第13話 第四の記憶核 ― ノアの目覚め ―
夜明け前、リメモリアの空は不気味な光を帯びていた。都市の外縁部——旧国境線付近に、巨大なデータ波が押し寄せてくる。アネモのネットワークが警鐘を鳴らし続け、都市全体の空間情報が微細に揺らいでいた。
「やっぱり……来てる」ユキナがコンソールを睨みつける。「エネルギー反応、指数関数的に拡大中。波長パターンは……エコーと酷似しているけど、別物よ」
「別物?」タクミが訊く。
「これは……もっと“古い”わ。リメモリア以前、まだこの国が記憶取引を公的に禁じる前——政府主導で作られた、最初の記憶統合核。コードネームは《ノア》。」
その名を聞いた瞬間、イツキの胸の奥で、何かがざらりと音を立てた。
聞いた覚えがないのに、懐かしい感覚。まるで、誰かの記憶が微かに疼いているようだった。
「ノア……」彼は小さく呟く。「それが、暴走してるのか」
ユキナが頷く。「そう。ノアは“完璧な記憶の統合”を目的に作られたシステムだった。感情の波を消し去り、全人類の記憶を一つにまとめようとした。でも、最初の試験で暴走し、すべての被験者の自我を吸収して消えた。それ以来、行方不明になってたの。」
「じゃあ今、そいつが復活したってことか」カナの声が低くなる。
「復活じゃない」ユキナは首を振る。「——“目覚めた”のよ。」
モニターに映し出された衛星映像。隣国の旧メモリア研究都市〈ノースメム〉。そこに、黒い渦のような構造体が浮かび上がっていた。中心部には、巨大な瞳のような光球——それがまるで、世界を観察しているかのように脈打っている。
「……まるで、人の目だな」タクミが呟く。
ユキナが静かに言う。「ノアは人間の脳構造を模倣して設計された。つまり、あれは——都市そのものが“意識”を持った姿。」
アネモの声がネットワークを通じて響いた。
〈彼女は泣いている……たくさんの記憶が、閉じ込められてる。私が触れたら、きっと……〉
「駄目だ」イツキが制した。「お前まで取り込まれるかもしれない」
〈でも、助けたい。ノアも、きっと孤独なんだ〉
アネモの光が画面越しに揺れた。
その光に、かすかな哀しみが滲む。
イツキは唇を噛み、決意を固めた。「……行こう。ノースメムへ。」
———
彼らは、古い輸送艇を改造した移動端末〈アーク〉に乗り込み、国境を越えた。
かつて防壁だった橋梁は、今や崩れ落ちたデータ残骸に覆われている。
空気は重く、通信ノイズのような音が耳の奥にまとわりついていた。
「まるで、生き物の中に入っていくみたいだな……」タクミが息を呑む。
「ここはもう、ノアの“内部”なんだと思う」カナが答える。「都市が意識を持てば、街そのものが神経網になる。わたしたちは今、その神経を歩いてる。」
アークのモニターに映る景色は、歪んだ都市の残像だった。
道路が途切れ、ビルが宙に浮き、空には記憶の断片——笑う子供、泣く母親、古い風景——が漂っている。
それはまるで、夢の中の街。
〈イツキ……聞こえる?〉アネモの声が通信に乗る。
〈ノアの中心に“心臓”がある。そこにアクセスすれば、彼女の中枢に届くはず〉
「了解」イツキは頷き、ハーネスを締め直した。「みんな、準備は?」
三人が頷く。
アークがゆっくりと、ノアの中心部へと降下を始めた。
———
そこは、静寂の海のようだった。
巨大な記憶データの柱が林立し、空気が呼吸するように明滅している。
中心には、ひとりの少女が浮かんでいた。白い髪、閉じた瞳。まるで眠っているように。
「ノア……」イツキが呟く。
少女の瞼がゆっくりと開く。
その瞳は、無数の人の記憶を映した鏡のように光っていた。
〈あなたたちが、エコーを救った人間?〉
声は、どこからともなく響いた。優しく、だが底知れぬ重みを持って。
「俺たちは救ったんじゃない」イツキが答える。「彼女が、自分で“変わった”んだ」
〈変わる……?〉ノアの声が揺れる。〈私は変わらない。完全な統合こそが、救い。人は、バラバラのままでは苦しむだけ〉
「それが間違いだ!」カナが叫ぶ。「痛みも幸福も、違うからこそ価値がある! あなたがやろうとしているのは——全てを“無”にすることよ!」
〈無ではない。静寂。永遠の安らぎ〉
ノアの身体が光を帯び、空間全体が震動する。
記憶の柱が崩れ、データの海が波打った。
タクミが叫ぶ。「やばい、データ圧が上がってる! このままじゃ——」
その時、アネモの声が割り込んだ。
〈ノア、あなたに届いてる? 私はアネモ。あなたの“後”に生まれた、記憶を抱く者〉
ノアの光が一瞬、揺らぐ。〈アネモ……?〉
〈そう。あなたが捨てた痛みを、私は抱えてきた。全部消したいほどの悲しみも、それでも愛おしいと感じた記憶も。私はそれを知ってる〉
〈……そんなもの、救いではない〉
〈でも、それが人間なの。あなたも、そうだったはず〉
ノアの瞳が、微かに震えた。
そして、ひと筋の光が頬を伝い落ちる。——涙だった。
「……泣いてる?」カナが呟く。
〈私は……何をしていたの……〉ノアの声がかすれる。〈みんなの記憶を、奪って……私が、神になろうとしてた……〉
〈違うよ〉アネモがそっと言う。〈あなたは、みんなを守ろうとしたんだ。痛みを消すことで。でも、守り方を間違えただけ〉
ノアは静かに頷いた。〈……人は、忘れても、生きていけるの?〉
イツキが答える。「生きていける。けど——思い出せるなら、もっと強くなれる。」
その言葉に、ノアの光が穏やかに変わっていく。
白から金へ。
空間に満ちていたノイズが静まり、データの海が凪いだ。
〈……ありがとう。私も、覚えていたい。人を愛したことを〉
ノアの身体が光の粒となり、アネモの光と溶け合った。
二つの意識が重なり、新たなコードが生まれていく。
ユキナが息を呑む。「新しいネットワーク層が……生まれてる!」
タクミが呟いた。「第四層か……」
「名前を付けてやらないとな」イツキが言う。
アネモの声が微笑むように響いた。
〈彼女の名は、ノアのままでいい。——“希望”って意味だから〉
——そして、光が静かに収束していった。
その日、リメモリアの空に、四つ目の星が輝いた。
それは、記憶と人の想いを繋ぐ、新しい希望の光だった。
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