cheers 2

 電話のやり取りは五分もかからずに終わった。来栖の「じゃあ今からそっち行くから」という言葉で。


「どっか行くの?」


 ケータイを仕舞った来栖に問う。

 こちらを向いた顔は、なぜかいたずらなチェシャ猫のような雰囲気があった。


「うん。じゃ、行こっか」

「え、あたしも行くの?」

「当たり前じゃん」


 立ち上がった来栖が、茫然と座ったままのあたしの手を引いて立たせる。

 刹那、冷たい手が動きを止めた。かと思えば離れてゆかずに、そのままぎゅっと握られる。


「……繋ぐ必要ある?」

「迷子にならないように、とか?」

「子どもじゃないんだけど」

「怜ちゃんの手、あったか~」

「しみじみ言うな。……あんたが冷たすぎるんだよ」


 なんだこれ、超仲よしじゃん。

 口には出さずに不満の目を向けても、いたずらな笑顔しか返ってこない。手を振り払う気も失せる。


 喧騒がどんどん遠くなっていく。

 どこに行くのかと訊いても来栖は、ナイショ~、と笑うだけで教えてくれないので、あたしはただただ手を引かれるままとなっていた。

 校舎に入り、道中来栖は知り合いらしい何人かに声をかけられていたけれど、すべて曖昧に笑ってやり過ごした。

 混雑しているせいか、カノジョでもないあたしが来栖と手を繋いで校内を歩いても、案外囃し立てられたりすることはなかった。

 階段を上がっていく。一番高い場所へ上がる階段の手前に張られた【立ち入り禁止】のテープも、あたしたちは何事もないように越えた。

 重たい鉄の扉の前で立ち止まると、そこで繋いでいた手が離れた。それはあまりに自然だったので、自分の手に残った骨っぽい手の感触のほうがなんだか嘘みたいに思える。


「……なんで屋上?」


 期待はしていなかったけれど、やっぱり来栖は微笑むだけで答えてはくれない。

 さっきまであたしの手を引いていた、あたしよりも幾分大きな手が、目の前のドアノブを握る。ギギ、と軋む音を立てて扉が開いた。

 あれ、と気づく。

 いま、来栖は鍵を使わなかった。どうしてすでに鍵が開いているのだ。


 足を踏み入れた屋上は、遮るものがないから地上よりもずっと明るい。そして──なぜか、耳覚えのあるアコースティックギターの旋律が聴こえてくる。

 給水塔がのっかっている壁の向こうに、影が伸びていた。そこを覗けば、壁にもたれて暇そうにギターを鳴らしている大きな男がいた。

 見下ろすこちらの影に気づいて顔を上げ、ああ、と驚くでもなく片手をひらりと振った。

 ああ、じゃねえ。


「…………優、なんでいるの」

「あー、家で寝てるつもりだったんだけどよ、ちょっと用事思い出して」

「……インフルエンザは?」

「治った」


 どういうことだ。状況がまったくつかめない。

 優はずいぶんと悠長に抱えていたギターを下ろし、自分の横に立て掛けた。

 中学生のとき以来久しぶりに見た、亡くなった父親の形見だという古いアコースティックギターだった。優、ギターやめてなかったんだ、とどうしてか少しうれしさに似た安堵を感じた。

 それはそうと、あたしは後ろに立ってにこにこ笑っている男をじっとりと睨みつける。


「ねえ、これどういうこと」

「まあまあまあ、座って座って~」


 来栖に無理やり肩を押され、優の前に座らされる。そしてあたしと優の間に来栖が腰を下ろし、あたしたちは小さな三角形のようになった。

 ふと、優の横に大きなクーラーボックスが置いてあることに気づいた。怪訝な視線を察したように、優がそのクーラーボックスを開ける。

 果たして取り出されたものは、白い箱だった。ケーキを入れるような箱だ。そして実際、開かれた箱の中身はケーキだった。五号ぐらいの大きさの、ホールの苺のショートケーキである。

 ケーキの中央にはチョコレートプレートが鎮座していた。すべてひらがなで記されているプレートの文字列を、頭の中で読み上げる。

 れいちゃんおたんじょうびおめでとう……。


「誕生日おめでとう」

「おめでと~、怜ちゃん」

「……え?」


 誕生日? 

 無意識にケータイで確認していた。画面には、九月二十七日と表示されていた。

 そうだ、今日はあたしの誕生日だ。

 長らく家族以外でお祝いしてくれるような友だちもいなかったから、この瞬間まですっかり忘れていた。

 無言でケータイを仕舞い、改めて目の前のケーキを見つめた。


「…………こ」

「こ?」

「こ、こんなに、食べれない……」


 優と来栖が声をあげて笑った。

 サプライズ成功、とかなんとか来栖がうれしそうに言う。そもそもなんでこいつはあたしの誕生日なんか知っているのだ、と思うが、どうせ優から聞いたのだろう。


「うっわ、怜ちゃん赤くなってる! か~わいい~!」

「かわいいって言うな! キモい!」

「あはははっ、俺の弟に反応そっくり。超かわいい」

「誰が弟だ! 笑うなバカ!」

「あー、とりあえずあれだ。乾杯すっか」


 宥めるように優が言い、またしてもクーラーボックスから缶飲料を三本取り出した。手渡された缶は、なんとスパークリングワインでぎょっとする。が、ノンアルコールだった。

 いや、ノンアルでも高校でこれは絵面的にアウトな気がする……けど、もういいか、今更だ。


「そもそも優、こんなの持ってよく登校できたよね」

「文化祭だからな。余裕だったよ」


 優がにやりとする。

 大きなクーラーボックスと、それからギターを背負って登校する優を想像したら、こっちまでにやりとしてしまった。


「怜ちゃ~ん。言っとくけど、発案したの俺だからね?」

「あ? 慶介テメー、結局俺に全部やらせやがって、ケーキ屋なんて人生ではじめて入ったわ!」

「あはは、社会経験になったじゃん。てかちゃんとプレート頼めて、優くん偉いね~。お兄ちゃんうれしいな~」

「え、優が注文したの? これ……」

「あー、うっせえうっせえ! おら乾杯すんぞ、乾杯!」


 地上から届いてくる文化祭の平和な喧騒をBGMに、ホールケーキを囲んで、三人で手にした缶を軽く空に上げた。


「十八歳おめでとう!」


 カツン、と三つの缶がぶつかった。

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