Act.16




─PAST DAY─




 煌びやかなホールの夜を飾る極彩色のネオンが、舞台袖の控えスペースにまで漏れ出ていた。

 悪徳の都に燦然とそびえる、欲と美が渦巻く黄金と虹の楽園。ヴァルプルギス・ナハト。

 ステージの上で艶めかしく踊り、代わるがわる手を変え品を変え、客席の男たちを飽きさせることなく魅了するショーガール達。厳しい審査と弛まぬ努力の果てに、女の全てを極めつくしたと評価された一握りのダンサーだけが、その場に立つことを許される。


 ここは闇の中でしか憩うことのできない夜の蝶たちが、最後の夢を見るために翅を下ろす止まり木。


 いや、もしかしたら今ここに止まっている蝶こそが現実で、これまではただひらひらと、風に揺られるように、彷徨ほうこうする世界の夢を見ていただけなのかもしれない。


 いずれにしても、この場所こそが夢とうつつの果て。ここより先に待ち受けているのは、華々しいスポットの光の喝采か、暗澹あんたんと湿った暗がりの中か。その二択しかありえない。


 観客たちが求めるのは、より刺激的で情熱的なエンターテイメント。彼らを飽きさせないために、クラブを運営する経営陣は常に新しい風を吹かすため、あらゆる手段を使って各地から女を集めてくる。


 そう、でだ。


 舞台袖で先輩たちのショーを眺める新人ダンサーたちの中には、借金で身を持ち崩した者、孤児として戦地から売られてきた者、あるいは非合法的な取引で誘拐されてきた者、いずれも後ろ暗い背景を背負った女たちばかりで、好き好んでこんな場末に訪れる者など殆どいない。


 彼女たち候補生は、一人前と認められるまでは番号で識別される。一期につき十人。1ウーヌスから10デケムまで。

 3トレスはその中でも落ちこぼれだった。目鼻立ちもスタイルも、決して不器量というわけではない。ツンとした知的な美貌はコアな好事家こうずか受けも狙えるほどには整っていたが、彼女の場合、見た目以上に性格が堅物で生真面目に過ぎた。恵まれた素材を持ち得ながらも、どこか色気に欠けた冷たい印象が抜けきらない難物であった。


「なんかあなた、ショーガールというよりはむしろ経営陣の秘書あたりが服を脱いだみたいよね」


 そうトレスに声をかけたのは、同期の中では一番の期待株と目される9ノウェムだった。


「どういう意味?」


 どう聞いても暴言としか思えない言い様を、邪気のないカラリとした調子で宣うノウェムに、当然の如くトレスは食って掛かる。


「いやいや、悪い意味じゃないのよ? あなたってマメだし、いつも最後まで居残りしてるし。そういう真面目なところ、なんか悪くないなって。ほら、爪だってこんなに綺麗」

「私は当然のことをしているだけ。後から先輩たちにガタガタ皮肉垂れられるのが嫌なだけよ」

「うーわ、めっちゃマジメ」

「オーナーからも先輩からも気に入られているあなたに、私の気持ちなんて理解できないわよ」


 トレスは隠す素振りもなく皮肉を口にする。彼女の目から見ても、ノウェムの才覚は群を抜いて際立っていた。澄んだ夜のような黒髪、海の底を思わせる蒼い瞳、陶磁のような肌には淀み一つなく、芸術の神が色欲の悪魔と結託して彫刻したかと思わせるほどに、均整の取れた肉体美。それらの美が捉えどころのない蠱惑的なノウェムの性格によって魔性と化し、同じ女ですら、迂闊に踏み込めば虜にされかねない魔力があった。


 人間とは、二十歳の身空みそらを迎える前から、こうも艶麗な魅力を醸せるものなのだろうか。まるで暗闇の海岸線を分かつ夜光虫の如き美貌を指して、誰からとでもなく彼女のことを『魔女』と称すに至ったのは、なにかと彼女に食って掛かるトレスとしても、得心以外の選択肢を持てなかった程だ。


「ねえあなた、どうしてショーガールになろうと思ったの?」

「別に、他の子とそう変わらないわよ」

「ふ~ん」


 投げかけられた問いを袖にするトレスに対し、ノウェムはさして気にする風でもなくのほほんとした調子で頷く。その頓狂な様子が、なおトレスを苛立たせた。

 こんな女に、決して教えてなるものか。赤貧せきひんに喘ぐ故郷の家族に、はした金と引き換えに身売りされた過去など。初めから何もかもを持ち得たこんな奴に、自分の気持ちなど理解できるはずもない。

 いずれ力を手に入れ、自身を捨てた故郷と家族を見返してやるのだ。

 彼らがはした金欲しさに売り飛ばした娘が、みじめな自分たちよりもよっぽど大きな幸福の中にあると、まざまざと見せしめるために。

 ノウェムだけではない、誰一人にだって、この憎悪ユメの形を悟らせてなるものか。


 そうして余裕ぶって見下していればいい。

 だから、先の慳貪けんどんな回答に重ねるように、さらに続けてトレスはこう答えた。


「みんな同じよ。ここにきてしまった以上、成り上がるしかない。これはそういう仕組みなのよ」

「ふ~ん、そうなんだ」

「あんたこそ、なんでこんなとこにいるのよ」

「え?」

「え? じゃないわよ。分かるわよ、あんた別に売り飛ばされたりとか、望まずにここに来たって口じゃないでしょう? あえて選んでここにいる。はっきり言って意味が分からないわ」


 それは何の気なしの、トレスとしては、別に実りある回答を期待していたわけでもない質問のつもりだった。

 しかし、彼女が何の気なくただした問いの中にあったあるワードが、ノウェムの耳を殊更ことさらそばだたせた。


「へえ、あなたが初めてよ。あたしが好き好んでここにいると看破したのは」

「は?」


 ノウェムがそう答えたことで、傍で話を聞き流していた候補生たちの目線が一瞬にして異質の物を見た時のそれに変貌した。


 こんな、倫理も道徳も消え果てたメイザースという名の混沌の、さらに不条理な理が支配する魔女の夜会ヴァルプルギス・ナハトに、このノウェムという女は好き好んで降り立ったというのだ。

 それは望まずしてここにいる他の候補生にとって、まったく理解しがたい、狂気としか言いようのない発言だった。


 先ほどトレスが「あえて選んでいる」と言ったことも、彼女たちは内心一笑に付していた。そんなわけないだろう、何を馬鹿なことを、と。

 だが、ノウェムがそれを肯定したことで状況は一八〇度一変した。女の地獄を極めたようなこの環境に享楽で足を踏み入れたノウェムも、それを天気でも占うかのように言い当てたトレスも。彼女たちには等しく異様な存在として認識されるに至った。


「あたしね、シンジケートのトップになりたいの」

「シンジケートって……ここを仕切ってるあのシンジケート?」

「そう、黄金郷の虹の楽園。スタシオン・アルク・ドレの女帝クイーンに。それが叶った暁には、トレス。あなた、あたしのそばで働きなさい」

「ちょっと、何勝手に決めてるのよ」


 神をも恐れぬような会話についてくる者は、もはやここには一人もいなかった。

 ただのショーダンサーが、いずれは使い捨てられるだけの消耗品が、シンジケートのトップになど、馬鹿げているとしか言いようがない。変数ではなく定数を変えて式を解くようなものだ。とても付き合いきれない。


 しかし、そんな与太をただ一人のみ、真面目に受け止めた女がいた。

 別にダンサーとして大成したかったわけではない。ただ奪われるくらいなら、奪う側の立場に立つ方がいい。まったく非の打ちどころのないシンプルな答えを提示された事で、大した計画性もなかったトレスのビジョンが明確な輪郭を帯びていった。


「あなた、本名はなんて言うの?」

「……カレン。カレン・ニンフェア」

「あたしはエミリー。エミリー・シャテル・エニアグラム・ド・レヴィ」

「長いわね……」


 名前まで立派と来た。つくづく彼女は『持ちうる側』なのだと、トレスの中の劣等感がただれるように痛んだ

 なんかムカつくから、決して名で呼んでなるものか。それはトレスの──カレン・ニンフェアのしょうもない意地だったが、それは後に思わぬ方向で裏切られることとなった。


 その年、初ステージを飾ったノウェムは、その才覚を惜しげもなく開花させ、組織に莫大な利益をもたらすようになっていった。そのあまりの鮮烈さは半ば伝説となり、このショークラブにおける『9ノウェム』という数字は特別な意味合いを持つようになるという、カレンにとってはなんとも皮肉な結末へと至った。


 その後もノウェムは順調にスターダムを駆け上がり、ついには経営陣すら屈服させ、文字通りスタシオン・アルク・ドレのクイーンとして、メイザースの夜を彩る夜会の主の道を突き進んでいった。


 その姿を誰よりも長く、誰よりも近いところから眺め続けていたカレンの胸には、焦がれんばかりの憧憬と、あふれんばかりの嫉妬で渦巻いていた。

 何も持ち得なかった彼女が、全てを手にした女のそばで、ただただおこぼれに与り続ける立場に甘んじなければならない屈辱。そうして十五年に渡って繰り返された日々が、彼女の歪んだ野望をより強固なものに変じていった。


 いつか、ノウェムの全てを奪い取る。彼女の築き上げてきたすべてを、木っ端微塵に粉砕して見せる。そのためなら例え自分自身ですら踏み台にして見せる。


 そうだ、思い出せ。あの日に誓ったすべてを。


 こんなところで──こんな、便利屋だの調査官だのと、どこの馬の骨とも知れないフリーランスのチンピラに阻まれるほど、自身が積み上げてきた執念は甘くはない。


 もうすぐ、もうすぐだ。あと一手で計画は成就する。

 窮地もあった、不測の事態もあった。それでもカレンの中の野望の火は潰えてはいなかった。

 なぜなら彼女の計画は、これまでただの一度たりとも、彼女の掌の上から出たことなどなかったのだから。




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