一話 いなくなった仔(前)
「せんせい、朝からお庭がずいぶんさわがしいですわ」
姫の
長い廊下が通っている庭をしもべたちが
髪を梳りながら教母の
「出産があるのですよ、姫さま」
「出産?」
珠々姫は丸い眸をもっと丸くした。
「
「そうです」と、花英は短く答えた。
――うそだわ。
とっさに珠々は大人の嘘を見抜いた。
珠々の上には
――天子がお渡りになってない、この
十四歳になる珠々姫でも知っている、女君と男君を妻合わせないと赤子は宮殿にやってこない。光る
天帝が原始のどろどろを掬いとり冷やして固めたという人の世で、もっとも尊い営みは出産だ。大人たちは何か隠しているし嘘をついてる。
トントン、カンカン。
珠々が眉を
召使たちはいよいよ足早に行き来し、もっと卑しい人夫たちもあらわれる。庭の隅の寝殿から離れているところに運びこまれ組まれる板切れ、それを切ってかさね打ちつけて、小さな小屋がかたちを表すと、うるさがっていたくせに――何ができるのだろう? だんだん気になりだした。
珠々を産んだ
庭の隅っこに出来てきた小さな粗末な小屋には何か意味があるにちがいない。
珠々は興味を惹かれだした。
「ナーッ!」
珠々姫は
珠々は本から顔を上げた。「
可愛がっている仔猫が息を荒らげ、フーッフーッと威嚇のようだ。
広い廂の向こう、宮殿の白いさざれ石を敷き詰めた庭に、真っ黒な子猫をやっぱり黒い水干をまとった貴公子が捕まえ胸のあたりを掴んでいる。
「お兄さま…」
水干姿の若者は笙――
「お兄さま子々がいやがっている、離してあげて」
「ああ」と今気づいたようにぱっと両手をはなす。
そのまま仔猫はどすんと小石の上に落ちた。
珠々は仔猫が怪我をしたのではないかと、廂のへりまで寄って手を伸ばした。
「
にゃあと鳴いてことのほか軽やかに猫は飛び跳ねて珠々の手の中に収まった。
――よかった。と仔猫に頬ずりする妹姫に向かって。
「珠々、お前は変だよ」
黒い衣の皇子はうっすら笑って言った。
見下すような笑い方をする兄を、珠々は見返しても怒ることはできない。黒い目と目があってしまって。とても黒い、黒目の区別ができないくらい暗い目は、きれいな形をしている。丁寧にヘラでかたどった人形のように、目も鼻すじも、ほんのり紅いくちびるも、四人の
白くなめらかな肌をもつ美青年だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます