毛糸を編み棒でうまく編み、マフラーや靴下をよく作っていた。

 けれど中学生にもなればなかなか時間がとれず、編み物をする事はめっきり無くなっていた。

 よって今日はおよそ5年振りの編み物をすることになる。

 けれどそのブランクを感じないほどに、自分でも驚くほど手はスムーズに動いた。

 寧ろ今までよりもうまくなっている気がする。たまに部活を辞めてからの方が上手になっている人がいるって話を聞くけど、本当なんだなと身をもって実感した。


 編み物をしながら、ふと考える。

 今日の帰り、廣冨さんと一緒に帰ってきたんだよね、自分。

 今まで誰かと一緒に帰るなんて事は無かったから、すごく新鮮な気分だったな。

 誘われた時は少し驚いたけど、それ以上に嬉しかった。

 しかも廣冨さんほどの美少女に誘われたというのも驚きだ。帰りが遅くてよかったな、廣冨さんのファンに刺されかねない。

 そして学校の玄関で助けてもらったことを思い出して、つい顔が熱くなった。


「廣冨さん、かっこよかったなぁ……」


 そんな事を考えているうちに、作っていた物は完成してしまった。今回作ったのはティッシュカバーで、嵩張らないように細くて頑丈な毛糸を使っている。

 まだ時間あるしもう一つ作っちゃおうかなと思っていると、玄関の扉が開く音がした。


「ただいまー!」


 元気な声とともに恵麻が帰ってきた。すごく上機嫌なところを見ると、学校では幸先の良いスタートを切れたみたいだ。


「おかえり、恵麻。学校はどうだった?」

「最高だった!前の席の浜田愛ちゃんと友達になってね、それでそれでね、……」


 楽しそうに話す恵麻を見て安堵の息を吐きながら僕は話を聞いた。

 そんな恵麻を見ていると僕の方も幸せになる。


「……って話がめちゃくちゃ面白くて!」

「ふふっ、良かったよ恵麻が楽しいと思ってくれて。同じ学校に通う兄として、とっても嬉しい」

「へへへ〜。そういうお兄ちゃんこそ、今日は随分楽しそうだね。もしかして、新しいクラスがいい感じだったとか?」


「まぁそんな感じかな。隣の席が転校生の子でさ。めちゃくちゃかっこいい女の子で」


 恵麻に廣冨さんについて語り始める。きっと驚くだろうな。


「僕が転びそうになった所をガシッと支えてくれて、それで、その……僕に『かわいい』って言ってくれたんだ」


 すると恵麻は笑顔で感嘆の声を上げた。


「え!良かったじゃん!お兄ちゃんの可愛さを分かってくれる人が居てくれて私は嬉しいよ〜♡」


 まるで自分の事のように喜んでくれる恵麻に思わず微笑んでしまう。僕も僕で恵麻の嬉しかった話を聞くと同じように喜ぶので、兄妹の間で幸せが循環している気がしていい関係だなと実感する。


「ただ、その子の名前が廣冨逢瀬さんって言ってね……その、向かいの廣冨のお兄さんの結婚相手の連れ子だったんだ」

「えっ」


 やっぱりびっくりするよなぁ。

 廣冨のお兄さんが結婚してた事にも、その連れ子が同級生で、しかも同じクラスの隣の席の子だなんて。


「えっと、それでこれからお祝いにケーキ買いに行こうかと思うんだけど、一緒に渡しに行く?」

「うん!是非挨拶したい!」

「りょーかい、じゃあケーキ買ってくるね」

「いってらっしゃーい」


 さて、近くの商店街のケーキ屋に買いに行くか。

 ついでに帰りにスーパーで食材を買い足しておこう。

 僕は多すぎる情報量をゆっくりと頭の中で整理しながら歩いた。

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