12
あまり眠れなかった。
宿のベッドは野宿とは比べ物にならない快適さ。寝る前には主人の厚意で温めた葡萄酒も一杯飲んだ。
にもかかわらず朝日が差し込むと同時に目が覚めたのは、それだけ興奮していたからだ。
昨夜、買い付けの打診をするとレオナルドは即座に他の幹部たちに声をかけた。それだけ重要な取引になると思ってくれたということだから、マイルズも気合を入れて襟を正した。
が、買い付ける物品を伝えたところ、商会内で検討するので今日のところは保留にさせてほしいという返答があり、レオナルドに見送られて宿に戻った。
これについてはマイルズも予想していたので食い下がる必要はない。
市場が閉まった後であるし、あまりに遅くなると見回りの衛兵に咎められる。どこの壁に他人の耳があるかわからないグロンスールでは、内緒話ほど日の高いうちにする。
そういうわけで、正式な商談は翌日、という運びになった。
酒が入った頭で練った計画は、朝になって考え直してみればどうして気付かなったのかと思うような粗が見つかるのが常だ。
だが今回だけは違うと確信できた。身支度を済ませ、財布を腰に括りつける。宿の主人に頼んで湯を沸かしてもらい、熱い手ぬぐいで顔を拭く。
伸び始めていた髭に短刀を当てていたところで、ベッドの中から声がした。
「初めておなごを祭に誘う小僧みたいじゃの」
寝起きでこちらの表情を見て最初に出る感想がこれなのだから手厳しい。だがその分、身なりはきちんとしているということでもあるだろう。
こいつは思ったことを素直に言わない。
「一緒に来るか?」
訊いてから、自分でも馬鹿な質問をしたと思った。マイルズが一人でラブール商会に向かえば、読める者がいなくなったルナはまた書物に戻ってしまう。
だが、ルナはベッドの中でぐずつくだけで、一向に起きようとしない。
「ルナ?」
毛布をめくろうとして、躊躇する。
寝起きのルナが服を着ているかどうかは分の悪い賭けになるだろう。
マイルズがどちらに賭けたかは、訊かれても答えてやらないが。
「わらわがいては商談の邪魔になる」
くぐもった声に冗談の響きはない。
「本気で言ってるのか?」
マイルズはとても信じられない。ルナは目端が利くし、思考の速度も早い。それにマイルズとは違う視点でものを見るので、純粋に勉強にもなる。
なにより、ページを取り戻すために策を練ったのだから、上手くいくかどうか見届けたいはずではないか。
その考えを見透かしたように、ルナが毛布の中から声だけで応える。
「そなたの考えはわかっておるわ。それに、昨夜もう作戦は聞いた。その上で、そなた一人で充分と思う。わらわは少し眠る」
他人を働かせて自分は二度寝するのだからいい身分だ、と思わなくもないが、なんとなくそれはルナの印象にそぐわない。
「もしかして、体調が悪いのか?」
「……」
ルナの顔が、ゆっくりと毛布から出る。うるさそうに眉をしかめてはいるが、顔色はいいので安心した矢先、大きくため息をつかれた。
「あのな、そなた」
「あ、ああ……」
面倒くさそうに頭を掻いて半目で睨んでくるが、マイルズはなにがそんなに気に入らないのかわからない。
「あのページを欲しておるのは誰かの」
「それは……お前だろう?」
だからこそ、一緒に来ればいいのに。
そう思った直後のことだった。
「ではわらわがのこのこと商談の場に行ってみよ。わらわのことを知らぬ者たちは得意げに策を語るそなたと、商売になんの関係もないわらわを見てどう思う?」
「……」
マイルズは思わず、手で顔を覆う。
ルナの言いたいことは完璧に理解できる。あのページは使い方次第でいくらでも富を生むことができる。しかも異端の品という曰くつきだ。
そんなものを一介の書籍商が欲しがるとして、その隣に身分不詳の貴族めいた女がいたら何が起きるか。政治的な駆け引きが背景にあると言っているようなものだ。警戒しないほうがおかしい。
マイルズがなにも言えないのは、他者からどう見えるかと実際にどうであるかは違うという当たり前のことも忘れていた自分が、猛烈に恥ずかしかったから。
「ふん」
完全にこちらを小馬鹿にした態度にも、まったく言い返せない。
昨夜、あの酒場でルナはなんと言った?
ページを一刻も早く取り返したいのはルナなのだ。だからこそ、もっとも合理的に考えて、マイルズ一人で行く方がよい、と結論付けた。
それなのに当のマイルズは大きな商談を前に浮かれ切っている。
ルナの信頼を踏みにじるのに、これ以上のやり方はない。
「――、」
謝ろうと口を開いたところで、もっと強く睨まれる。そんな暇があるのなら、商人として、他にやることがある。
深呼吸を二回。
浮ついていた気分は落ち着き、完全に地に足がついた。
残ったのは、久しく忘れていた、勝負に出る感覚。
糊口をしのぐために小銭を稼ぐのではなく、破れかぶれになって不確かな噂を頼りに一発逆転の商品を探しに行くのでもなく、商人として、自信を持って取引に臨む。
ルナを見れば、今度はにっこりと笑ってくれた。
「戻りは遅くなる」
「すぐに戻って来るよりはよい」
意外な言葉に、扉に向かいかけた脚が止まる。
「なぜなら、すぐ戻るのは商談が失敗したときだからの」
「いいや? あっさりまとまっちまったときかもしれないぞ?」
扉に手をかけて振り返ると相変わらず毛布から顔だけを出したルナと目が合う。
服を着ているかどうかは、商談がまとまるかどうかと同じくらいわからない。
「答え合わせは帰ったときに、な?」
どっちのだ、と問えば、意地悪く笑ったに違いなかった。
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