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昇降口へ赴くと、スラックスに手を突っ込んで暇そうしながら優が待っていた。
あたしたちに気づいて──目が赤いままの来栖を見るなり、にやりとした優がからかうように言う。
「ずいぶんいい顔になったじゃねえか」
「……うっさいなあ」
相当ふてくされている。反抗期の子どもみたいな態度でそっぽを向いた来栖に、あたしと優は顔を見合わせてさらににやりとした。
「帰って鍋すっぞ、鍋」
いつのまに教室へ寄ったのか、来栖とあたしのスクールバッグをそれぞれ放り投げ、優は意気揚々と宣言した。
「なんで鍋?」
「なんでっておまえ、俺らの卒業祝いだろうが」
結局卒業式も済ませていないのにか。
意識を向ければ、遠くから合唱の声が聞こえてくる。「少年の日はいま」だ。体育館ではまさに卒業式が執り行われていることだろう。
けれど、この場にいる誰一人、式へ戻ろうとは口にしない。どうせあたしたちの進路は決まっているのだ。式をさぼるくらい、なんてことないだろう。
三人で靴を履き替えて、昇降口を抜けていく。
「鍋って、なに鍋?」
「すき焼きだって、ばあちゃんが言ってた」
「ふつうすき焼きのこと『鍋』って雑に呼ばなくない?」
「鍋で作るんだから鍋だろ。てかいいんだよ、細けぇことはよ」
「優くんのそういうとこ、あいしてる~」
「は、そりゃありがてえな」
まだ来栖の顔を可笑しそうにしてあしらうような態度の優に、機嫌はもうすっかり直ったのだろうか、来栖がにっこりと微笑む。
「優くん」
瞬く間の出来事だった。
来栖が、優の肩に手を置いてぐっと自分のほうへ傾ける。次の瞬間には──そのまま引き寄せた優の頬へ、キスをしていた。
「……っお、おま、なにすんだ、この馬鹿!」
「あいしてるのキスに決まってんじゃん」
「おっまえ……! この期に及んで悪ふざけしやがって……」
「悪ふざけ? だって俺があいしてるっつってんのに、優くんテキトーにあしらうんだもん。ちゅーしないと伝わんないかな? って思って」
非力そうな外見で、優のような大男相手に流れるような実にうつくしい手腕だった。
ね? と、来栖がチェシャ猫のようにいたずらな笑顔であたしを流し見たので、ゾッ……と肌が粟立つ。
「仕返しが陰湿すぎる……」
「仕返しって何のこと?」
「そういう、とぼけるとこが陰湿だって言ってんの」
「あはは、照れるな」
「褒めてねえ」
三人で、並んで歩いてゆく。
げんなりしている優。しかめっ面のあたし。あたしと優をおおいに動揺させ、もう涙の余韻すらないすっきりとした面持ちの来栖が、間に立つ。
三人でこんなふうに歩くことなんて、もしかしたらもうないのかもしれない。未来に保証なんてない。
まだしばらくは色づかなそうな桜並木を見上げた。花が咲いたら、三人で見れたらいいのに、となんとなく思う。
「いいね」
夢から醒めるように横を見ると、来栖がやわらかく目を細めていた。
「見ようよ。三人で」
あたしが答えるより先に優が、なにを見んだよ? と不思議そうに訊く。
「桜。咲いたら三人で見たいって、怜ちゃんが」
「……言ってないけど」
「そう? 俺には聴こえたけど」
「いいな。花見すっか、花見」
「花見はいいけど、その頃って来栖はいなくなるんじゃないの」
「帰ってくるよ」
「行ってまたすぐ、そんな簡単に帰ってこれんの?」
疑わしい思いで言えば、眼前に小指が差し出された。
「約束」
じっ……としばらく小指を睨みつける。
しかし結局、渋々、あたしは自分の小指を絡めた。
「破ったら針五万本飲んでね」
「多いなあ」
うれしそうに笑う。いったい何がそんなにうれしいのだろう。
絡んだ指の名残りを、こっそりと確かめた。
「はい、優くんも。約束~」
「俺はいいっつーの」
「優だめだよ。優も約束して、そんでもし破ったら、その分も足して十万本針飲むんだから。ね? 来栖」
「なんか俺が針飲むこと前提になってない?」
笑いながら桜並木の下を三人で歩く。近い未来、満開の景色をまた歩けるように、こっそり祈っておく。隣のやつには聴こえているかもしれないけれど。
未来に保証はない。
けれど、小指に残った温度で、ほんの少しだけ約束された気持ちになる。
いまはそれで、充分だ。
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