4-2

 トレーニングを終えた後、夕暮れの中を三人で帰路に就いた。

 美波が疲労困憊のぼんやりした瞳で涼介を見る。


「師匠、頭痛いぜ。疲れた」

「東さん、お疲れ様。東さんにとってはなれないことだから疲れたよね、次からはもう少し時間を短くしようか?」


 美波の疲れた様子を慮り、涼介が提案する。

 だが美波は遠慮するように首を横に振った。


「気にしないでくれ師匠。頑張らないと師匠みたいになれないだろ」


 そう言うと空元気で張り切ってみせた。

 涼介と美波の会話を聞いていた有紗が厳しい目つきを美波へ送る。


「東さん今日はよく頑張りました。ですが、今日だけで満足してはいけませんよ。今日よりももっとハードなトレーニングを涼介君は日課していたんですから」

「……あ?」


 疲れているせいか、美波にしては遅れ気味に反感あらわに有紗へメンチを切った。

 有紗は涼介の手前もあってか威を大きくして臆せずに物申す。


「東さんがこれからすべきなのは今日私と涼介くんが教えたトレーニングを自分で継続していくことです。涼介くんの教え子として名折れにならないでくださいね」

「うぎぃ、偉そうに」


 いかにも立場が同じなら言い返すのに、という悔しそうな顔で歯ぎしりする。

 平野さんの言ってることは最もだけど、と涼介は気遣いを見せて視線を美波へ向けた。


「まずは一日十分。それだけでいいから、東さんには今日教えたトレーニングを毎日続けて欲しいな。その十分だけでも集中して取り組めば力はついていくと思うから。もちろん慣れてきたら時間を増やしてほしいけど」


 涼介の言葉に美波は泣きそうなほどに目を潤ませた。


「やっぱあたし、師匠とマンツーマン指導がいいぜ」

「そう言ってもらえるのは光栄だね」

「こいつが介入すると難癖つけられてやる気なくすんだよ」


 有紗を指さして涼介に訴える。

 こいつとはなんですか、と有紗は当然憤った。

 いつものように涼介が苦笑いで仲裁に入る。


「感情が昂ると集中切れちゃうからさ。東さんも平野さんを蔑ろにするような言い方はよくないよ」


 涼介が諫めると、彼に絶対の信頼を置く美波は従順に頷いた。

 有紗の方も仕方なさそうに口を噤む。

 口を開けばいがみ合う有紗と美波が黙ると自然と三人は会話がなくなってしまったが、住宅街に差し掛かるタイミングで有紗が名残惜しそうに涼介を振り向いた。


「涼介くん、私こっちです」


 立ち止まり自宅の方向を指で示した有紗に、涼介は普段と変わりなく笑い掛けた。

 温厚な彼を見る有紗の目に心配の色が宿る。いつにもまして涼介と美波が二人きりになるのが気掛かりだった。


「二人で大丈夫ですか?」

「大丈夫ってどういうこと?」


 涼介は有紗の心配の理由を解せていない問いかけを返す。

 有紗は言いづらそうに美波と涼介と交互に見てから思い切って涼介に告げる。


「東さんと二人きりはとても気が気じゃありません」

「大丈夫だよ。東さんの家がどこなのかは知らないけど、僕はすぐそこだから」


 的外れな理由で笑い返す涼介に、有紗は違うというように二度首を横に振った。


「私が心配しているのはそういうことじゃないんです。東さんは涼介くんにだけは心酔していますから……」


 有紗はその先は続けられなかった。

 この先を続けたら自分の気持ちの一部を涼介と美波に告げているようなものだ。

 懸念は拭えなかったが涼介よりも鋭い美波に怪しまれる前に笑顔を浮かべる。


「それじゃ涼介くん。東さんもまた明日です」

「うん。また明日」

「……おう」


 穏やかな涼介の微笑みと曰く言いたげな美波の目線を浴びながら有紗は二人と別れて自宅への道を進んだ。

 有紗が曲がり角で見えなくなると、美波が涼介に目を移す。


「師匠の家はどっちの方だ?」

「僕の家。ここからそう遠くないよ。東さんは、って聞いていいのかな?」


 質問しかけてからしくじったように口元を引きつらせた。

 美波は自宅のある方角を指差した。奇しくも涼介と方向的には同じだった。


「あっちの方。けどもうちょっと歩くな」

「案外、近所だったんだね。知らなかったよ」

「なあ師匠。途中まで一緒に帰っても、いいか?」


 帰る方向が一致していることにかこつけて美波は切り出した。

 涼介は別段断る理由もなく頷くが、すぐに戸惑いの苦笑を浮かべる。


「僕はいいけど、東さんの方こそ僕なんかが一緒で構わないの?」

「師匠に話したいことがあるんだ」


 答えて真剣な眼差しを返す。

 美波の眼差しに涼介も表情を引き締める。


「それで僕と一緒に、ね。話す相手は僕なんかでいいのかな、大した人間じゃないけど」


 涼介は重責を担う恐れを感じて念を押して尋ねた。

 だが美波の眼差しは揺るぎなく涼介を見つめる。


「あたしを受け入れてくれた師匠だから話しておきたいんだ。お願いだ」


 そこまで信頼してくれてるのに拒絶できるわけないよ。

美波の気持ちに応えるため涼介も覚悟して頷き返す。


「わかった。東さんの話聞くよ」

「ありがとう師匠。でも歩きながらいいか?」

「東さんのしたいように」

「それじゃあ、いいって言うまであたしの方を見ないでくれ」

「わかった」


 美波の要望を聞き、涼介は先に帰路を歩き出した。

 彼の二歩ほど後ろを美波が歩調を合わせて着いていく。

 互いの顔が見えない状態で美波が話し出す。


「師匠には兄弟いるか?」


 いないよ、と涼介は短く答えた。

 涼介には見えていないが、美波は沈痛な面持ちで話を続ける。


「あたしには弟がいるんだけど、その弟がすげぇ優秀なんだよ」

「うん」

「それに比べてあたしは出来が悪くて、いっつも親に弟を見習え、だとか同じ血が流れてるのに、とか愚痴言われんだよ」

「……うん」


 表情を窺えなかったが、涼介には美波の声が物凄く痛ましく感じて、すぐに振り返って否定してあげたかった。

 しかし、美波から見ないでくれと頼まれたことで進行方向しか目を向けられない。


「弟と比べられるたびに、あたしは自分のダメさに嫌気が刺してくんだよ。それで感情的になって親にキレて、よくわかんないまま外出て、家に帰りたくなって警察に補導されて、あたしの生活何のためにあるのか、わかんねぇよ」

「うん」

「何かをしなきゃいけないのはなんとなく分かるんだ。でも何をしても上手くいかない気がして、やっても弟と比べたら大したことない気がして、結局は自分のダメさを実感するだけのような気がするんだ」

「うん」


 無暗な慰めや助言は口に出来なかった。

 でも涼介にも一つだけわかることがあった。それは美波が勇気を出して自分に話してくれていることだ。


「今こうして師匠に教えてもらってるけど、これでもあたし変われなかったら、どうしたらいいのかわかんねぇよ。師匠、あたし変われるか?」


 一方的に聞き役に徹していたが、ようやく美波が問いかけを投げてきた。

 その縋るような声音がとても悲痛で涼介は胸が詰まったが、かろうじて思いついた言葉を口に乗せる。


「確証はないけれど、東さんが僕のことを師匠と呼んで変われることを願うなら、僕は僕の持つもので東さんが変わったと自覚できるように頑張るよ」


 教え導く、なんて大仰なことは難しいけれど、東さんの救いになるのなら僕は師匠として役目を果たしたい。

 それが今の涼介が出来る精一杯の返答だった。

 涼介と美波は互いに継ぐべき言葉を見失い、しばしの沈黙が降りた。

 たとえ会話がなくとも二人の足は帰路を進み、美波は自宅の近くの曲がり角に差し掛かったことに気が付いて歩みを止める。


「やっぱり、あたしはそう言ってくれる師匠についていきたい」

「うん」


 美波は締めくくりとして言葉にしたが、涼介は歩みを止めずに先ほどの会話の続きだと思って相槌だけを返した。


「ありがと師匠」


 段々と遠ざかる中で美波がいつもよりも信頼が籠った感謝を告げる。


「……気にしないで東さん」


 涼介は美波との距離が離れていることを知らぬまま言って、足音がしないのに気付いてから慌てて振り返った。

 美波の姿は完全に住宅街のどこかに消えていた。


「あれ、東さん?」


 急にいなくなった美波を目で探すが近くにはいない。

 足音が聞こえていた曲がり角まで戻りかけて、自身へ言い聞かせるように首を振る。

 探す必要ないよ。東さんはどこかの分かれ道で自分の帰路に入っただけだよ。

 顔を見られることさえ憚ったのだから、と涼介は美波の心情に理解とは及ばずとも配慮はして自宅への道を進んだ。

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