3-4
日本メモリースポーツ協会を後にした三人は、記憶術に使うルートの作り方を教えるという名目で近くの公園を訪れた。
公園には三人以外に人気がなく、涼介は公園の入り口で美波へ説明を始める。
「この公園は僕が実際に使っているルートの一つなんだ。東さんはまだルートの作り方がわからないと思うから僕の説明を聞いてね」
「お願いするぜ師匠」
無駄口を挟まず傾聴の態度を見せる美波。
説明が始まる直前、有紗が涼介の傍に歩み寄り服の袖を引っ張った。
有紗は蓋がコップになっている水筒をハンドバッグから取り出し、蓋へ温いほうじ茶を注いで涼介に差し出す。
「涼介くん。よければ喉を潤してください」
「ありがとう平野さん」
涼介は快く蓋を受け取り、ほうじ茶を一口喉に通してから水筒の蓋を返した。
それじゃ改めて、と何事もなかったように説明を始めようとする涼介に、美波が不機嫌な顰め面を向ける。
「ちょっと待て。なんださっきの仲良し夫婦みたいなやり取り」
美波の指摘に涼介は実感に乏しい表情になるが、有紗の方は真顔を歪めた。
「涼介くんにお茶を渡しただけです。何か問題がありますか?」
「なんかすげー見てて不愉快だった」
「感情的なことで涼介くんの説明を遮らないでください」
きっぱりと告げる有紗に、美波はもどかしそうに震えて反駁する。
「気になって集中できるか。師匠も師匠だ!」
苛立ちの矛先を涼介に変える。
「なんで当たり前にみたいにお茶を受け取ってんだ。普通、びっくりするだろ!」
美波の言葉に涼介は申し訳なさを感じて視線を落とす。
「ごめん。わざわざ平野さんが注いでくれたのに受け取らないのは悪い気がしたから」
「……そうか、そうだよな。師匠は悪くねぇよな」
涼介が謝ると美波はバツ悪そうに矛先を収めて納得した。
だがすぐに苛立ちの元手を辿るように有紗へ強気な視線を戻す。
「やっぱお前が悪い、師匠の優しさを利用しやがって。あたしより実力あるからって
調子乗るなよ。師匠から教えを受けて爆速で上手くなって二度と口きけないぐらいに吠え面かかせてやる」
威勢良い美波の宣戦布告に、有紗は顰めていた顔をさらに顰めた。
「まだ教えてもらっている立場で何を言うんですか。私は涼介くんのサポートをするいわば助手です。助手の役目を果たしているまでです、文句があるなら帰ってください」
気が立っている美波が言われたまま終わるわけがなく、火に油を注いだように怒りを昂らせて言い返す。
「お茶汲みなんて師匠にはいらねぇんだよ。茶汲みてぇならおうち帰って一人で渋茶沸かしとけ」
「残念ですけど涼介くんが好んで飲むのは味の濃いお茶です。それも夏は冷たい麦茶、秋はぬるめのほうじ茶、冬と春は温かい緑茶です。涼介くんの好みもわからないのに勝手なことを言わないでください」
「そっか。好みを教えてくれてあんがと。好みがわかればあたしが淹れてもいいよな? これからはあたしが涼介にお茶出すからお前は用済みだ」
「そうですか、ご自身でお茶汲みを希望しますか。単なるお茶くみなら涼介くんの指導はもう必要ありませんね。お茶くみは放っておいて帰りましょう涼介くん」
売り言葉に買い言葉で言い合って、挙句に有紗が涼介を帰宅に誘った。
涼介は反目し合う有紗と美波に困ったような微苦笑を向ける。
「そろそろ、ルートの作り方の説明を再開してもいいかな?」
低姿勢で涼介が断りを入れると、有紗と美波は気まずそうに黙り込み静々と頷いた。
女子二人の様子を見てから涼介は喋り始める。
「まずはルートについて。ルートというのは記憶術で使う場所に順番をつけたもので、例えばこの公園で言えば……」
言い掛けながら公園の入り口の大人が腰掛けるにちょうどいい高さのポールを指さす。
「このポールがルートの一個目、特に決められたルールはないんだけど初めのうちは時計回りで巡ることにしよう。時計回りに視線を動かすと次に滑り台があるよね、そこがルートの二個目」
「師匠。何個作るんだ、それ?」
先行きが不安になったように美波が尋ね、涼介は難しいを顔になる。
「僕の場合は十三個か二十個で作るけど、一つの場所にどれほどの数のイメージを置くかによって変わるからね。一概に何個作ればっていう指標はないんだよ」
「なんで十三個か二十個なんだ?」
「前にも言ったように記憶会では五十二枚のトランプを覚えるよね。僕は一か所に四枚のイメージでストーリーで作るから、四枚が十三個で五十二枚になるんだよ」
「師匠がそうなら、あたしもそれで……」
「涼介くんのやり方は大変ですよ」
師匠に倣おうとした美波に有紗が釘を刺した。
訳を問う目を返す美波に有紗は答える。
「涼介くんのやり方は場所の数を節約できますが、トランプ一枚に四種類もイメージを用意しないといけないんです。その四種類のイメージを定着させるだけでもかなりの苦労を要しますし、ストーリーの作り方にもコツが必要ですから」
有紗の話を聞いた美波は不安そうな目で涼介を見る。
「どうすればいい師匠。あたし四種類も覚えられる自信ないぞ?」
「初めから四種類覚えるのは平野さんの言う通り大変だと思う。だから東さんは一種類か二種類で挑戦する方がいいんじゃないかな?」
涼介自身も断言できず、誰に問うでもなく語尾が疑問形になる。
二種類でいいと思います、と有紗が涼介の言葉を引き継いだ。
「私が二種類のPA方式ですから、東さんにはその方式で覚えることを勧めます」
「二種類だとどうなるんだ。師匠のやり方とどう違うんだ?」
助言されても有紗の意図は理解できない美波は首を傾げた。
見兼ねた涼介がすぐさま説明する。
「一枚にイメージが二種類になると、場所の数が二十六になるから作らないといけない場所の数は増えるかな」
「師匠。ちゃんと作り方教えてくれよ、全然わかんねぇ」
縋りつく目になる美波に涼介は淡く笑い返した。
「東さんがわかるまで説明するから安心して」
「うう、師匠優しい」
涼介の言葉を聞いて美波は感涙にむせぶような声を出して表情を緩める。
有紗が不快そうな目で美波を見ているが、涼介は有紗の視線には気づかずに説明を再開する。
「場所の数が二十六個になるとこの公園だけで作るのは難しいかな。頑張って二十六個作るのもいいけど、僕的には十三個の場所を二つ繋げるのがお勧めかな」
「そんな方法もあるのか?」
「無理に同じ空間で作ると記憶の定着が薄い箇所が出てきちゃうからね。それぐらいなら繋げた方が混同しにくいよ」
「それじゃあ、そのやり方で教えてくれ」
「わかったよ。さっきまで二か所目を教えてから次は三か所目だね」
こうして涼介のコーチングにより公園内に十三か所の場所を作った後、三人は公園から出る。
公園の入り口から少し歩いた位置で涼介は立ち止まり、美波に向かって申し訳なさそうな微苦笑をした。
「偉そうに説明したけど今回僕が教えられるのはここまでかな。残りの十三か所は平野さんに引き継いでもいいかな?」
「私に任せてもいいんですか涼介くん?」
突然に説明役を引き渡された有紗が、自分でいいのかと確かめる意味合いで尋ねる。
涼介は珍しく確信している顔で有紗を見る。
「お願いするよ。二十六か所のルート作りに関しては僕よりも平野さんの慣れてるはずだから」
涼介がお墨付きを与えると有紗は照れたように微笑んでから、重任を背負ったように深く頷いた。
「わかりました。しっかりと涼介くんの期待に応えたいと思います」
良好に説明役を引き継いだが、涼介のこの判断に教えられる側の美波が露骨に顔を顰めて抗議の口を開く。
「十三か所目まで師匠だったのに途中から変わるのは嫌だ。最後まで師匠がいい」
美波の主張に涼介は苦笑いを返す。
「そう言わないでほしいな東さん。二十六か所のルートなら平野さんの方が本当に得意なんだよ」
「……師匠がそう言うなら、仕方ないよな」
説明役の変更に反発は感じているものの、尊敬している師匠の涼介に頼まれると断れなかった。
有紗は美波が抗議の口を閉ざすのを見てから説明を再開する。
「それでは東さん、ここからは私が解説します。不明な点があれば、その都度聞いてくださいね」
「……おう」
「では十四か所目。公園を出てすぐの道路標識です」
そう言うと公園の斜め向かいの道路沿いにある通学路を示す道路標識を指さす。
「他と被らず目立つものを採用するといいです」
「他と被らず目立つもの、わかった」
有紗の説明を美波が反芻する。
「次は十五か所目です。十五か所目は政治家ポスターの掲示板です」
言いながら有紗は歩き、公園から少し離れた位置に立てられた政治家ポスターの前まで近寄った。
美波は真剣な顔つきで有紗の説明に耳を傾け、相容れない二人にしては珍しく話が脱線することないまま二十六か所目までたどり着く。
二十六か所目は住宅街を抜けた道路沿いのコンビニだった。
「これで最後です東さん。二十六か所お疲れさまでした」
投げ出さずに説明を聞き終えた美波を有紗が労った。
だが当の美波はコンビニのガラス越しに店内を見つめて、虫唾でも走ったように顔を思い切り歪める。
「どうしたの東さん?」
美波の異変に気付いた涼介が声を掛けると、美波はコンビニの店内から視線を逸らさずに答える。
「厄介な連中がいやがる」
「え?」
涼介が聞き返した時、美波の腕が涼介の肩に置かれた。
「危ないから師匠は下がっててくれ。これはあたしの問題だ」
美波がそう告げた矢先、コンビニの自動ドアが開いた。
コンビニから出てきたのはいかにもガラの悪い三人組の男連中で、駐輪場に置かれた改造バイクに歩み寄りかけて美波に気が付いた様子で振り向いた。
三人組のうち耳にピアスをつけた茶髪が美波に向かって卑しく笑いながら口を開いた。
「よお一匹獅子ちゃん。こんなとこで会うなんて奇遇だねぇ」
「……うるせぇ、失せろ」
美波は自分よりも背の高い茶髪ピアス相手に、嫌悪感丸出しのドスの利いた声を出して睨み返した。
普通の人間なら美波の眼光を前にして気圧されるのだが、茶髪ピアスは野卑な笑みのままふざけたように身を引く。
「うぉ、こわいこわい。ちょっと話しかけただけなのになぁ」
「話しかけんな。失せろ」
不愉快極まりないと言わんばかりの声音を美波は繰り返す。
しかし茶髪ピアスはむしろ気を良くしたように笑みを残して、美波の後ろに居る涼介おと有紗に目を向ける。
「後ろにいるの誰。一匹獅子ちゃんのダチ、って感じでもないねぇ。弱そうだもん」
その瞬間、涼介は美波のこめかみから千切れるような音を聞いた。
涼介が思わず片足を引く間に美波の腕が茶髪ピアスへ伸び、胸倉を掴んでいた。
胸倉を掴んだ茶髪ピアスを力づくで引き寄せて瞋恚の籠った獰猛な目で正面から睨む。
「てめぇ、失せろっていうのが聞こえねぇのか?」
「手出す気はねぇよ。そんな怒んなよ」
茶髪ピアスはへらへらとしながら、わざとらしく降参の意を示して両手を掲げる。
一触即発の雰囲気だが茶髪ピアス含め男連中三人は事を起こす気はないらしく、苛立つ美波を見て薄笑いを浮かべているだけだ。
連中の反応に美波の方も白けてきたのか、投げ出すように茶髪ピアスの胸倉から手を離した。
茶髪ピアスが余裕な笑みを残して告げる。
「せいぜいオトモダチと仲良くしてな」
「……」
黙って睨み返す美波。
茶髪ピアスと連れの二人は途端に興味をなくしたように美波から離れると、バイクにまたがってコンビニから去っていった。
三人組の姿が完全に見えなくなってから美波が涼介を振り向く。
振り向いた美波の顔には落胆の滲む申し訳なさが浮かんでいた。
「師匠、悪い。話中断しちまった」
涼介は首を横に振って気にしていない素振りをした。
美波が垣間見せた嚇怒の表情に内心震えあがりそうで、涼介は口が接着されたように硬くなっていた。
有紗にいたっては襲われる寸前の小動物のように肩を丸めて身を縮こませている。
涼介と有紗の怯える様子を見て美波はさらに深刻さを増して眉根を曇らせた。
「師匠と平野には関係ないからな。あいつらはあたしに絡んできてるだけだ。師匠と平野が何も考えることないからな」
「あー、うん、ありがとう東さん」
美波の言葉に涼介は彼女が自分とは違う環境で生きてきたことを改めて実感した。
僕なんて絡まれると思っただけで足が動かなくなったのに、男三人を相手にしても怯むどころか睨み返してた。
弱さを自覚して落ち込む涼介の内心など知らず、美波が弟子らしい謙虚な顔つきに戻って口を動かす。
「邪魔な奴いないから再開して欲しい。二十六ケ所目なんだろ、ここ?」
「えーと、そうだったよね平野さん?」
先ほどの不穏当な雰囲気が尾を引いて師匠として気持ちを切り替えられない涼介は、間を繋ぐように平野に話を振った。
涼介よりもひどく怯えていた有紗はびくりと肩を強張らせると、美波と涼介の顔を視認してから大きく息を吐いてから努めて表情から怯えを消す。
「で、では二十六ケ所の復習をしましょう」
怯えを消したつもりでいたが明らかに声が震えていた。
美波が心配げな視線で有紗を見る。
「大丈夫か。あたしがいる限り師匠にもお前にも手は出させないから安心してくれ」
「あ、はい」
美波の言葉に曖昧に頷き、有紗は深呼吸してから講話を続ける。
「それでは東さん。一か所目から二十六ケ所目まで振り返ってみてください。私と涼介くんで答え合わせしますから」
「間違える気しかしないけど、一応やってみる」
三人組の輩と対峙した時とは打って変わって恐る恐るの声音で、美波は二十六か所を頭の中で巡り始めた。
美波が謙虚な姿勢に戻ったことで剣呑な雰囲気は消え去り、いつもの師匠と助手によるコーチングが再開される。
結局、美波はこの日記憶術に使う実用的なルートを伝授され、涼介と有紗の勧めで日課としてトレーニングを始めることになった。
トレーニングの報告のため連絡を取れた方が良い、という美波の提案により、それぞれ連絡先を交換してこの日は解散になった。
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