第19話 スリーエス
◇
「それで、瀬川を好きだっていう子が、心理学部にいるってこと?」
貴人様とさくら様がいなくなり、タカトと水町に完全に戻ってから、三人は鍋を再開しつつ情報の共有を始めた。水町は心理学部生なのだけれども、最近同じ学科で仲良くしている子たちから、新歓コンパで瀬川に一目惚れしたという女子学生の話をされたらしい。
飲み会の瀬川と言えば、対になるワードは「お持ち帰り」だ。多分に洩れず、その子もお持ち帰りされたという。これが単なる下心なら、ただのろくでなしの話として終わる。ただ、瀬川の場合は妙なボランティア精神が影響していて、殊更にタチが悪い。
至極純粋な心で、瀬川としては相手を幸せにしてあげているだけだと思っている。そして、そこに他意が無いことは間違い無い。ただし、それは相手に伝わりきれていないわけで、当人の勝手な思い込みだ。
相手の子は、自分が唯一愛されている存在だと思って独占しようとする。瀬川にはそれが理解出来ない。次から次へと性別関係なく関係を持っていく。
そんな調子なので、いつも瀬川の周りには女性同士、もしくは男性をも巻き込んだ諍いが絶えない。綾人がいくら注意してもなかなか治らない、悪い癖だった。
「きっと、すごーく優しかったんだろうね。毎日のように瀬川くんの話ばっかりしてるんだって。私もつい最近その話を本人から聴いたんだけど、ちょっと聴いてて恥ずかしくなるくらい、具体的な話をしてくるんだよね……」
関係ない自分ですら恥ずかしくなってしまうほど何度もその話を聞かされていたため、なんとなく瀬川に会うのが気まずくなった水町は、金曜日のボランティアの参加を見送ったのだという。
綾人はずっと水町がボランティアに参加しない理由に見当がついていなかったので、そんな理由だったのかと驚いてしまった。
——避けたくなるほど恥ずかしい話って、何を……。
そう考えたところで、恋愛慣れしてない綾人には、想像もつかない世界だった。
「で、瀬川はその子のことが好きなわけでもないし、付き合うなんて考えてもないんだろうな。それでストーカーみたいになって、思いが強くなり過ぎて、ついには生き霊になりましたってこと?」
「うーん、どうなんだろう。アリといえばアリ、ナシといえばナシって感じじゃない? 確かにそんなことになったら、好きになってしまうかも知れないし、それに応えてもらえないと恨んだりもするだろうけど、生き霊ってものすごい怨念なんでしょ? そうなると日常生活にも影響出そうじゃない? そんな風には見えないんだよね。割と毎日楽しそうに過ごしてるよ。彼女自身よりは、彼女の友達の方がずっと落ち込んでたりするけど。それはまた別件だろうし」
「まあ、そうかもな。ん? で、水町が俺に確認してほしい人ってその子のこと?」
タカトが「締めは雑炊ではなくうどんにする」と言ってキッチンへと席を立った。水町はタカトの後ろ姿をじっと見つめながら、綾人に答えている。
「さっきね、さくら様と話したでしょう? 縁結びの神様だって言ってなかった? 私ね、さくら様が体を使うようになってから、誰かと誰かの縁が繋がっていたら、なんとなく分かるようになってきたんだよね。それで、私がなんとなく気になってるのが、その瀬川くんを好きになった子の幼馴染なんだ。その子が、なんか一方的に瀬川くんに好意を寄せてる感じがするんだよね。それも、結構禍々しいの、その気持ちが」
タカトがうどんを取って戻ってくると、水町はふいっと視線を逸らした。綾人は、水町が時々とる行動にやや疑問があった。不自然な動きだなと思ったのだが、さくら様の影響かもしれないからとそのまま気が付かないふりをすることにしていた。
「はい、うどん出来たよ。水町さん、器ちょうだい」
はい、と器を渡しながら水町はニコッと笑った。受け取るタカトもつられてニコッと笑っている。うどんを入れるため、視線を水町から鍋の方に移すと、水町は少し悲しそうな目でタカトの手を見ていた。
諦めきれないような、同情するような、少し悲しげな目で、その手の動きを眺めている。この時の綾人は、その水町の視線の意味を、まだ知る由もなかった。
「で、ここで飯食ってからはどうするんだっけ? その確認したい子って、どこに行けば会えるわけ? 遅い時間じゃない会えないって言ってただろ? 居酒屋とか?」
ずるずるとうどんを啜りながら、綾人は水町を見た。水町は、瀬川のベッドサイドにある時計をチラッと見ると、勢いよくうどんを啜り、ガチャンと箸を置いた。
「ごめん、そろそろ行かないと時間になりそう! 駅近のライブハウスでバイトしてるんだ、その子。今日はステージにも出るはず。演者だとお客さんにジロジロ見られてもおかしくないでしょ? 確認しやすいかなと思って」
そう言って、「ほら早く行くよ!」と二人の腕を引っ張った。あまりに急な展開に、綾人もタカトも、うっかりうどんで窒息しそうになっていた。
「おい、めちゃくちゃ急だな……ったく、先に予定言っとけよー!」
ゲホゲホと咽せながら二人は急いで立ち上がった。そして、荷物を手にしてくるりと振り返ると、瀬川の顔を見るためにベッドに近づいた。
綾人はスッと瀬川の頬に手を伸ばした。顔色に似合わないほど、体温は高い。青白いのに温かいその頬に、人差し指を突き立て、むにゅっと感触を確かめた。柔らかい、ちゃんと生きてる。
「待ってろよ。まだ何も掴めてないけど、なるべく早く解決するからな。それまで死ぬんじゃねーぞ! 鬱陶しい絡みも、無いとそれなりに寂しいんだからな。認めたくは無いけど、お前とのやりとりがそろそろ恋しいぞ!」
何も答えない青白い横顔に一声かけると、三人はドアを閉め、足早に駅へと向かった。
◇
駅の高架下に位置するそのライブハウスは、サウンドハウスSという名前だった。音響系の制作会社の社長が経営しているその店は、ミュージシャンとしての生き方を堪能出来るようにと、演者側への配慮が行き届いた場所として、その界隈では有名らしい。
もちろん、客側にとっても魅力的な店だからこそ、繁盛している。いい設備といい演奏による気持ちいい音、そして美味しいお酒と食事が堪能出来るという魅力的な店なのだと、夜遊び好きな学生の間では有名だ。
ライブ内容に関わらず、平日でも場合によっては入店不可になる時間帯が発生するらしい。今日は金曜日だ。金曜日はまた別の理由で入場制限がかかることがあるらしい。
その理由が、スタッフがメンバーの箱バンがワンマンライブをするからだという。そのバンドは、名を「スリーエス」と言う。
ドラムのシュウ、ベースのショウ、ギターのシュンという三人が結成したバンドだったため、名前が3Sというらしい。そこに、最近ボーカルのケイトという人物が加わった。
そのケイトが桁違いの美形で、独特の声と歌唱力を持ち合わせていると評判で、急激に客が増えたらしい。メンバー四人ともスタッフとして勤務しているため、気軽に話せることも人気の理由の一つとなっていた。
スタッフのバンドであるにも関わらず、金曜となれば毎週このバンドがライブをやるらしいと噂になり、路上にまで学生が押し寄せるようになっているそうだ。
綾人もタカトも、よほどの理由がない限りライブハウスに足が向かうことはない。たまに友人がライブやるから来てよ、と頼まれた時に渋々向かうくらいだ。
二人は基本的に、大騒ぎすることに向いていない。普段は夜出歩くことも少なく、綾人は親からも「せっかく大学生なのに全然遊ばないのね」と半ば同情に近い目で見られがちだ。タカトには遊ぶ時間も心配してくれる親もなく、それどころではないのだから仕方がない。
そう言うわけで、二人は、あまり学生たちが遊ぶ場や流行りに詳しくない。そのため、こんなに駅前に人だかりが出来るほどの人気バンドがいるなんて、これまで全く知らなかった。そして、どうやらそれは水町も同じらしかった。
「すっごいね、こんなに人気があるんだ。スタッフとして働いてる人ばっかりらしいんだけど、普段は普通に接客とかしてるんだもんね。不思議ー」
そう言って、キョロキョロと辺りを見回しては、自分たちとは毛色の違う集団を眺めていた。綾人とタカトは、あまりじっと見るのは失礼だろうと思っていたのだが、その集団の中に一際目立った赤い髪の人物がいて、目を奪われた。
その男は入り口のドアの前で、薄明かりの中、壁に背を預けてタバコを吸っていた。目の前に数人の女性ファンらしき集団がいるにも関わらず、視線は違う一点を見つめてぼーっとしている。
どれほど好意を向けられても、それを返そうとは思わないようで、一切興味を示そうとはしない。性格的には難がありそうだが、とても美形と呼ばれる部類の人物で、長身痩躯ですらりと伸びた足が美しい。
瞳は艶があり切れ長で、まつ毛が濃く印象的だった。それでいて眉はシャープで、スッと通った鼻筋と、他のパーツに比べて熱量が高く、思わず噛みつきたくなる口元には、揺らがない強い意志があるように見えた。
ただそこに立っているだけで、一度目を向けてしまうとなかなか逸せなくなってしまうほどに、圧倒的な存在感を放っていた。
——なんだ……? アラートが鳴り響くような感じがする。
長身痩躯の美形といえば、タカトも同じだ。ただし、穏やかなタカトを見慣れているからか、その男の姿を見るだけで綾人は逃げ出したくなるような気持ちにさせられた。
「綾人、あの人だよ。あの女の子に囲まれてタバコ吸ってる……あの人がさっき言ってた人。佐々木恵斗って言うんだけど、知ってる?」
水町が、綾人に顎で方向を示しながら訊いてきた。綾人はその人物をじっくり眺めることをしなくても、あんなに目立つ人物ならあえば忘れないだろうと思い、思い切り被りを振った。
「いや、知らない。あんなに格好いい人、知り合いにいたら忘れないだろうし。どう考えても俺と接点のあるタイプじゃ無いだろう? そもそも、お前はなんであの人が俺の知り合いかどうかを確認したがるわけ?」
綾人は、ずっとそれが疑問だった。瀬川に生き霊となって取り憑いている人物と自分に、なんの関係があるのだろうか。綾人がその人を知っているかいないかを確認したい意図はなんだろうか。それがわかったとして、水町はどう解決に導くつもりなのだろうか。
「あの人、綾人の運命に関わる人物である可能性が高いんだって」
「え? 何それ、じゃああの人は俺の過去に関わりがあるってこと?」
綾人は驚いて水町の方へと向き直ると、彼女は無言で顎を引いた。
——あの男が、俺の過去に関わりがある?
綾人は、視線の先にいる、人を惹きつけてやまないあの男が、自分の過去とどう関係があるのだろうかと考えた。一度見ると忘れられないような、飛び抜けて目立つ容姿をしている。それでも、綾人の記憶の中にはあの男はいない。
「瀬川くんに生き霊が憑いた日、綾人、瀬川くんから好きだって言われなかった?」
瀬川が倒れるよりも少し前、追いかけ回されたのは綾人が瀬川から逃げたからだ。逃げたのはキスされたからで、キスされる前に確かに好きだと言われた。
それを思い出しながら顔から火が出そうになった。あの時は人がたくさんいたし、それをタカトにも見られていた。瀬川を煽ったのはタカトだったのだからそれは仕方がない。
「うん、確かに言われた。しかも人前でキスされた……だから逃げたんだけど……」
「うん。でさ、あの美人は友達の幼馴染なんだけど……えっ!? 瀬川くんにキスされた? なんか綾人ってあれだね……隙がありすぎ。彼氏が泣くわよ!」
「え!? いや、だってあの時はタカトが瀬川を変に煽るからあんなことになったわけだし、瀬川のキスなんて挨拶よりも軽いもんだろうし……」
そう言って、タカトの顔を見た。タカトは、タバコの美形男子の顔をじっと見つめていた。真剣な顔で、値踏みをするように睨みつけている。ただ見ているわけではなく、何か気づいたことがあるようでそれを探るような目で見ていた。
瀬川の話をしている二人の会話が、全く耳には入っていないようだけれど、もしあの時タカトに嫌な思いをさせていたのなら、謝らなくてはならないなと思い始めた。タカトの袖をほんの少しだけ摘んで、ぐいっと引っ張った。
「タカト? あの時のアレ、嫌だった? 不可抗力とはいえ、ごめんな?」
タカトは、ようやく綾人の声が耳に入ったようで、佐々木恵斗を睨みつけていた目をすっと隣へ移した。そこには、隣で上目遣いに自分を見つめながら、いつぞやの瀬川のキスを避けられなかったことを謝っている綾人の顔があった。
一生懸命に弁明している綾人の姿は、まるで小動物のように可愛らしく、思わずじっと見入ってしまった。
——どう見てもしっかり男なのに、なんでそんなに可愛いの?
そう思ってじっと見つめていると、綾人はタカトが怒っていると思い始めたらしく、焦って反応を求めるようになった。
「タカト? 聞こえてる?」
綾人はずいっと顔を近づけてタカトの顔を覗き込むと、見上げてる自分の顔が目の前の瞳の中に見えた。その奥の色を確かめようとしていると、隣から水町の悲鳴のような叫び声が聞こえてきて驚いてしまった。
「ちょっと! そんな至近距離でキスしないでよ。見てるこっちが恥ずかしいわ!」
真っ赤になって怒り狂う水町を見て、タカトはクスッと笑った。
「ごめん、ごめん。でも、今の流れは水町さんが仕向けたでしょ? 責めるのナシだよ」
水町は恥ずかしそうに首を竦めながら髪を耳にかけた。そして、ふんっと憤慨しながら、「た、確かに仕向けたけど、思ったよりも見ていて恥ずかしかったんだもーん!」と走ってドリンクカウンターへと向かって行った。
「あっ、おい! 危ないから一人で動くなよ!」
綾人とタカトは慌てて水町を追いかけた。
ホールにはたくさんの客がいた。メジャーデビューしたバンドでも無いのに、ワンマンでこんなに盛況になることってあるんだろうかと疑問に思うくらい、人が多かった。
バンドメンバーの顔は確認できたので、綾人とタカトと水町はその様子を遠巻きに見ることにした。壁にもたれかかるようにして三人並んで立ち、揃って瓶入りの炭酸水を飲む。
「いやあ、よくあんなに前の方に向かっていけるよね。すごい好きなんだろうな。そんなにのめり込めるほどいいバンドなのかなあ。ちょっと楽しみなんだけど」
水町はワクワクして声を弾ませている。隣でタカトもうんうんと高速で頷いている。二人には、あの男が危険人物だと言う感じはあまりしないのだろう。それでも、綾人の胸はまだざわざわと波立っていた。
——勘違いかもしれないから、しばらく黙ってよう。後でもいいだろうし。
そう思いながら気持ちを落ち着かせようと、炭酸水を口に含んだ瞬間に、フッとライトが消えた。わあー! っと歓声が上がる。ステージに人の気配がして、四人の人かげがうっすらと見えた。
「出てきたね」
三人は、暗闇の中で必死に目を中央に向けた。さっきの男はボーカルだと聞いていたからだ。確かにあれだけのオーラを持っていたら、前に出したがるだろう。
そして、これだけ熱狂的に人を惹きつける音楽とは、どんなものなんだろうという期待もあった。ただ、どれほど目が慣れてきても、一向に曲は始まらない。周囲も少しザワザワとし始めていた。
「ケイトー!」
「早く聞かせてよ!」
「もう待てないよ!」
「早くしろよー!」
「ケイト! ケイト! ケイト!」
期待は膨らみ、威圧感に変わっていく。綾人は、周囲の空気がどんどん重たく、息苦しく変化していくのを感じた。はっきりと言葉には出来ないけれど、良く無いことが起きそうな予感がしてくる。ただただ、この場にいてはいけない感じがして、それが心臓をギュッと握りつぶしそうだった。
——相手の顔のチェックは終わった。ここから早く出たほうがいい気がする。
どうしても拭えない不安と焦燥感が、綾人の中で膨らみ続けていた。
「なあ、水町、ちょっと空気がヤバイ感じしない? 顔の確認もできたし、一旦瀬川んちに戻ろう……」
綾人は、それを言い終わるか言い終わらないかのタイミングで、ドンっと衝撃を受けた。「うっ」と言葉が口から漏れると同時に、焼けるような痛みと熱が右脇腹を埋めていった。
「タ……カ、ト……」
横を人がすり抜けて行こうとするのがわかった。綾人は、咄嗟にその人物のシャツを握りしめた。握りしめた瞬間に激しい痛みが体を駆け抜けた。その痛みに耐えきれず、ずるりと床に倒れ込んだ。綾人が握りしめていた部分が下に引っ張られたことで、相手のシャツの袖が破れた。
痛みに震えながら必死に顔を持ち上げて見ると、霞んでいく視界の中で、あの危険な香りに満ちた美形男子の顔が、うっすら笑みを浮かべて見下ろしているのが見えた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます