第1話 最適解への反逆
頭に響く甲高いチャイムで、オレは意識を覚醒させた。
見慣れぬ天井。硬いベッド。
そして、体に染み付いて消えることのない、四十年間分の疲労感。
……どうやら、昨日のアレは夢じゃなかったらしい。
「マジかよ……」
ベッドから起き上がり、鏡に映る自分を見る。
そこにいるのは、十代後半の、まだ青臭さの残るガキだ。だが、その瞳だけが、くたびれきった四十のおっさんの色をしていた。
ここは日本魔法能力者育成機関、通称「AI-MAGIA」。
ブラック企業で過労死したオレが、どういうわけか転生してしまった、二度目の人生の舞台だった。
「平穏に、穏便に, 目立たず騒がず……」
新しい制服に袖を通しながら、オレは呪文のように繰り返す。
なんだこの制服、貴族の遊び着か?
妙に豪奢なエンブレムと肩にかけるマントが、四十のおっさんの精神には気恥ずかしすぎる。
だが、郷に入っては郷に従えだ。波風を立てるのが一番面倒くさい。
もうリーダーなんて役割はごめんだ。誰かのために自分をすり減らす人生は、一度で十分。今度こそ、徹底的にサボって、趣味でも見つけて、人間らしい平穏を享受してやる。
そう固く誓って向かった最初の授業で、オレの誓いは、早くも根底から叩き折られることになる。
◇
「――これより、魔法基礎理論演習を開始します。全生徒は、眼前のターミナルに表示される『最適化詠唱』を寸分違わずトレースし、基礎魔法を発動させてください」
教室に教師の姿はない。
冷たく、合成音声のようなAIのアナウンスだけが響き渡る。
生徒たちは、目の前のターミナルに浮かび上がった光の筋を、必死の形相でなぞり始めた。
なるほど、これがAI管理教育か。
AIが算出した、最も効率的で、最もエラーの少ない、魔法発動の「最適解」。
それを全生徒に強制する。
前世で言えば、全営業マンに「最強の営業トークスクリプト」を丸暗記させるようなもんだ。確かに、合理的ではある。新入社員をとにかく早く一人前にするには、手っ取り早い方法だ。
だが、オレの隣の席の生徒――確か名前も知らない、気弱そうな男子生徒だったか――は、その「最適解」に適合できずにいた。
指が震え、魔法が暴発し、小さな火花が散る。
エラー。エラー。
ターミナルが無機質な警告を繰り返す。
そのたびに、彼の肩がびくりと跳ねる。顔は蒼白で、脂汗が浮かんでいる。
その姿を見た瞬間、オレの頭に、忘れたくても忘れられない光景がフラッシュバックした。
――雨の中、俯いて震えていた、あいつの顔。
数字に追われ、上司に詰められ、心をすり減らし、最後に「すみません」とだけ言ってオレの前から消えていった、不器用な後輩。
あの時、オレはあいつを……。
ビーーーーーッ!!!
隣のターミナルが、これまでで一番甲高い、けたたましい警告音を鳴り響かせた。
その音が、オレの思考を、過去の記憶を、無理やり引き裂く。
四十年間分のストレスと、目の前の理不尽さが、オレの意識の中で混ざり合った。
そして、気づいた時には、口から言葉が飛び出していた。
「うるせえな!!!」
はっと我に返る。
「……あ」
教室は、水を打ったように静まり返っていた。
全ての視線が、声の主であるオレに、突き刺さっている。
やっちまった。
四十にもなって、衝動的に怒鳴るとは。
面倒なことになる――そう思った、次の瞬間。
脳裏に、前世の記憶が蘇る。
理不尽な要求を繰り返す、抑圧的なパワハラ上司。ある会議で、その矛盾をオレが完璧な正論で突き詰めた時、一瞬だけスカッとした。
だが、その後の数ヶ月、粘着質な嫌がらせでどれだけ面倒なことになったか。
感情的な行動は、いつだって、より大きな面倒事を連れてくる。
デジャブってやつだな、最悪の。
教室のスピーカーから、AIの冷たい電子音声が、オレだけに向けて響き渡った。
「――警告。あなたの情動の爆発は、既存のどの生徒のデータにも合致しません。システムへの反抗的態度と認定。行動の説明を求めます」
クソ、最悪だ。
完全にロックオンされた。言い訳は通じない。こういうシステムは、言い訳や謝罪を最も評価しない。必要なのは、論理的な正当性だけだ。
どうする? ここで黙り込めば、反逆者として即、退学候補だ。
……やるしか、ねえか。面倒くせえ。
オレはマイクに向かって、はっきりと告げた。
「その警告音がうるさかったのは事実だが、元凶は別にある。この画一的な教育方針そのものが、非効率で、無駄なエラーを頻発させているからだ」
「説明を継続してください」
「個体差を無視した最適解の強要は、平均値の向上と引き換えに、トップ層の才能を著しく阻害する。そして、隣の席のような落ちこぼれを精神的に追い詰めるだけだ。尋ねるが、AI。この学園における、上位5%のトップ層が全体に与える影響値を算出したことはあるか?」
AIは数秒沈黙し、応答した。
「……算出の必要性を認めません」
「だろうな。だが、どんな組織でも、突出した成果を出すのは、その上位5%だ。
あんたのやり方は、その他95%の平均点を60点から70点に上げるかもしれない。
だが、その過程で、120点を叩き出す可能性のあるトップ層の芽を潰している。
さらに、下位10%の生徒が落ちこぼれることで、中間層が持つべき『上への憧れ』と『下への危機感』が失われ、組織全体の活力が停滞する。短期的なコストパフォーマンスは良くても、長期的な人材投資としては、三流のやり方だ」
数秒の沈黙。
やがて、AIは、オレに対して最終的な判断を下した。
「あなたのロジックには、既存のパラメータを逸脱した、未知の有効性が含まれる可能性を算出しました。よって、あなたは本日より、被験体イレギュラー・サンプルとして、特別観察対象に移行します」
被験体、だと……?
「最終判断の前に、一つの実証実験を提示します。あなたの提唱する『異端の育成論』で、成績不振の生徒一人を、指定期間内に更生させ、その有用性を『結果』で証明しなさい」
それは、救済措置などではなかった。
「成功すれば、そのデータをシステムにフィードバックし、あなたは通常生徒に復帰。失敗すれば、予定通り、イレギュラー・サンプルとして廃棄――すなわち、学籍抹消、記憶消去を実行します」
オレは、AIの掌の上で転がされる、ただのモルモットにされたのだ。
……マジかよ、クソったれ。
――心で悪態をつき途方に暮れ自室へ戻る。
オレの心を写し込んだ雨模様の中、視界の端に、中庭でずぶ濡れになりながら、無謀な練習を繰り返す、小さな女の後ろ姿が映った。
いや........まだ分からねえな
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