元勇者、悪役令嬢になる
@hakumaisaikou
第一章勇者再誕
第1話生ける伝説に、なれなかったよ……。
魔王城魔王の間。
本来は魔王と魔王の側近のみが入ることを許されたその場所に只の人族の男が魔王と相対する形で立っていた。
人族の男は薄く輝く聖なる剣とその身に宿る膨大な魔力、今までの戦いで培ったであろう絶技でもって魔王を追い詰めていく。
しかし、当然魔王とて只では終わらない。
むしろ、魔法という一点では勇者を上回っており、その長い人生否、魔王生で培ったのであろう星の数ほどある魔法を効果的に組み合わせていき、勇者を翻弄する。
この場に観客が居たのであれば間違いなくこの戦いをこう表したであろう。
『これこそ戦士の到達点、只強さのみを、効率のみを求め、自らを一本の刃へと変えた男と、悠久の時間、あらゆる知識を蒐集し、それを経験に落とし込んできた、この世で最も真理に近い場所にいる大賢者。その両者が全く違うベクトルの強さを持つ二人がどちらの強さが上かを決めるために戦っている』と
しかし、そんな頂上決戦にも終わりの時が来る。
人族の男、勇者が魔王に全力の一太刀を与え、それを魔法で防御することも出来ずもろに受けてしまった魔王が膝をついたのだ。
「もう終わりだ!魔王」
「……そのようだな。だが、勇者‼只では終わらんぞ‼俺がお前の全てを否定してやる‼」
魔王は憎々しげに勇者を睨み付ける。その姿はこれから命を刈り取られる敗者のものでは決して無く。
むしろ、首から血を流しながらも相手の喉笛に噛みつこうとしている手負いの獣のようであった。
そして、その迫力は決してハッタリでも強がりでも、強者として生きた矜持などでも無く。
本心で勇者も道連れにするという覚悟の表れだった。
魔王から迸る魔力の奔流。
魔法においても超一流を誇る勇者ですら読み取れない複雑怪奇な魔法式。
組み上げられていく魔法は魔王の左手に集約されていく。
そして、放たれるのは紫紺の閃光。
文字通り光の速さで飛んでいく、不可避の光線。
しかし、それも一般的な戦士であればの話だ。勇者なら仮に光の速さで飛んでくる魔法であっても避けることは可能だ。
それこそ、先の魔王との戦いでは光すら置き去りにする程の早さの魔法が当然のように飛び交っていたのだ。
何なら空間魔法で突如目の前に魔法が現われることも、時間移動魔法で過去や未来から攻撃が飛んでくることも珍しくなかった。
いまさら、光速の攻撃など恐るるに足らず、余裕を持って避けることが出来るだろう。
……これが、普段の勇者であったのならば
そう、魔王を追い詰めた勇者もまた満身創痍の重症を負っていた。勇者の生命力をもってすれば死ぬことは無くとも、まともに動くこともままならない程消耗していた。
そこらのドラゴンには負けなかったとしても光速で飛んでくる攻撃は避けられなかった。
「う、グァァぁぁぁぁぁぁぁァァ‼」
紫紺の一撃は勇者の命を蝕む。今までどんな敵が相手でもどれ程凶悪な攻撃を受けても黒い悪魔レベルの生命力でもって強情く生き残ってきた勇者の命は火に炙られたアイスクリームのように急速な勢いで溶けていく。
その様子に魔王は嗤った。
それは魔族の王に相応しい程、醜悪な笑みを浮かべて。
「ふっ、一部レジストされてしまったようだが、それでも十分。お前の全てを否定するのにはな」
魔王が発した言葉、それを理解するのは魔王の悪意、紫紺の一撃をもろに受け、全身をミキサーにかき混ぜられるようなこの世のものとは思えない激痛に苛まれる勇者には難しかった。
だだ、勇者よりも早く、力尽きた魔王を見て、勇者は自分がどのような攻撃を受けたのかを察した。
恐らくは呪詛。
それも魔王が自身の命を掛けた特大の呪いだ。
魔王らしい卑劣な一手。
然れど王としては正しき一手。
そして、戦士としてはその泥臭く敵へ噛みつく姿、誠に天晴れであった。
勇者は自分に死力を尽くした相手に敬意を抱く。それと同時に幸せな、平和な世での暮らしを奪われたことが本当に許せなかった
☆☆☆
魔王との戦いは引き分けで終わった。
勇者は死んだ。
その筈だった。
しかし、勇者は目を覚ました。
貴族様が使うような、高級なケーキのスポンジのように柔らかいベッドの上で。
勇者は首を傾げる。何故自分がこんな所にいるのか、そもそも、自分は魔王に倒されたのではないのか、と。
ただ、それでも勇者、この程度の不可解な事象、別段珍しくもない。直ぐに体を起こし、ベッドから降りる。
すると、世界が揺れるような衝撃、いや、突然の立ち眩みが勇者を襲い、思わず膝をついてしまう。
今までどんな精神攻撃も、大地を揺らす大規模魔法でも膝をついたことが無かった勇者はそのとき何の抵抗も出来ずに膝をついてしまった。
それだけの衝撃が勇者を襲ったのだ。それこそ、自分の価値観すべてがひっくり返るような衝撃が。
『あら、そこの使用人、私が廊下を歩いているのだから首を垂れるのが礼儀でしょう?全く貴方の教育係は一体何を教えていたんでしょうねぇ?』
『ん、まぁ!何で私の食事にピーマンが入っているの⁉私はピーマンが大の嫌いだと伝えた筈でしょう‼シェフを呼んで‼』
『……なに?そんな命は受けていないですって⁉貴方使用人でしょう⁉主人の考えを予測して先回りするのがあなた達の仕事じゃないの⁉言われたことをするなんて家畜でも出来るわ⁉』
立ち眩みとともに勇者の脳内に溢れ出した身に覚えのない記憶。
いや、勇者としての記憶が蘇る前の自分の、余りにも醜い姿。
これには流石の勇者であっても膝を付かずにはいられなかった。
☆☆☆
俺の、記憶。
勇者である筈の俺の記憶……。
信じられずに口元を押さえてしまう。
体の末端から冷えていくのを感じる。
信じられない。信じたくない。
俺は自分の頬を引っ張る。
痛い。とても痛い。バイコーンの蹴りよりも痛い。
グリフォンの爪よりも痛い。
その無慈悲な結果が俺のこの状況が夢では無いと伝えてくる。
何かの、冗談だろ?
この高飛車で嫌な、それこそ、俺自身が一番毛嫌いするタイプの貴族が俺?
ありえない、あり得てはいけない。
だけど、
「俺、なんだよな」
もう一回ほっぺたを引っ張る。やっぱり痛い。そんで柔らかい。
やはり、夢落ちでは無かった。
しかも、しかもだ。俺の悪夢はまだまだ終わらない。夢じゃないから悪夢ではない、な。
それはともかくとしてこの貴族(俺)は貴族令息ではなく、貴族令嬢なのだ。
名前はアイリス・コリアンダー。
コリアンダー公爵家という王家の血を引く三家の内一つを生家に持ち、黄色い髪にこぼれ落ちそうな程に大きい紫の瞳、鼻筋はスッと通っており、名のある人形師が作ったビスクドールと言われても納得しまいそうな程整った造形をしていた。
体格にしても令嬢らしく華奢で且つ十歳にしては女性らしい魅力のある体つきは一種の芸術といえるほどの黄金比を兼ね備えている。
そのことに気づいた瞬間、俺はふかふかの絨毯に手をつき、項垂れてしまう。
前世の俺は女性と殆ど接点のない生活を送っていた。
親が元々戦士だったこともあり、鍛錬の毎日。
そして、当たり前のように父親の旧友が所属している義勇軍へと入隊し、魔王軍と戦う日々。
当然、女の子と一夜を共にしたことも無かったし、何なら、義勇軍として魔王軍と戦っている内にそこで一番の猛者になっており、その名声が王都まで轟いたせいで、聖剣へ挑める権利を得て、いざ行ってみたら地面に突き刺さっている聖剣を抜くだけで勇者に選ばれ、端金だけ渡され、魔王討伐の旅に出ることになり、魔王と相打ちになった。
魔王を倒した後、俺の青写真通りにいけば今頃平和になった世界で勇者の名声を使い可愛い女の子を捕まえてロマンティックなデートをしているはずだったのだ。
それが、女の子って……お終いだ。
全部おしまいだ。
しかも、今までの所業を考えれば屋敷の使用人からとんでもない恨みも買っていそうだし、本当におしまいだ。
はぁ、これからどうすれば良いんだ。何を目標に生きれば良いんだ。
俺が、そんな風に現状に絶望していると、コンコンと部屋のドアがノックされる。
気配を研ぎ澄ませると使用人が一人、ワゴンを持ってきているのが分かる。
何のようだ?
俺は首を傾げ、ドアの外にいる人物に声をかける。
「入りなさい」
「は、はい、ちゅ、昼食をお持ちしました。」
ゆっくりとドアが開き、栗色の髪を後ろで結んでいるまだ15歳くらいの少女が俺の自室に入ってくる。
遠目からでもビクついているのがわかる。
やはり、俺は、アイリス・コリアンダーは怖いか…。
俺はせめて、彼女を労おうと口を開ける。
「…………」
そして、そっと閉めた。
わからなかったのだ。
彼女の名前がわからなかったのだ!
俺は頑張って記憶を掘り返す。
大丈夫。コリアンダー公爵家では新しい使用人が入ってきたら必ず屋敷の主とその家族に自己紹介をする筈だから、憶えていない筈がないのだ。
そうだ、一度は聞いている筈だ。
思い出せ、思い出せ!
しかし、どれだけ気合いを入れようと一向に彼女の名前は出てこない。
嘘だろ……少し前の俺。
自分の身の回りの世話をしてくれている人間の名前すら憶えていないのか?
あり得ない。俺にあってはいけない失態だ。
今までは…勇者として貴族のパーティーに招待されていた頃はどれだけいけ好かない貴族であろうとしっかりと名前を憶えていた筈なのに。
こんな、馬鹿な。
俺は再度ふっかふっかの絨毯に手を置き項垂れる。
そんな俺に対して、使用人の少女は目を白黒させている。何なら心配の色すら僅かだが、見せている。
きっととても良い子なのだろう。
しかし、それでも声をかけてこないのは……アイリス・コリアンダーだった頃の俺はそれだけ恐ろしい存在だったのだろう。
俺はせめて、せめて、これからは彼女たちに寄り添っていこうと心に決める。
まずは、今までの愚行を謝ろう。
それと、何か手伝えることを探そう。
本当は彼女たちの仕事を奪うのはあまり良いことではないのだろうが、同じ仕事をこなすことで紡がれる友情というのもあるだろう。
実際、前世義勇軍だった頃はそうやって軍のみんなと打ち解けてきた。
「(今まですまなかった!何か手伝えることはないか?)ごめんなさい、私あなたとおんなじ空気を吸いたくないのよ。だから出てってもらっても良いかしら。ああ、食事に関してはそこに置いておいてくれれば良いわよ。自分で運ぶから」
俺が意を決して言葉を紡げば、あら不思議。
自分の考えていた言葉とは似ても似つかない言葉が口から飛び出すではないか。
これが、わがまま令嬢として育ってきた卑しい貴族の業?
いや、それにしても可笑しくないか?勇者だった頃はそれこそ、ありもしない記憶をでっち上げる悪魔や、トラウマを掘り返す魔族。自分の不安を夢という形で再現し、その不安を強固な意志で打ち破る以外に脱出手段のない精神の牢獄に引きずり込む夢魔など、様々な精神攻撃を受け、それを打破してきたんだぞ?
仮に、体が人を下に見るのが癖になっていたとしても俺の精神力なら余裕で押さえ込めるはずだ。
ただ、そうなると……それ以外、俺の、アイリス・コリアンダーとしての癖以外に理由があるとでもいうのか?
俺は腕を組み、唸る。使用人の少女に見られているというのに気にせずに唸る。
そこで、俺は1つの心当たりを思い出す。そして、確信を得るために自身の内へと意識を向ける。
深く深く潜る。
そして、魂まで辿り着いた時俺はとんでもないものを見つけてしまう。俺の魂の周りを覆う黒い靄の鎖を。
靄の鎖の数は計三本、その内一本は既に罅が入っており、今にも砕け散りそうだ。
靄だから砕け散りそうっていうのはちょっと言葉にすると違和感のある表現だが、そうとしか言えない。
この力はその位頑強で俺のことを無理やり縛り付けている。
そう、これは………………呪詛だ。
それも魔王の命がけの呪詛……。
命を奪うだけに留まらず、転生先まで効力を発揮しているんだ。
そのことに気づいた俺は、苦笑する。
これじゃあ、痛み分けではなく、こちらの方が被害を受けている。魔王と引き分けたという肩書きは名乗れないかもしれないな。
取りあえず、意識を切り替えよう。呪詛に関しては今すぐに解決できる問題ではない。
今出来ることと言えば、使用人の少女との関係値の回復だ。
俺は謝罪することを一端諦め、俺に出来る仕事がないか探す。
言葉で俺の心を伝えられないなら、行動で示すしかないだろう
とはいえ、何でも手伝えば良いというものでもないだろう。共同で仕事をする上で必要なのは役割分担。
相手を立てることだ。
……まぁ、俺自身集団生活は義勇軍の時くらいのものであったため、確証は持てないが……
そこまで考えて俺は取りあえず、フォークと、スプーン、そしてグラスを運ぶことにした。
これならそこまで邪魔にならないだろう。
役割分担さえ考えないのであれば、配膳ワゴンごとこちらで運ぶというのも手ではあったのだが、彼女たちにも彼女たちの仕事というのがある。
それを横から全て奪ってしまっては逆に関係の悪化を招きかねない。
しかし、それでも少女はフォークなどを運ぶ俺に困惑の表情を浮かべるとともに、顔を青く染める。
差し詰め、俺に使用人の仕事を手伝わせるのはまずいと思っているのだろう。
本当なら、今までの彼らに対する不当な態度について謝り、せめて仕事を少し手伝わせてほしかったのだと伝えたいところだが、それを伝えるのは現状難しい。
そのため、会釈だけして、席に着こうとした
そう、着こうとしたのだ。
しかし、口が勝手に開く。
「ふんっ、あなたが余りにも遅いから自分で取りに行く羽目になってしまいましたわ。はぁ~高貴な私にこんな下賤の者の仕事をさせるとは…………あなた随分偉くなったものね?」
これは一体どういうことだ!?
いや、もしかすると、俺がアイリス・コリアンダーらしくない行動を取ったことが原因なのか?
アイリス・コリアンダーとして相応しくない行動を取ると口が勝手に開き、今までの行動の理由付けを勝手に行う、それもアイリス・コリアンダーならこういう理由があればこの様に動くという、言ってしまえば解釈の不一致が起こった際にはその不一致を無理矢理、一致するように調整されている?
「あ、あの申し訳ございません。お嬢様」
し、しまった、使用人の少女に謝られてしまった。
俺は首を横に振り、少女の言葉を否定しようとした。
しかし、
「はぁ、分かればいいのよ。分かれば。」
俺の口からは思ってもいない言葉が飛び出す。
しかも、手も勝手に動き、手のひらを天井に向けて、お手上げポーズを取る。
くそっ、体も勝手に動くことがあるのか!
少女の方を見れば完全に萎縮してしまっている。
俺は唇を噛みしめる。
くそっ、こんなにもどかしい気持ちになったのは生まれて初めてだ。
しかし、俺のその表情がより、少女を萎縮させてしまったようで、少女は小さく
「申し訳ありません」と頭を下げた。
本当は謝りたい。
謝って、今の発言は全て誤解だと言いたい。
だが、俺の体がそれを許さない。
俺は、せめて、これ以上彼女を傷つけないように使用人の少女を自室から追い出した。
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