2-4

「次はハートの1だね。『ハイ』で語呂合わせしよう」

「ハイテンション?」

「Actionならそれでも使えるけど最初のイメージはObject、つまり物がおすすめかな」

「物で『ハイ』か。うーむ」


 語呂合わせが思いつかず美波が眉根を寄せたまま呻り出した。

 考え込む美波の様子を眺めていた有紗が、小さく溜息を吐いてから助け舟を出す。


「ハイヒール」

「は、なんか言ったか?」


 ようやく有紗の存在を認識したように反応を見せた美波。

 有紗は美波の反応をじれったさを感じながらも繰り返してあげる。


「ハイヒールですよ、ハイヒール。知ってますよね東さん?」

「なんだっけ、あれか。あの踵が高くなってる爪先立ちみたいな靴だろ」

「知ってるなら問題ないですね。ハートの1はハイヒールで決定、次いきますよ」

「勝手に進めんなよ。まだ師匠はそれでいいって言ってないぞ」


 進行を急ぐ有紗に待ったをかけて涼介に尋ねた。

 有紗と美波に目顔で良否を求められた涼介は、女子二人を均等に見返しながら真面目な顔で返答する。


「助かるよ平野さん。語呂合わせでイメージを作るとはいっても思いつかない時があるからね。ここは平野さんの意見を借りてハート1はハイヒールにしよう、いいかな東さん」

「師匠がいいって言うなら」


 渋々と美波は首肯した。

 まだ半分以上あるよ、と涼介は休み暇もなく話を続ける。

 それでも五十二枚分の枠を全て埋めるには三十分では足りず、誰かが言い出したでもなく美波のイメージ作りは長引いた。

 日が暮れてファミレスの中で照明が灯される時間になってから、ようやくノートに書いた升目が全て埋まった。

 昨日に約束した三十分を超過して美波が罪悪感ある目で涼介を見る。


「すまねぇ師匠。三十分だけっていう約束だったのに長い時間付き合わせちまった」

「いいよ気にしないで。それより東さんの方は時間大丈夫なの?」


 むしろ美波の方の都合を気に掛けた。

 美波は乾いた笑みを返す。


「何も予定なんてねぇんだ。どうせテキトーに時間潰すだけで終わりだ。でも師匠はちげぇだろ、記録大会だっけか、その練習とかあるんだろ?」

「それは東さんが気にすることじゃないから安心して。大会前だけ必死に練習したって急激にタイムが良くなるものではないし、普段通りの時間が取れれば十分だから」


 涼介の返答に美波はほっとした顔を見せたが、自分を律するようにすぐさま表情を引き締める。


「でもやっぱり悪いぜ。今日はもう終わりにしていいか師匠?」

「別に僕の許可を取る必要はないよ。東さんが好きな時に解散していいよ」


 涼介は微笑しながらそう返しつつも、胸の内では申し訳なさを感じていた。

 僕の方こそ、メモリースポーツのことになると熱が入って東さんの自由を奪ってしまっている。

 東さん側から僕のレッスンを求めているのだとしても、僕には東さんを拘束する権利はないはずだ。だから東さんはもっと自由に振舞ってくれていいんだよ。


「それじゃ解散で、いいのか?」


 美波が窺うように尋ね、涼介は頷いた。

 涼介の合意で解散の雰囲気が漂い始めた矢先、有紗が曰くありげに硬い顔つきで小さく挙手した。

 涼介と美波が目を向けると、有紗は真剣な視線を返して口を開く。


「東さん、休日空いてますか?」

「んだよ急に。空いてるけどそれがなんだ?」


 不意な問いかけに美波は怪訝そうに眉を顰めた。

 有紗は真面目な口調で答える。


「今の調子ですと記憶術を習得するのにすこぶる時間を要してしまいます。ですから休日も指導を受けてもらいます」

「なんで、お前が決めんだよ」


 当たり強く言い返して美波は涼介をちらと窺う。

 有紗も美波の意思よりも涼介の判断次第だと弁えて、涼介へ問う眼差しを送った。

 二人からの視線を浴びた涼介は困惑気味に自分自身を指さす。


「えっと、そこまで考えてなかったんだけど。これって僕の判断に委ねられてる?」

「はい」

「おう」


 問い返した涼介に有紗と美波が揃って肯定する。


 ど、どうすればいいのだろうか?


 涼介は記憶した千桁の数字の羅列を解答するよりも迷った。

 おおよそ重大な決定というものを経験したことがない涼介には、自身の決定が女子二人の休日の予定を確定させることが、とてつもなく重荷に感じた。


 休日を使った方が習得も早まる、っていう平野さんの言い分は頷けるものだけど、東さんには東さんのプライベートの時間があるわけで……


 困り果てた涼介は有紗と美波の間で視線を二回ほど往復させて、斜め上に目を遣り考える間を置いてから苦渋の判断を伝える。


「僕は構わないんだけど東さんの都合もあるから。東さんが休日返上でも問題ないって言うなら平野さんの提案通り休日を使って記憶術の修練に取り組んだ方がより早く習得できると思うよ」

 精一杯考えた結果、事実の追認に近い返答になってしまった。

 それにも関わらず涼介の言葉を聞いた美波は決意を固めた顔になる。


「休日も使った方が良いって師匠が言うならその案に乗る。休日返上で師匠の指導を受けたいぜ」

「いいの本当に。どこかに出掛けたり、用事はない?」


 美波の決意を聞いてもなお涼介は気を遣う。

 やる気に満ち溢れている美波を前にしても決定を下しかねて、当の提案者である有紗へ目を移す。


「休日も東さんに記憶術を教えることで決まり、でいいのかな平野さん?」


 涼介の問いに有紗は呆れた顔を返す。


「東さんの手綱を握っているのは涼介くんなんですよ。涼介くんが意思決定してくれないと先に進まないんですから、しっかりしてください」

「ごめん平野さん。今後はもう少し頑張るよ」


 有紗の指摘に落ち込む涼介。

 それでよ、と焦れた美波が話題を戻す。


「休日返上するのはいいけど、何すればいいんだ。またファミレスで集まるのか?」

「そんなことはしませんよ。休日を使う意味がありませんから」

「じゃあ、何するんだよ」

「買い物に行きます」


 躊躇なく有紗は答えた。

 着想を理解できず眉根を寄せる美波へ有紗は付け加える。


「屋内で涼介くんから指導を受けるだけでは涼介くんのようにはなれません。いろんな場所へ出掛けてルートを作る必要があります。それに東さんは自前のトランプをまだ持っていませんよね?」

「トランプなんて何でもいいんだろ?」

「そんなことはありません。さらにトランプの他にも涼介くんが使っている道具はたくさんあります。ですから私と涼介くんで東さんにメモリースポーツ競技者として知るべき事柄や人物を教えます」

「道具を揃えたり、人に会うから外出するのか?」

「そういうことです。早速、今週の土曜日に行きますから出掛ける準備をしておいてくださいね」


 有紗は一人で決定を下し、美波に外出の支度を勧める。

 急な展開に美波は不安げに涼介を振り向く。


「師匠。どんどん話進んじゃってるけどいいのか?」

「都合が合わないなら無理にとは言わないよ。東さん次第かな」

「師匠は賛成なのか?」

「そうだね。これから東さんがメモリースポーツを上手くなりたいなら道具も揃えた方がいいと思うよ。最初は何を用意すればいいのかわからないから、僕と平野さんで協力するつもりだよ」

「師匠に付いていくって決めたからな。師匠が賛成なら賛成だ」


 美波が決断すると有紗が締めくくるように手を叩く。


「東さんの意思は聞きました。それでは待ち合わせの時間などは私が考えておきますから、また明日この場所で集まりましょう」


 有紗の一言でこの日は解散となり、一緒に居るところを見られたくないと理由でファミレスに残った美波を置いて有紗と涼介は一足先に店を後にした。

 居残った美波も夕食代わりに日替わり定食を腹に収めてから、行く当てもなく夕暮れの街へ繰り出した。

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