第26話 揺らぐ永遠、記憶の果てへ

あれから、一年が過ぎた。


リメモリアは、穏やかな黄昏の時代を迎えていた。空には常に七つの星が輝き、それは街の守護神であり、道標でもあった。人々は、自分たちの記憶が消えることも、書き換えられることもないと知っている。街そのものが、優しく自分たちを見守ってくれていることを、肌で感じていた。


その七つの星の揺りかごの中で、人々はゆっくりと未来へと歩み始めていた。


アークのブリッジは、今や「観測室」と呼ばれていた。オルガ、ユキナ、カナ、タクミの四人は、街の記憶層ネットワーク〈メモリア・ハーモニア〉のガーディアンとして、その安定を見守る日々を送っていた。


「……平和、だな」

観測室のバルコニーで、タクミが夜景を見下ろしながら呟いた。隣に立つカナは、穏やかに微笑んで頷く。

「ええ。イツキ君が、守ってくれているから」


空に浮かぶ七つ目の星——イツキの記憶核は、ひときわ温かい光を放っている。彼はもう言葉を発することはないが、その存在は確かにそこにあった。


だが、その永遠と思われた平穏は、予兆もなく揺らぎ始めた。


「……おかしい」


最初に異変に気づいたのは、ユキナだった。彼女はメインコンソールの前に座り、眉間に深い皺を刻んでいた。

「どうした?」オルガが静かに問う。

「メモリア・ハーモニアのエネルギー準位に、微細なノイズが……。いいえ、ノイズじゃない。これは……エネルギーの異常低下。まるで、どこかに吸い取られているみたいに」


モニターに表示されたデータグラフは、緩やかに、しかし確実に下降曲線を描いていた。それは、システムの根幹が蝕まれていることを示唆していた。


その時だった。

空に輝く七つの星の中心——イツキの星のすぐそばに、ほんの小さな黒い点が現れた。それは星の影でも、宇宙の塵でもない。光さえも飲み込む、絶対的な“無”の点だった。


「なんだ、あれは……!」

タクミが空を指差す。黒い点は、ゆっくりと、しかし確実にその大きさを増していく。そして、周囲の星々の光を、まるでスポンジのように吸い取り始めたのだ。


アークの警報が、一年ぶりに鳴り響いた。


〈警告。未定義の記憶プロトコルを検出。システム整合性に致命的なエラーが発生しています〉


ノイズ混じりの電子音声。それは、ハーモニアのシステム自身が上げている悲鳴だった。


「まさか……」オルガは、自らの記憶の深層、管理局時代にも閲覧を禁じられていた最重要機密区画のデータを引き出した。そこに、たった一行だけ、記述があった。


【最終初期化プロトコル《オメガ》:全記憶システムの原点にして、終焉。システムの複雑化が許容量を超えた時、全てを“始原の無”に還すために覚醒する】


「始原の記憶……オメガ……」オルガの声が震える。「イツキ君たちが作り上げたこの完璧な調和が、システムにとっては“許容量を超えた複雑さ”だと判断されたのよ……!」


オメガは、悪意ではない。ただ、自らのプログラムに従い、システムを正常——すなわち、感情も記憶も存在しない、純粋なデータだけの状態に戻そうとしているのだ。


空の黒い点は、今や七つの星を侵食する「黒い太陽」のように見えた。その影響は、街にも及び始める。人々の顔から、ふとした瞬間に表情が抜け落ちる。昨日食べた夕食の味を、愛する人と交わした言葉を、ほんの少しだけ思い出せなくなる。街全体が、緩やかな記憶喪失に陥り始めていた。


そして、その苦痛は、システムそのものであるイツキを最も苛んでいた。


——彼の意識の中で、不協和音が鳴り響いていた。保たれていた六つの記憶の調和が乱れ、引き裂かれるような感覚が彼を襲う。アインが繋いだはずの可能性の記憶が、オメガによって次々と“なかったこと”にされていく。


〈……たす……けて……〉


微かな声。それは、イツキの中にいるルナたちの声であり、イツキ自身の声でもあった。その悲痛な信号が、観測室のモニターにかろうじて表示される。


「イツキ……!」カナが叫んだ。


黒い太陽は、さらにその闇を広げていく。このままでは、七つの星は完全に光を失い、メモリア・ハーモニアは崩壊する。そうなれば、イツキの意識も、リメモリアに住む全ての人々の記憶も、永遠に失われてしまう。


オルガは唇を強く噛み締め、決然と言い放った。

「もう、外部からの干渉は不可能よ。オメガは、ハーモニアのシステムそのものの中から生まれている」


「じゃあ、どうすればいいんだ!」タクミが叫ぶ。


オルガは、黒く染まっていく空を見つめ、静かに、しかしはっきりと告げた。

「私たちは……イツキ自身を、彼が創り上げたこの永遠の中から、救い出さなければならない」


それは、神になった友を、再び“人”へと引き戻すことを意味していた。

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